昭和から平成、令和の時代まで常にトップシンガーとして活躍している高橋真梨子(たかはしまりこ)さん。
その圧倒的な歌唱力は、特に女性から高く支持されています。
今回は高橋真梨子さんの若い頃や生い立ち、ご両親や実家の情報についてお伝えします。
高橋真梨子のプロフィール
本名:森岡まり子
生年月日:1949年(昭和24年)3月6日
身長:155cm
出身地:広島県廿日市市
最終学歴:駒沢学園女子高等学校
所属事務所:ザ・ミュージックス
高橋真梨子は若い頃から妖艶
2023年に73歳になる高橋真梨子さん。
妖艶な雰囲気の持ち主で、年齢を重ねるごとに美しくなると評判です。
そんな高橋真梨子さんは、若い頃から独特の色気を持っていました。
1966年に「スクールメイト」の一員として芸能界デビュー、その後1972年に「ペドロ&カプリシャス」というバンドで歌うことになる高橋真梨子さん。
「ジョニィへの伝言」などのヒット曲を生み出します。
「ペドロ&カプリシャス」での経験はその後の高橋真梨子さんの活動に大きな影響を与えました。
ソロ歌手に転向してからもバンド形式でステージに立つことに徹底しているのは、この時の経験によるものだそうです。
1978年に「ペドロ&カプリシャス」を脱退、同年11月に「あなたの空を翔びたい」でソロ歌手としてデビューします。
中学生の頃から福岡のジャズクラブで歌っていた高橋真梨子さん。
福岡ではその圧倒的な歌唱力で評判となっていました。
ソロデビュー当時、高橋真梨子さんはまだ20代後半です。
にも関わらず何度も人生を経験したような、濃厚な色気を発していました。
10代中頃から人前で歌い続けた経験があるからこそ、若さに似合わぬ妖艶さを醸し出せるのかもしれませんね。
1980年代から90年代にかけて、「はがゆい唇」などのヒット曲を連発。
30代から40代と年齢を重ねるごとに、実力派女性シンガーとしての地位を確実なものとします。
また、いわゆるバブル期の高橋真梨子さんは容姿も非常に魅力的でした。
当時の流行を取り入れつつ品のある出で立ちは、特に同世代の女性達から支持されたそうです。
高橋真梨子の生い立ちは複雑
1949年、戦後間もない日本全体がまだまだ混乱している時期に生まれた高橋真梨子さん。
父親は鉄道局で働いており、母親は銀行員兼ダンサーでした。
ご両親は1945年8月6日、それぞれの勤務先で被ばくしてしまいます。
鉄道員からジャズのクラリネット奏者の道を目指し広島から福岡へと移住した父親と、その後を追った母親と高橋真梨子さん。
父親は博多のジャズバンドで活躍していましたが、しばらくすると被ばくの影響で足が壊死する病気にかかってしまいます。
働くことができなくなった父親に代わり、母親が水商売で働いて家計を支えたそうです。
しかし、いくら働けど父親の治療費で収入のほとんどが消えてしまったとのこと。
働けど暮らしが楽になることはなく、夫婦喧嘩が絶えることはありませんでした。
最終的に父親は昔の仲間がいる広島に帰ることを選択、母親は博多に残ることになります。
幼少期の高橋真梨子さんは、学校が休みの時に父親に会いに行くのが唯一の楽しみだったそうです。
父親は広島に戻りましたが、再び母子と暮らすことを諦めてはいませんでした。
しかし母親は、父親と再び一緒に暮らそうとは思っていなかったようです。
父親に懐いていた高橋真梨子さんは、当時小学生ながら「将来歌手になって治療費を払う」と告げたそうです。
父親と別れた後、母親は別の男性と不倫していました。
高橋真梨子さんは不倫する母親がどうしても許せず、中学時代は触れることすら許さなかったとのこと。
このことから、幼少期は父親には懐いていたようですが、母親とはあまり関係が良くなかった様子。
愛情を与えて欲しい時期の子供には、母親は自分の都合ばかり優先する自分勝手な人間に見えたのでしょう。
歌うことだけが救いだったと当時を振り返る高橋真梨子さん。
心に突き刺さる歌声は、愛憎入り混じった複雑な生い立ちを経験しているからかもしれませんね。
高橋真梨子の母親と父親はすでに亡くなっている
高橋真梨子さんの母親と父親はすでに亡くなっています。
母親の名前は高橋千鶴子さん。
亡くなったのは1998年で、享年70歳でした。
幼少期は母親と確執があった高橋真梨子さん。
「スクールメイト」の一員として上京したことで考えが変わります。
東京にいる間、母親からのサポートは絶えなかったそう。
無下にしてきたにもかかわらず続く細かい気遣いや、東京で恋愛を経験したことにより高橋真梨子さんは母親の気持ちに気づきます。
その後は良好な関係を築けたようで、芸能生活50周年を記念して発売されたベストアルバムには、亡き母親が好きだったオリジナルの歌詞で歌った「フレンズ」を収録しています。
父親の名前は森岡月夫さん。
亡くなったのは、高橋真梨子さんが15歳の時でした。
被ばくの後遺症に苦しめられ、わずか37歳という若さで亡くなっています。
1927年に広島県廿日市で生まれ、国鉄の広島工機部で勤務、その後福岡や広島でジャズプレイヤーとして活躍します。
高橋真梨子さんは元々コーラスグループの一員として芸能界にデビューしましたが、後にソロ歌手の道を歩みました。
ソロ歌手の道にこだわったのは、父親がアイドルのような活躍を望まなかったからだそうです。
「ポップスとかアイドル的な歌手は、僕は望まない。歌うなら、難しい曲…スタンダードジャズとか、名曲みたいなものから始めた方がいい」とアドバイスされたという。
高橋真梨子さんは、自身の原点はスタンダードジャズにあると度々語っています。
音楽家として、父親から受けた影響は計り知れないものがあるのでしょうね。
高橋真梨子の実家は広島
高橋真梨子さんの実家は広島県廿日市にあります。
廿日市市は、宮島をはじめ様々な名所が存在する都市です。
自然豊かで交通の便もよく、生活するのにも魅力的な都市として知られています。
高橋真梨子さんの父親は国鉄、母親は銀行に勤めていました。
このことから、ある程度は裕福な家庭だったのではと想像されます。
実家の詳細な位置や外見は不明ですが、それなりに立派な家なのは間違いないでしょう。
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