東京・渋谷の鮮魚店を営む家庭に生まれ育った、演歌歌手・伍代夏子(ごだいなつこ)さん。
愛犬家でもあり、誰もが家族同然のペットと離ればなれにならないようにと、同室避難を推進しています。
今回は、伍代さんの実家でのエピソードと最愛の父親について、そして、彼女が推し進める同室避難プロジェクトについてお伝えします。
伍代夏子のプロフィール
愛称:なっちゃん
本名:中川輝美(なかがわてるみ)
生年月日:1961年(昭和36年)12月18日
身長:160cm
出身地:東京都渋谷区
最終学歴:鷗友学園女子高等学校
所属事務所:ボイスミュージック
伍代夏子の実家は旗竿地&鮮魚店。兄弟(姉)と同室で育つ
伍代夏子さんは、東京都渋谷区の代々木八幡で生まれ育ったそうです。
鮮魚店を営む両親と4歳年上の姉とともに、家族4人で暮らしていたといいます。
それほど広くはなかったという実家は、どんな雰囲気だったのでしょうか。
実家は日の当たらない旗竿地
伍代さんの実家は道路から奥まったところにある、およそ30坪の敷地に建っていたそうです。
いわゆる旗竿地と呼ばれる土地で、地図上で見た時に、竿につけた旗が風に吹かれてはためいている様子に似ていることから、そう呼ばれています。
ちょうど四方を建物に囲まれてしまう状態になるため、あまり日当たりが良くない傾向にあります。
伍代さんの実家も同様だったそうで、母親が洗濯物の乾きが悪いと言って、困っていたのだとか。
家の敷地は、通りから奥に入ったところにある旗竿地だったので、日当たりが悪くて。
木造2階建てのシンプルな建物で、1階が和室2部屋に台所とトイレ、2階に和室2部屋という間取りだったそうです。
これだと浴室が無いように思えますが、実際、もともとは浴室が無かったのだといいます。
父親が浴室・脱衣所と納戸部分を増築し、伍代さんが生まれる前には完成していたそうですが、この増築された部分は屋根がトタンだったそうで、お風呂に入る時はとても寒かったのだとか。
伍代さんが幼少の頃は2階部分は親戚に間貸ししていたため、家族は1階部分だけで生活していたそうです。
そのため、1階にあるテレビを置いていた六畳間が居間であり、姉妹の寝室でもあったといいます。
そこへ2段ベッドを置いて、姉が上段で伍代さんが下段を使い寝ていたのだそうです。
同じ部屋で育った姉妹ですが、やがて2人が大きくなると2階を自分たちの部屋として与えられ、六畳間が姉で四畳半を伍代さんが使っていたそうです。
今風に言えば「昭和レトロ」といった雰囲気ですが、日の当たらないジメジメとした家で暮らす両親を見て、子供心に「大人になったら、日当たりの良い家を建ててあげたい」と思うようになったといいます。
後に歌手としてデビューしたもののヒット曲に恵まれない時期にも、「両親に家を建ててあげたい」という思いがあったからこそ頑張れたといいます。
多少窮屈で不便な家で暮らしながらも、ご両親は全力で姉妹を育てあげ、とても仲のいいご家族だったのでしょうね。
実家の家業は鮮魚店
伍代さんの両親は、実家の近くにあった商店街で鮮魚店を営んでいたそうです。
店は忙しかったそうで、休みは週1で日曜のみだったのだとか。
今では週6勤務と聞くと驚く人も多いと思われますが、昭和では一般的でもありました。
両親が魚屋さんということから、当然ながら、魚料理が食卓に上ることが多かったといいます。
伍代さんの実家では毎日のようにマグロの刺身を食べていたそうで、魚は漬物みたいな物だったんだとか。
その上、父親が完全に和食が好きな方だったそうで、洋食は好まず、クリスマスなど西洋風のパーティーも大嫌いだったのだとか。
幼い頃の伍代さんは魚料理ばかりの和食に飽き飽きし、よく母親に洋食をせがんでいたそうです。
毎日新鮮な刺身が食べられるなんて、なんとも羨ましいお話ですが、いくら新鮮な魚でもさすがに毎日だと飽きてしまうかも知れませんね。
最愛の父親の最期を看取って
伍代さんの父・中川輝継さんは、2023年7月11日に89歳でお亡くなりになりました。
輝継さんは、ずっと寝たきりの生活が続いていたそうです。
伍代さんの母も2022年に亡くなっており、その時から元気がなくなってしまったのだといいます。
思うように食事がとれない日々が続き、だんだんと瘦せてしまっていたそうです。
お母さんがいなくなってから本当にかわいそうで、見ていられなかったから…。
父の最期を看取った伍代さんは、「ずっと食べられずに、日に日に細くなっていた」「今は、ほっとしています」と心境を語りました。
晩年を迎えると誰しもそうですが、食が細くなるというのは、本人にとっても、それを見ている家族にとっても、非常に辛いものがありますね。
鮮魚店を営んでいた時代から、職場でも家庭でも、長年同じ時間を過ごしてきた妻に先立たれるというのは、想像もできないほどの苦しみと悲しみだったことでしょう。
どうか安らかに、そして、お二人の魂がともにありますように。
ペットは家族・同室避難推進プロジェクト&思いやりのある性格
伍代さんは、2023年7月25日、「りく・なつ同室避難推進プロジェクト」のアンバサダーに就任されました。
「りく・なつ」とは、伍代夏子さんの愛犬「陸」と芸名の「夏子」からそれぞれ名付けられました。
災害発生時に人とペットが同じ室内空間に避難できるように、避難所の環境整備を主な目的としています。
2022年にカニヘンダックスフンドのオス・陸くんを迎え、家族同然に感じていたという伍代さん。
いつしか災害時の避難所について考えるようになり、東日本大震災の時にペットを連れた女性が、避難所に入れずに、屋外で過ごしていた光景を思い出したそうです。
そこで、ペットも含めて家族全員が一緒に過ごせる空間が必要だと考えるようになったといいます。
動物嫌いな人やアレルギー体質の人へ配慮をしつつ、飼い主側の対応もきちんと行う必要があるとして、ワクチン接種や適切なしつけをするなど、迷惑をかけない環境作りの重要性について語りました。
また、7月25日を伍代夏子(725・ナツコ)の日として制定し、日本記念日協会から認定されました。
自身と家族の名を冠したプロジェクトの発表を、ナツコの日に行うとは、相当な熱の入れようです。
夫・杉良太郎さんによると、「竹を割ったような性格」「情に厚く親孝行」「相手に細やかな神経を使える人」ということですが、まさにこの行動力が全てを物語っていますね。
そして何よりも、どんな人や動物に対しても気を配ることができる、思いやりのある性格だと言えるのではないでしょうか。
伍代さんの真剣さと温かさが、よく伝わってきますね。
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