林哲司の息子3人、妻は一般人。独身情報なし。家族も音楽!韓国人DJが絶賛&若い頃の功績

林哲司(はやしてつじ)さんは、1980年代に日本の音楽界を席巻したシティーポップを生み出したと言われる作曲家です。

杉山清貴&オメガトライブの全シングル表題曲の作曲や、松田聖子さんや中森明菜さんなどの80年代アイドルの名曲の数々を作曲したことで知られています。

2020年代になり、世界的に日本のシティーポップが注目され、林さんの楽曲が再評価されています。

そんな林哲司さんの息子や妻、家族について、韓国人DJのNight Tempoさんから絶賛されている件、若い頃に作曲した名曲の数々についてなど、お伝えします。

林哲司のプロフィール

本名:林哲司

生年月日:1949年(昭和24年)8月20日

出身地:静岡県富士市

最終学歴:日本大学商学部中退

林哲司、息子3人で妻は一般人。独身情報なし。家族も音楽の仕事

林哲司さんの名前は有名ですが、作曲家・音楽プロデューサーという裏方の職業のため、ご自身のプライベートなことに関して語ることはほぼありません。

そのため、生い立ちや家族の事についてなども、ほぼ明らかになっていません。

ただ、結婚経験があることは明らかになっています。


2023年9月にご自身が書かれたコラムに、林さんが最も忙しかった激動の1984年の事を、プライベートを交えて書かれていました。

その時は人気が爆発し、ヒットチャートを席巻していた杉山清貴&オメガトライブの2枚目のアルバム「River’s Island」がリリースされ、作曲の依頼が途切れる事なく舞い込んできていました。

超多忙な中、林さんの父親が脳梗塞で倒れてしまい、安否を伺いながらのレコーディングが連日続いていたそうです。

そんな中、父親が倒れてからおよそ1ヶ月後に、林さんの長男が誕生したそうです。

それが1984年の出来事でしたので、結婚自体はそれ以前にされていたものと思われます。

父親のことを振り返るコラムの中には、結婚前に妻の実家に挨拶に出向いた際「こいつはこんな仕事に就いているけど真面目ですから」と、妻の両親に言っていたそうです。

妻に関しては一般人のため、名前や顔写真などは一切明らかになっていません。

林さんと妻の間には3人の息子さんが誕生し、全員が音楽関係の仕事をされているそうです。

何番目の息子さんかはわかりませんが、3兄弟の中の1人は「紘生(ひろみ)」さんという方で、作曲の仕事をされているそうです。

また、紘生さんはビクターエンタテインメントの宣伝部にも所属しているそうです。

2019年に復活した杉山清貴&オメガトライブのディレクターとしても関わっているようです。

父親の作曲した名曲の数々を現代でも聴いてもらえるように、尽力されているようですね。


残念ながら、他の2人の息子さんの活動については、調べてもわかりませんでした。

ですが、全員が同じ音楽というものに携わっているのは素晴らしいですね。

2023年現在、林さんと妻が離婚しているのかどうかについては、明らかになっていません。

韓国人DJが絶賛

韓国人DJのNight Tempoさんは日本のシディーポップに感銘を受け、多数の1980年代の日本の楽曲のリミックスを手がけています。

10万人の登録者を超えるYoutubeチャンネルには、数多くの80年代日本ポップスのリミックス作品を聞けるようになっています。

そうした活動は、現代の日本の若者も80年代の日本のポップスを聴くきっかけを作っています。

そんなNight Tempoさんは、林哲司さんの楽曲の大ファンだそうです。

Night Tempoさんの思う林さんの楽曲の魅力は、メロディーやコード進行が感じさせる「寂しさ」や「切なさ」だと語っています。

林さんのマイナー調の楽曲に林さん特有の味わいがあるそうです。

また、80年代の日本のポップスを作った角松敏生さん山下達郎さんなどの楽曲に比べ、林さんの楽曲は一番「ユニーク」と感じておられるそうです。

80年代に日本で林さんが生み出した楽曲が、韓国人DJのNight Tempoさんの手にかかり蘇ると、瞬く間に世界中の音楽ファンの元に届き話題になりました。


まさに音楽が国境や時代を超えたというムーブメントではないでしょうか。

若い頃の功績

林哲司さんは特に1980年代、林さんが30代から40代の頃に数多くの名曲を残されています。

元々は5人兄弟の末っ子として生まれ、幼少の頃から兄の影響でアメリカのポップスを聴いて育ったそうです。

幼少期のその体験が林さんの中のリズム感やメロディーの構築に大きく影響したのではないでしょうか。

作曲家としてデビューした1970年代には、2023年現在世界中で知られる楽曲となった松原みきさんの「真夜中のドア〜Stay With Me」を作曲されています。

この楽曲が日本のシティッポップを世界に広めた、と言っても過言ではありません。

1980年代は林さんの作曲家としての黄金時代で、数え切れないほどの名曲の数々を生み出しました。

中でも杉山清貴&オメガトライブには、全シングル表題曲の7曲を提供しました。


また、菊池桃子さんや中森明菜さん、河合奈保子さんなどの新人アイドルにも数々の楽曲を提供しています。

林さんの楽曲は、これからもいつまでも歌い継がれていくでしょう。

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