売野雅勇の妻は一般人。娘とのエピソード。結婚と家族で変化した人生&ハーフ説デマ

売野雅勇(うりのまさお)さんは日本を代表する作詞家の1人です。

1982年7月28日にリリースした中森明菜さんの2枚目のシングル「少女A」が大ヒットし、それ以降作曲家・芹澤廣明さんとのコンビでチェッカーズの楽曲を数々製作し、スターダムにのし上げました。

売野さんは作詞家になる前は句稿代理店に勤めていましたが、結婚と妻の出産を機に人生が変わり始めたそうです。

そんな売野雅勇さんの妻や娘について、人生の転機となった結婚して家族を持ったことについて、ハーフでは?と噂されている件についてなど、お伝えします。

売野雅勇のプロフィール

本名:売野雅勇

生年月日:1951年(昭和26年)2月22日

出身地:栃木県足利市

最終学歴:上智大学文学部英文学科卒業

所属事務所:フェブライオ・メッツオ/ DIVINE ディヴァイン

売野雅勇の妻は一般人

売野雅勇さんは、売野さんが27歳の時に結婚しました。

奥様は一般人のため、名前や顔写真などは一切公開されていません。

売野さん自身が作詞家という言わば”裏方”の職業なので、作品のことには触れても、ほとんどご自身のプライベートなことについて語ることはありません。


わかっていることは、売野さんと奥様が出会ったのは大学時代だったそうです。

売野さんは上智大学に通っておられ、当時はアメリカンフットボールに明け暮れていたそうです。

てっきり文系の学生時代を送っておられたかと思うと、スポーツマンだったようですね。

売野さんは2023年現在72歳ですが、2023年4月11日に東京ドームにて行われた「巨人対阪神」戦の始球式を務められました。

投球はキャッチャーまでは届きませんでしたが、72歳とは思えないしっかりしたフォームで、かつてのスポーツマン時代の片鱗が見られました。

そんな売野さんの大学時代のアメフトの練習を見ていた女子たちの中に、売野さんの奥様はいたそうです。

当時は日本ではアメフトは珍しかったそうで、大学近くの女子校の生徒たちが何十人もグラウンドに見学に来ていたそうです。

そんな女子たちの中で、売野さんが「可愛い子がいるな」と思い、声をかけてお付き合いに至ったのが奥様だったそうです。

まるで青春ドラマのような出会いですね。

大学時代に出会い、結婚したのが27歳だったので、少なくとも5~6年以上はお付き合いの期間があったのではないかと思われます。

売野雅勇と娘のエピソード

売野雅勇さんの娘さんは、売野茉花(うりのまりな)さんとおっしゃる方です。

ヨガやアロマテラピーなどのインストラクターをされているそうです。

売野さんは娘さんに、幼い頃から「とにかく名詞はすべて覚えなさい」と教えていたそうです。


売野さん曰く、存在するものすべてには名前がついていて、その名詞を聞くだけで自然と物語が浮かんでくるそうです。

そんな父親の教えを守り、娘さんは幼い頃から難しい映画のタイトルなど、内容は覚えていなくても名前は覚えていたそうです。

作詞家らしい独特な教えですね。

そんな娘さんは、売野さんが作詞を手がけた大ヒット曲にもう少しで名前が入るところでした。

その楽曲は、1984年11月21日にリリースされたチェッカーズの5枚目のシングル「ジュリアに傷心」でした。

有名なサビの頭のフレーズは「オーマイ、ジュリア」という歌詞ですが、作曲を務めた芹澤廣明さんからのリクエストで「なんでもいいからサビに名前を入れて欲しい」というリクエストがあり、茉花さんの名前を仮で入れていたそうです。

ですが、芹澤さんから「マリナはなんか違う」と言われ、芹澤さんの娘さんの名前「ユリア」さんの名前からアイデアを得て「ジュリア」になったそうです。

もし最初の案が通っていたら「オーマイ、マリナ」になっていたかもしれませんね。

結婚と家族で人生変が変わった

売野雅勇さんは奥様との結婚で家族を持ったことで、大きく人生が変わりました。

売野さんは大学卒業後は広告代理店に就職していました。

奥様とは大学時代から交際していましたが、「結婚に縛られずに自由に生きたい」と考えていたため、奥様から「結婚しよう」と2度も言われていたのに断っていたそうです。

2度も結婚を断られていてもまだお付き合いを続けていたとは、奥様も相当売野さんのことが好きだったのでしょうね。


ですが、3度目の結婚の申し込みに断りきれず、奥様の友人たちにも説得され、半ば押し切られて結婚に至ったそうです。

そんな奥様がそこまでして売野さんと結婚したいと思っていたのには、ある理由がありました。

その理由は占いで、「結婚して売野姓になると、夫が成功する」と言われていたのだそうです。

たかが占いでと思われるかもしれませんが、結婚後に売野さんが仕事をフリーランスにすると、当時関わっていた新聞広告のディレクターから「作詞をやってみませんか?」と電話がかかってきたそうです。

その時に麻生麗二というペンネームで作詞したのが、売野さんの作詞家デビューの楽曲となった「星くずのダンス・ホール」という曲でした。

作詞家デビュー翌年には中森明菜さんの「少女A」がリリースされ、売野さんは結婚と同時に本当に成功へと導かれていったのです。

占いが当たったのか偶然かはわかりませんが、奥様と結婚したことによって人生が大きく変わったのは、間違いないのではないでしょうか。

売野雅勇はハーフではない

売野雅勇さんがハーフなのでは?という噂があるようですが、売野さんがハーフであるという情報は見つかりませんでした。


出身地は栃木県足利市ですが、ご両親については何も情報がないため、真相はわかりません。

これからも素晴らしい作品を作り続けてほしいですね。

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