カルロストシキの若い頃はかわいい系イケメン。両親とのエピソード&兄弟は兄と姉

カルロストシキ(かるろすとしき)さんは、1986オメガトライブ、及びカルロス・トシキ&オメガトライブのリードボーカルとして活動した歌手です。

1985年いっぱいで解散した杉山清貴&オメガトライブの翌年1986年に、プロデューサーや一部楽器隊のメンバーを引き継ぐ形で1986オメガトライブは始動しました。

世間的には「ボーカルが交代した」という認識だったため、前任の杉山さんと比べられましたが、日系ブラジル人でかわいいルックスをしていたことや、高い歌唱力から人気を得てヒット曲を連発しました。

そんなカルロストシキさんが若い頃かわいくてイケメンだったと話題になっていた件や、ご両親や兄弟についてなど、お伝えします。

カルロストシキのプロフィール

愛称:カルロス

本名:鷹橋 カルロス 敏輝

生年月日:1964年(昭和39年)4月7日

出身地:ブラジル、パラナ州マリンガ

最終学歴:ロンドリーナ大学経済学部中退

カルロストシキの若い頃は、かわいい系イケメン

カルロストシキさんは、1986年に「1986オメガトライブ」のリードボーカルになると、「かわいい!」と話題になりました。

1枚目のシングル「君は1000%」はドラマ「新・熱中時代宣言」の主題歌にもなり、ヒットを記録しました。


カルロストシキさんは、ブラジル南部のパラナ州マリンガ出身の日系ブラジル人です。

ブラジル暮らしと言えど、父親は日本人だったので日本語は堪能です。

ですが、外国人特有のイントネーションは残っており、その少したどたどしい感じが「かわいい」と評判でした。

ちなみに、カルロスさんは母国語のポルトガル語、英語、日本語が話せるトリリンガルです。

天然エピソード1

カルロストシキさんには少々天然な部分もあり、その天然エピソードも純朴でかわいいと言われる原因でした。

1969年から1990年まで、日本テレビ系列で約20年間放送された音楽番組「トップテン」は、TBS系列で放送されていた「ザ・ベストテン」と同じ、流行りの歌謡曲をカウントダウン形式で発表しトップ10入りした歌手が生歌を披露する音楽番組で、ライバル番組でした。

その「トップテン」の最終回に出演したカルロストシキさんは、「トップテン」との思い出を語る際、「僕は、ブラジルでもこの”ザ・ベストテン”を見てました」と、よりによってライバル番組である「ザ・ベストテン」と言い間違えてしまったのです。

司会を務めていた和田アキ子さんに突っ込まれて、オメガトライブのメンバーたちは焦っていました。

日系ブラジル人のカルロスさんだったから笑って許されたようなもので、もし普通に日本人の歌手なら怒られても仕方ない失敗ですね。

天然エピソード2

カルロストシキさんは、日本語は上手にしゃべることができましたが、やはり難しかったのは漢字を読むことだったそうです。

蕎麦屋さんに行った際に、メニューを見ておいしそうだと思った「五目そば」を頼もうとしましたが「いつつめそば」と読んでしまい、店員に「いつつめそばください」と言うと怪訝な顔をされたので、すぐさま「ざるそばください」と言い直したそうです。


それ以来、蕎麦屋では安全に頼める「ざるそば」しか頼めなくなってしまったそうです。

天然エピソード3

カルロストシキさんが日本のラジオ番組にゲストで出演しリスナーからのハガキを読んだ際、投稿者の名前を全て呼び捨てで呼んだため、司会者が慌てて「敬称をつけてください」とお願いされたそうです。

これに関しては、天然というよりも文化の違いから起こしてしまった失敗かもしれませんね。

ですが、こういった失敗もかわいらしく見えてしまうのが、カルロスさんの良いところでしょう。

両親と感動の再会エピソード

カルロストシキさんの父親は日本人で、20歳の時に日本からブラジルに移住しました。

母親はブラジル生まれの日系3世で、カルロスさんは日系3世として生まれました。

父親は日本人向けのラジオのDJや作詞などを手がけておられたそうで、多方面で活躍していたそうです。

そんな父親の影響で、幼少の頃からマイケル・ジャクソンやスティービー・ワンダーなどを聞く、早熟な子供だったそうです。

9歳の頃にはパラナ州歌謡大賞で優勝したり、地元の日系人コミュニティーでは「歌がうまいトシキ」と言われて知らない人はいなかったそうです。

実家は「Shibuya」というレストランを経営しています。

父親は日本人で、店名も「Shibuya」という日本の地名を名乗っているのであれば寿司屋か日本食屋かと思いますが、レストランはバイキング形式。


和食はもちろん、中華やイタリアンなど何でも食べられるそうで、地元マリンガの人気店になっているそうです。

カルロスさんが日本での歌手活動を休止し、ブラジルに帰国していた頃には「Shibuya」の仕事を手伝っていたそうです。

そんなご両親は、1986オメガトライブとしてリリースした2枚目のシングル「Super Chance」が大ヒットし、音楽番組「夜のヒットスタジオ」に出演した際に、ご両親がカルロスさんに内緒で来日しスタジオに登場しました。

カルロスさんは日本での音楽活動が忙しかったため、ご両親に会えたのは実に4年ぶりのことだったそうです。

まさかブラジルにいるはずのご両親がヒットのお祝いに駆けつけてくれるとは思っていなかったカルロスさんは、号泣しておられました。

カルロスさんはその時のことを思い出し、「Super Chance」は信じて応援してくれていた両親へ恩返しができた曲、という思いがあると振り返っておられました。

兄弟は兄と姉で末っ子

カルロストシキさんには、4歳上の兄と、2歳上の姉がいらっしゃいます。

カルロスさんは末っ子でした。

お兄さんとお姉さんは、地元のマリンガで両親が経営していた「Shibuya」というバイキングレストランを継いでおられるそうです。


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