山田まりや、弟と母親を父親のDVから守るためデビュー。生い立ちが壮絶&足立区の思い出

グラビアアイドルとしてデビューを果たしたあと、バラエティー番組でも引っ張りだことなった山田まりや(やまだまりや)さん。

物怖じしないトークと明るいキャラクターで人気を集めていましたよね。

しかし、山田さんの明るい笑顔からは想像もつかない、壮絶な生い立ちがあったようです。

そこで今回は、山田さんのご家族や生い立ち、3歳から15歳まで過ごされたという足立区の思い出についてお伝えしていきます。

山田まりやのプロフィール

愛称:まりやちゃん

本名:草野まりや(旧姓:山田)

生年月日:1980年(昭和55年)3月5日

身長:154cm

出身地:愛知県名古屋市

最終学歴:豊南高等学校中退

所属事務所:テンダープロ(業務提携)

山田まりや、父親のDVから弟と母親を守るために訪れた3つの転機

いつも笑顔で明るいイメージの山田まりやさんですが、デビューに至った経緯には意外な話が出てきました。

ご本人のYouTubeチャンネルでも話されているのですが、父親がお酒を飲んでは手をあげるタイプの方だったそうです。


そのため、「家で落ち着いてリラックスしてご飯を食べたことがなかった」とのこと。

父親が暴れてフォークなどが飛んでくることがあり、いつもビクビクしていたといいます。

1つ目の転機は守るべき弟ができたこと

そのようななか、山田さんに1つ目の転機が訪れます。

10歳で迎えた弟さんの誕生です。

自分より小さく守るべきものに、母性が芽生えたそうです。

弟と母親を父親から守ってあげるんだという強い意志が生まれたようです。

そうはいっても、まだ10歳ですから、急にどうこうはできませんよね。

2つ目の転機はスカウトからのデビュー

想いを胸に秘めつつ過ごすなか、14歳のときに、2つ目の転機がやってきました。

山田さんは、友だちと遊びに行ったラフォーレ原宿でスカウトを受けます。

そのときは、スナップ写真を撮ってもらっただけなのですが、カメラマンさんから芸能界に興味がないかと聞かれていたようです。

写真の掲載許可の確認などのため、家の電話番号を聞かれ、教えて別れたそうです。

当時はまだ、中学生が個人で携帯電話を持つような時代ではなかったですからね。

その後、芸能プロダクションから連絡が入り、レッスンなどに参加されるようになりました。


そうしたレッスンなどに通ううちに、山田さんが最初に所属された事務所「イエローキャブ」の野田社長の目に留まり、デビューされました。

3つ目の転機は引っ越し

山田さんはデビュー直後から、人気が高まり、グラビア以外にドラマやバラエティーなどテレビへの出演機会が増えます。

寝坊で撮影に遅刻しないかと心配した野田社長から、引っ越しの提案があったそうです。

これが、3つ目で父親から逃げる最後の転機になりました。

山田さんはすかさず、母親と弟との同居をお願いしたそうです。

そのときに、「今しかない!」と思って、母親と弟も一緒に住まわせてもらうよう、野田にお願いしました。そしたら、「いいよ」と言ってくれて。母親と弟には“昼逃げ”みたいな形で、父親がいないタイミングを見計らって実家から逃げて来てもらいました。

かねてからの強い想いが報われる瞬間をご自身の力で引き寄せられました。

その後は、生活費に加え、弟の学費も支払うため、山田さんは休みなく働き続けました。

結果、10代後半から下痢や便秘、嘔吐などを繰り返すようになっていたそうです。

倒れるまで働き続ける責任感には頭が下がるばかりですが、今後はご自身の体を労わってあげてほしいですね。

生い立ちは明るいイメージと懸け離れていた

山田さんは、愛知県名古屋市でお生まれになり、父親の仕事の関係で3歳から東京都足立区で生活をされていました。

幼少期は、父親のDVにビクビクしながら母親と過ごす日々。
 
自己肯定感の低い母親の影響で、山田さん自身も自分に自信が持てなかったといいます。


さらに、体が小さかったこともあり、学校ではいじめにもあっていたそうです。

そのいじめから抜け出すきっかけも、弟さんの存在だったようです。

私は10歳年下の弟を守るためにそんな人間よりも強くなってやる!と気持ちがガラッと変わり、新しい自分で学校へ通えるようになりました。

気持ちをガラッと変えるのは、大人でもなかなか大変なことです。

小学生の山田さんには秘めた強さや前向きさがあったのではないでしょうか。

一旦前を向いた山田さんは、周りからの言葉もポジティブに受け取れるようになっていました。

職員室に助け求めた時、ある先生に「そいつらとは今だけで、一生付き合わなきゃいけないんじゃないんだから」と言われ、「そうだよな」と妙に納得できたんです。

いまある現状しか知らない子供にとって、明るい未来を期待させてくれた先生の言葉に救われた山田さん。

いまでは、手を差し伸べる側になられています。

山田さんは、2022年6月に一般社団法人MwM Japan(ムゥム・ジャパン)を設立されました。

MwM Japanの活動への想いをご自身のホームページに綴られています。

自身がシングルマザーに育てられた経験から金銭的不安が大きかったので、シングルマザーの雇用支援に繋がる活動に力を入れていきたいと思っております。大人も子供もお腹も心も満たされる心躍る毎日を過ごせることを私は願っています。

10代の山田さんに、大人になった山田さんが手を差し伸べているかのようなコンセプトですよね。


実体験を基にした支援が多くの方に届くことを願っています。

3歳から過ごした足立区は思い出の地

3歳から15歳まで生活していた足立区は、山田さんにとって思い出の地のようです。

足立区の花畑に住んでいた山田さんは、桜花亭にもよく行かれたそうです。

桜花亭の南側にある杉の子幼稚園に、10歳下の弟さんが通っていて、お迎え帰りに寄られていたといいます。

公園と池のある日本庭園があり、散歩したり東屋で休憩したり、午後のまったりした時間を過ごすのに良い場所ですよね。

山田さんによると欄干の木を叩くと鯉が寄ってくるという裏ワザがあったようですが、撮影時はうまくいかなかったようです。

さらに、足立区千住にあるシアター1010は、夫の草野とおるさんと出会った場所でもあるそうです。

草野さんは、山田さんが演者として初めてシアター1010の舞台に立ったときの共演者でした。

毎日のように稽古をし、本番の公演もするなかで、愛が育まれていったとのことです。

山田さんご夫婦にとっては、なくてはならない思い入れの強い場所になっているようです。

父親からの暴力やいじめなど、辛い思いもした足立区が、楽しくうれしい思い出で素敵な大切な地に変わったようですね。


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