康珍化、天才作詞家の顔と歌人の顔。国籍日本、本名そのまま?林哲司や秋元康との関係

康珍化(かんちんふぁ)さんは、1979年8月5日にリリースされたアン・ルイスさんのアルバム「PINK PUSSY CAT」収録の「シャンプー」で作詞家デビューしました。

1984年には、高橋真梨子さんに作詞提供した「桃色吐息」で第26回日本レコード大賞作詞賞を受賞するなど、1980年代以降の日本の歌謡曲にはなくてはならない存在です。

1度見ただけでは読み方のわからない名前は本名だそうですが、「森田記(もりたしるす)」という名前でも活動をされています。

そんな康珍化さんが天才作詞家として高い評価を受けていながら歌人としての顔も持っていること、国籍や本名について、タッグを組んで数々のヒットを飛ばした林哲司さんや同じく天才作詞家と呼ばれる秋元康さんとの関係についてなど、お伝えします。

康珍化のプロフィール

本名:康珍化

生年月日:1953年(昭和28年)6月24日

出身地:静岡県浜松市

最終学歴:早稲田大学第一文学部卒業

康珍化は天才作詞家で、歌人としての顔も持っている

康珍化さんは数々のヒット曲の作詞を手がけていて、日本で育っていれば康珍化さんの関わった作品を聞いたことのない人はいないとまで言われています。

特に1980年代の日本のポップスにはなくてはならない存在で、歌謡曲はもちろん、子供向けのアニメ主題歌なども多数手がけられました。

康珍化さんの歌詞の作風としては、恋愛の別れの前後の気持ちの機微を、さりげない描写で切なく切り取ったものが多く、評価が高い部分ではないでしょうか。


1984年1月1日にリリースされた中森明菜さんの7枚目のシングル「北ウイング」は、そんな康さんの作品でも非常に高い評価を受けています。

別れた男性の事を忘れられない女性が、1人で彼の後を追って飛行機に乗り飛び立つという瞬間を切り取った歌詞です。

復縁のあてもなく飛び立ってしまう女性の気持ちを「愛はミステリィ」と描写してしまうところに、天才と呼ばれる理由が垣間見える気がします。

また、歌い上げ系のサビの最後でメロディーが落ちる部分には「すこし不安よ」と、主人公の心情の不安感をメロディーと合わせる事でうまく描写しています。

メロディーと歌詞の関係性が完璧に計算された作りには、「さすが」としか言いようがありません。

そんな天才作詞家として知られている康珍化さんは、実は学生時代から「天才少年歌人」と注目を浴びる存在でした。

高校時代の教員だった作家の村木道彦さんの影響で、早稲田短歌研究会に所属し、短歌の同人サークル「環」に入会しました。

短歌は五・七・五・七・七の五句体で詠われる詩のため、非常にリズム感が重要になります。

康珍化さんの、メロディーに非常になじみの良い言葉選びは、短歌をやっていた経験が活かされているのは間違いないと思われます。

康さんが学生時代に発表した短歌は、1979年に発行された「村木道彦歌集」に少しだけ掲載されているだけだそうです。

「天才少年歌人」と呼ばれていた頃の康さんの歌集を、ぜひとも見てみたいですね。

国籍は日本、本名は康珍化?

康珍化さんは元在日韓国人2世です。

いつごろかは定かではありませんが、帰化しているので国籍は日本になります。


本名は特に公表されてはいませんが、「康珍化」で間違いないと思われます。

南野陽子さんに作詞提供した「接近」など、数曲で「森田記」という名前を使っていることもありますが、それはただのペンネームで、日本名や本名といったわけではありません。

堂々と韓国名を名乗っているため、在日日本人2世であったことを隠していることもありません。

ただ、康さんの生い立ちについては静岡県浜松市出身ということぐらいしか情報があまりありません。

ご両親についてやご兄弟がいるかどうか、ご両親は2人とも韓国人だったのかどうかなども、知られていません。

学校は、高校が静岡県立浜松西高等学校に通っておられたというのは知られています。

ですが、それ以前の情報がないため、もしかしたら小学校や中学校は朝鮮人学校に通っておられた可能性もありますが、定かではありません。

1992年には「ワンコリアフェスティバル」という在日コリアンのためのイベントのために「ハナの想い」というテーマソングの作詞を手がけました。

「ハナの想い」は日本と韓国両国で同時発売されました。

康珍化さんは、ワンコリアフェスティバルについては全く政治的でないところに賛同して作詞を引き受けたそうです。

林哲司や秋元康との関係

康珍化と林哲司さんは、1980年代に数々のヒット曲を生み出しました。

都会的な林さんのメロディーラインとアレンジに、どこまでも下世話にはならない康さんの歌詞が、当時のフォーク全盛から洗練されたポップスに日本の歌謡曲のシーンが移り変わる瞬間に、とてもマッチしていました。

1983年から1985年まで活動していた杉山清貴&オメガトライブは、活動期間中に7枚のシングルを発表しましたが、その表題曲全てが康さんと林さんのコンビによるものでした。

同時期に同じく天才作詞家として注目され始めた存在が、秋元康さんでした。


同じ作詞家という職業なだけあってほとんど共演の機会のないお2人ですが、1983年5月5日にリリースされた小泉今日子さんの5枚目のシングル「まっ赤な女の子」は康さんと秋元さんの作詞対決が行われたという逸話が残っています。

結果的には「まっ赤な女の子」は康さんが作詞し、カップリングの「午後のヒルサイドテラス」を秋元さんが担当することになりました。

作詞対決ということで力が入ったのか、「恋するハートは南向き」や「抱きしめられたら 瞬間ウキウキ 水蒸気」など、これでもかとキラーワードが詰め込められていて、採用されたのも納得できますね。

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