藤あや子の実家は秋田、家族は母親・父親・兄弟が1人&生い立ちに音楽あり

『花のワルツ』、『こころ酒』etc.のヒット曲で知られる演歌歌手・藤あや子(ふじあやこ)さん。

華やかなステージに立つ姿はお馴染みですが、実家のこと等プライベートも気になりますよね。

母親・父親・兄弟など家族構成や地元秋田での生い立ちなどもご紹介します。

藤あや子のプロフィール

本名:藤村真奈美

生年月日:1961年(昭和36年)5月10日

身長:157cm

出身地:秋田県仙北郡角舘町(現・仙北市)

最終学歴:秋田県立角舘南高等学校卒業

所属事務所:バーニングプロダクション

藤あや子の実家

演歌歌手・藤あや子さんは秋田県仙北郡角舘町、現在(2023)の秋田県仙北市出身。

観光名所と自然が両方楽しめる美しい所で、美人歌手の出身地に相応しい街ですね。

実家は精肉店を経営していたと言い、そのため家では毎日トンカツを手作りしていたなんてエピソードも。


2020年には雑誌『家庭画報』の仕事で故郷を訪問した彼女。

雑誌に掲載された武家屋敷の枝垂桜は実家から徒歩ですぐ。

通っていた小学校は武家屋敷の真ん前だそうで、通学路だったと少女時代を懐かしんだ様子。

ちなみにこの事を綴ったブログにようると、同年はコロナ禍のため地元に帰れなかったこと、今度は帰郷してこの枝垂れ桜に会いに行きたいと書かれています。

ブログには他にも帰省した際のエピソードが出てくるので、定期的に地元角舘に帰っているようです。

2023年現在は両親ともに他界しているので、彼女が育った実家が現存するかどうかは不明。

コロナで父親の墓参りに行けなかったときには、代わりに参ってくれるよう地元の親戚にお願いしたとあるので少なくとも親戚の家はあるようですね。

彼女は地元・秋田の話をよくしていることからも実家のあった故郷をとても愛していることが分かります。

地元秋田と関連する仕事も多いようです。

藤あや子の家族構成、母親・父親・兄弟

藤あや子さんは両親と弟1人の4人家族で育ったようです。

美人演歌歌手は一体どのような家族に囲まれて育ったのでしょうか。

料理好きだった母親とは強い絆で結ばれている

一般の方なので詳しいことは明かされていませんが、藤あや子さんのブログには度々母親のエピソードが登場。


2004年に63歳で他界しているので1941年生まれという事になります。

6月生まれだったそうで、娘は紫陽花の花を見ると母を思い出すのだそう。

料理好きな母、スパニッシュオムレツが得意だったといい、藤さんはこれをよくリクエストしていたと言います。

その世代の方にしてはモダンなメニューを得意としていたのですね。

食べるのもお好きだったのかブログには亡き母の好物もたくさん登場。

お寿司が大好きだったため毎週土曜日はお寿司の出前を頼んでいたという藤村家。

羨ましい限りですが、当の藤さんは子供の頃はそれが嫌だったのだそう。

またデコポンもお好きだったようで、娘は知人にデコポンを頂いては自分では食べず母親に送っていたそう。

晩年は病気を患っていたようで、闘病中には母を連れ温泉旅館に出かけたことも。

亡くなった今は八ヶ岳に眠っているといい命日に母の墓に参る様子も公開されています。

墓石には藤さん自身が書いたという”一蓮托生”の文字が。

秋桜がお好きだったといい、戒名にも秋桜の字が入っているといいます。

オフィシャルブログ『あやこ日記』には本当に沢山母親のエピソードが登場します。

母の好物、母が昔作ってくれたもの等、色々なものを見ては亡き母を思い出す娘。


若くしてあの世へと旅立った母親ですが、母想いの娘を持って幸せだったのではないでしょうか。

娘を支え続けた父親

父親は娘の夢を理解しサポートし続けてくれた存在。

藤あや子さんは81年20歳の頃結婚し同年長女を出産しますが直後に離婚。

2017年20歳下の男性と再婚するまでは独身だったということで、娘に手がかかる時期にはシングルマザーだったのですね。

そんな状況もあり東京へ出て本格的に歌手活動することは半ば諦めていたと言います。

しかしそんな娘の背中を押してくれたのが父親。

当時秋田と東京を行き来しながら歌ってい娘に向かいこう言ったといいます。

おまえはまだ、ほんとうの意味で中央の舞台には立っていないだろう?

子どもの面倒は自分が見るから、東京へ行き思いっきり勝負してきなさいとまだ幼かった孫の面倒も買って出てくれたそう。

この言葉にハッとしたという藤さんは、旧芸名・村勢真奈美から藤あや子へと改名し再デビュー。

その後歌手として成功していったのです。

本人曰く”この時の父親の言葉がなければ今の自分はなかった”というくらい重要な瞬間だったよう。

彼は娘に力いっぱい夢に挑戦させてあげたかったのでしょう。


ずっと娘と孫をサポートし続けてくれたという父親ですが、コンサートや劇場公演に足を運ぶことはなかったそう。

まさに陰ながら我が子を支え続けた人生だったわけですね。

そんな父親は1993年に亡くなっているようで、今は秋田の地元に眠っています。

美人演歌歌手は4月の命日には欠かさず墓参りがてら秋田に帰郷し、満開の桜を愛でているようです。

兄弟は弟が1人

弟についても一般人ということでプロフィールは明かされていません。

もしかすると実家の稼業を継いでいる可能性もありますね。

既に亡くなっている両親の事は公式ブログで頻繁に綴られていますが、弟の話は全く見当たりません。

きっと一般人である彼のプライバシーを守りたいと考えているのでしょうね。

彼らの母親は料理好きだったようですが、藤村家には小学校の頃には子どもが料理を作っていい日なるものがあったそう。

藤さんは4つ下の弟と一緒にピザトーストなどを作っていたそうです。

兄弟仲良くキッチンに立つ姿を想像するだけで微笑ましいですね。

クリスマスには子供のころから家族揃っての夕食を楽しんだという藤さん、弟も仲のいい一家で幸せに育ったことでしょう。

藤あやこの生い立ち、音楽なしには語れない少女時代

秋田出身の藤あや子さん、地元で過ごした少女時代から音楽は彼女と切っても切り離せないものでした。


地元の一大イベントのお祭りで、山車の上で踊る踊り子に憧れて育った彼女。

小学校4年生のころから踊りと歌を習い始めます。

山口百恵さん、桜田淳子さんに憧れアイドルになりたいという夢を持っていました。

中学時代には初めて人と付き合ったそうで、生まれて初めてのデートは角舘町役場前だったのだとか。

60代になってもお綺麗な彼女ですが、きっと当時から美少女だったに違いありません。

また学校では畑作クラブに所属していたそうです。

今でも自宅で家庭菜園を楽しんでいるようなので、自然に触れ合うことがお好きなのでしょうね。

高校時代はお小遣いを稼ぐため新聞配達のアルバイトを経験。

またこの頃から洋楽を、聞き始めハードロックにドはまったそう。

特にエアロスミスが好きというのは意外ですが、ジャンルを問わず音楽が好きというのが伝わってきます。

高校を卒業してからは就職して働きながら民謡歌手としても活動。

村勢真奈美の名前で旅館・ホテル・民謡酒場等で地道に歌手活動をしていたようです。

19歳の時に県主催の『ミス花嫁コンテスト』で優勝。


色白の秋田美人、優勝は納得ですね。

秋田美人の演歌歌手の生い立ちを調べると、彼女が幼い頃からずっと音楽が好きで歌手の夢を追ってきたことが分かりました。

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