NHKテレビ小説「あさが来た」や、映画「空母いぶき」での演技が記憶に新しい俳優、山内圭哉(やまうちたかや)さん。
ドラマや映画のほか、舞台にも引っ張りだこの人気バイプレーヤーのお一人です。
個性派、破天荒、コミカルなどいくつもの言葉で形容される山内さんの俳優人生は、意外と長いものであることをご存じでしょうか。
そこで今回は、山内さんの若い頃や子役時代の話などを、ご紹介していきます。
山内圭哉のプロフィール
愛称:僧正
本名:山内圭哉
生年月日:1971年(昭和46年)10月31日
身長:176cm
出身地:大阪府大阪市
最終学歴:興国高等学校卒業
所属事務所:TOKYO ARTISTS AGENCY
山内圭哉、若い頃は中島らもの劇団員
子役でデビューをしていた山内さんですが、思春期に一旦芸能活動を休止されていました。
多感な年ごろに、演技をしているのが恥ずかしく感じるようになってしまったそうです。
また、顔と名前が表に出ているので、不良に絡まれたり、演劇部から勧誘されたりするのも嫌だったといいます。
高校卒業後も特にやりたいことがなくふらふらと過ごしていた山内さんを友人が演劇界に誘います。
それが、中島らもさんが主宰される劇のオーディションでした。
中島らもさんといえば、劇作家のほか、小説家やエッセイスト、コピーライターなどとして文芸や広告界でも名を馳せた方です。
その中島さんが主宰される劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」のオーディションを半ば冷やかしで受けに行った山内さんでしたが、入団が決まったそうです。
山内さんは1992年から1999年まで劇団に所属されていました。
その約7年が本格的な下積みとなって、いまの山内さんを支えているようです。
山内さんがいつも楽しそうにされているのには、中島さんの教えがあったといいます。
かつて、一度だけ叱責されたことがあるそうです。
入団後の山内さんの仕事は、中島さんの横について仕事中のお酌をしたり、外へ飲みについて行ったりするだけでした。
それでは申し訳ないと退団を申し出た山内さんに中島さんが言いました。
「お前、いくつや?」と聞かれて「21です」と答えました。そしたら「21で何がやりたいかなんて、分からんもんや。ここは何をやってもエエ場所やから、やりたいことが見つかったら何でもしたらエエ。その代わり、いる間は義務やと思って芝居だけ出とけ」と。
この言葉があったから、劇団に居つづけられ、芝居の仕事も続けてこられたそうです。
最初は意味が分からなかった言葉も、年月を重ねるなかで理解が進み、中島さんの優しさを感じるようになったといいます。
らもさんって、やっぱり弱いもんの味方で、社会不適合者の味方でもあった。僕もそんな人間やったんですけど「それでエエねん。それでも楽しく生きていけんねん」ということを教えてもらっていたんだなと…。
中島さんの言葉で、いまでも山内さんは自分自身が楽しく仕事をすることで、見る人に楽しんでもらいたいと思われているようです。
子役時代は夏目雅子と共演
あまり友だちと遊ばず、変わった子供時代だったという山内さん。
心配した親が劇団に入れたのが、子役の始まりだったそうです。
そして、出演されたのが1984年に公開された映画「瀬戸内少年野球団」でした。
戦後の淡路島で、野球を通じてふれあい、絆を強めていく女教師と子供たちを描いた物語です。
作詞家阿久悠さんの自伝的小説を基に映画化されました。
その中で、女教師を演じたのが昭和の人気女優夏目雅子さんでした。
山内さんは、子供たちの中でも中心的な存在の役を任されていました。
映画『瀬戸内少年野球団』宣材用下敷き
夏目雅子さん主演の映画。懐かしい。もう一度観てみたいと思って今Amazonを覗いてみたら、中古のレンタルが高額で販売されている。こまったものだ。 pic.twitter.com/AapjU4pw8b
— raccoman7🌐 (@ymtgt435) February 2, 2020
上の写真、左から2番目で中腰になっている少年が山内さんです。
なんと、撮影時、夏目さんと一緒にお風呂に入ったというのですから驚きです。
台風で撮影が休みになり、僕らが男湯に入っていたら、夏目さんが女湯に入っていたんです。『一緒に入ってもいいですか』と聞いたら『子供だったらいいよ』と言ってくれて。すごく恥ずかしかったですね(笑)
子供といっても、小学校高学年から中学校くらいの男の子たちですからね。
受け入れてくれた夏目さんもすごいですが、言いだした子役も大それたものです。
言いだしたのが山内さんであったかどうかまでは、はっきりしませんでした。
その後も、「暴れん坊将軍」や「必殺剣劇人」などに名前付きの少年の役で出演されています。
NHKの連続テレビ小説も「あさが来た」が初めてではなく、「はっさい先生」ですでに出演されていました。
タトゥーはノリで入れた
ドラマや映画で見るかぎりではわかりませんが、山内さんはタトゥーを入れられています。
両方の肩から肘までの二の腕部分と、左足のふくらはぎ部分に確認されています。
タトゥーはシールなどではなく、本物だということです。
黒一色のカッコいいタトゥーですよね。
龍や般若のような怖い方たちのものとは違います。
役者さんなので、タトゥーがあることで演じられない役も出てきてしまうのではないかと心配になりますが、なぜ入れられたのか気になります。
タトゥーは、タイに行ったときにノリで入れたと以前話されたことがあるそうです。
ノリで入れるにしては、かなりの大きさがありますよね。
しかし、ノリという言葉に、興味を持ったらまずやってみよう楽しもうという山内さんの考えが伝わってくるかのようです。
山内さんはタイがお好きだそうで、旅行に何度も行かれています。
ご本人のYouTubeチャンネルで旅行の様子も公開されています。
将来は移住を目指していらっしゃるようで、かなりディープなタイを楽しめる動画もありますよ。
吉本退社は2021年。芸人ではなく俳優
山内さんは、20年ほど吉本興業に所属されていました。
よしもとクリエイティブエージェンシーの俳優部に属していたそうです。
吉本と聞くと、芸人さんのイメージが強いですが、俳優さんやスポーツ選手で所属されている方も多くいらっしゃいます。
山内さんは、事務所に「大事にしていただきました」とおっしゃられてはいますが、2021年に退社されています。
はい。今日は吉本所属最後の日。
二十年、御世話になりました。
自分は、ほんとに吉本に大事にしていただきました。
「ほななんでやめんねん」とお思いの方は、「山球」の配信観なはれ。
吉本俳優班に幸あれ。 https://t.co/wDwGbYmtUt— 山内圭哉 (@yamauchi_takaya) March 31, 2021
マネージャーがコロコロと変わることや、俳優とは思えない仕事の依頼が入るなど、退社前から不満を漏らされることがありました。
大きな事務所に所属していることでの良い部分と悪い部分を考えられて決断されたようです。
ただ、吉本所属の福田転球さんとのユニット「2Cheat」はそのまま続けられるそうです。
2019年、2021年と2年ごとに開催しております山内圭哉・福田転球のユニット「2Cheat」が、さらに2年の時を経て「2Cheat6(ツーチートシックス)」として大阪・東京の2都市にて開催することとなりました。
お二人がほぼ台本なしで楽しみまくる90分は、芸人さんと同じくらい楽しませてくれますよね。
芸人枠と思われてしまう理由は、山内さんの面白さにあるのかもしれません。
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