柿澤勇人の学歴まとめ。大学は7年で卒業。高校時代の転機&中学時代ジャニーズからスカウト

大河ドラマの「鎌倉殿の13人」や、話題になった「真犯人フラグ」などの人気ドラマに出演された俳優の柿澤勇人(かきざわはやと)さん。

実は、劇団四季のご出身だというのはご存じでしょうか。

「ライオンキング」に感動し、人生の目標を変えた柿澤さん。

エスカレーター式に大学まで進学できる学校を辞めてまで夢に突き進む熱い情熱の持ち主のようです。

そこで今回は、夢の実現に向け突き進まれる柿澤さんの学歴や、学生時代のエピソードをお伝えしていきます。

柿澤勇人のプロフィール

愛称:かっきー

本名:柿澤勇人

生年月日:1987年(昭和62年)10月12日

身長:175cm

出身地:神奈川県

最終学歴:首都大学東京(現:東京都立大学)卒業

所属事務所:ホリプロ

柿澤勇人の学歴まとめ

柿澤さんは、幼稚園から中学校まで私立の成城学園に通っていました。

成城学園というのは、東京都世田谷区にある幼稚園から大学・大学院までを擁する総合学園です。

日本を代表する高級住宅街に位置し、多くの芸能人や著名人、また、そのご子息が通われることでも有名な学園でもあります。


柿澤さんも、曾祖父が人形浄瑠璃の語り手・清元志寿太夫さんで、祖父が三味線奏者の清元榮三郎さんという良家のご出身です。

成城学園の出身と聞いて、なんの違和感もないですよね。

とにかくサッカーが好きで、サッカーばかりしていたという少年時代。

しかし、成城学園初等学校には独自のカリキュラムがあり、劇や映像、舞踊に触れることもあったようです。

この体験が、芸能に進まれる素地になっていた可能性もありそうです。

成城学園で高校・大学と進むことも可能でしたが、柿澤さんはさらに上のレベルでサッカーをしたい、プロ選手になりたいと学園を離れられました。

高校からは、サッカーの強豪校・東京都立駒場高等学校へ推薦で入学されました。

もちろんサッカー部に入部し、またもサッカーに明け暮れたそうです。

そのようななか、高校の課外授業で観た劇団四季の「ライオンキング」に感動した柿澤さんは、サッカーより「ライオンキング」に夢中になっていきました。

劇団四季入団の夢を反対する家族から、大学進学を条件に、オーディションに挑戦する許可を得たといいます。

それで、進学されたのが、首都大学東京(現:東京都立大学)ということです。

家族との約束としては、まず大学に進学してくれ、と。僕、ちゃっかり勉強してたので(笑)、運良く都立大学の指定校推薦がもらえたんですよ。

サッカーばかりしていると思ったら、「ちゃっかり勉強してた」という柿澤さん。

熱いだけではなく、冷静に判断のできる抜け目ないタイプのようですね。

大学は7年かけて卒業

劇団四季の入団オーディションへの挑戦の交換条件として入学した大学は、柿澤さんにとって、通う意義がなかったようです。


始業式のその日に退学を申し出たといいます。

でも一度、始業式の日に学生課に行って、
「あの、辞めたいんですけど‥‥」って。

理由を聞いた学生課の方が、大学は8年以内に卒業すればいいたから、「休学っていうのはどう?」と提案してくれたため、退学はしなかったそうです。

しかし、柿澤さんは、提案された休学もすることなく、大学を続けられました。

午前中の2コマだけ授業を受けて、午後からは専門学校である舞台芸術学院の夜間コースに通って、歌や踊りの練習を重ねたといいます。

空いた時間もスタジオを借りて、ひたすら練習したそうです。

半年間みっちりと練習し、1回目のオーディションで合格されました。

劇団四季への入団は、倍率が100倍以上ともいわれる難関です。

子供のころから歌や踊りをしていても落ちる人がいるなか、半年集中して1回で合格を勝ち取るとは、ものすごいことですよね。

オーディションに挑戦するのは1回だけと全精力をかけて挑まれたそうです。

審査される方の目に、柿澤さんのスター性や情熱が伝わったのでしょうか。

劇団四季の研究生になられた柿澤さんは、忙しい日々が始まり、今度こそ大学に通えなくなってしまったようです。

2009年に劇団四季を退団されてから復学し、入学から7年かけて卒業されることになりました。

高校の課外授業で観た劇団四季で人生が変わった

柿澤さんは、プロのサッカー選手を目指して強豪校である駒場高等学校に入学されました。

しかし、入学してみると強豪校だけに周りは自分よりうまい生徒ばかりだったといいます。


サッカーで上を目指すのは難しいのではないかと考えだしていたときに観た、劇団四季の「ライオンキング」が転機になったそうです。

高校では体育科サッカー専攻だったのですが、そこには200人もいて、試合に出られるのは11人。僕は4軍スタートで、自分はうまいと思って入ったのに、自分よりうまいやつが100何人もいる。現実を思い知って将来どうしようかと考えていたころ、芸術鑑賞の授業で『ライオンキング』を観て、何かがひらめきました。

それでも、いきなり歌やお芝居のレッスンを受けることはなかったようです。

サッカーをするために推薦で入学してきていたため、義理は果たしたかったのでしょうか。

高校の3年間は、しっかりとサッカーを続けられたそうです。

それでも、劇団四季のCDを購入し、MDに録音して試合前に聴いていたといいます。

MDにぜんぶ入れて試合前とかに聴いてました。
選手はみんな作ってたんです、
「モチベーション音楽」っていうんですかね。
試合前にイヤホンとかヘッドホンとかで聴くんですけど、
僕はそれがずっと『ライオンキング』で(笑)。

柿澤さんは、2008年に念願のシンバ役を射止められました。

一度きりの出演だったといいますが、「ライオンキング」は柿澤さんにとってかけがえのない作品であるようです。

寅年の新年のあいさつに、ライオンの話題を持ち出すくらいですからね。

中学時代はジャニーズにスカウトされたこともあった

柿澤さんは、中学生のころに、ジャニーズ事務所のスカウトを受けたことがあるそうです。

中学生のとき、コンビニの前で事務所の方に『入らないか』と声をかけられたらしいです。僕は覚えてないけど、母は『もし入ってたらどうなってただろうね』って。ユニットも組めてないくらいだろうなぁ

柿澤さん自身は覚えていなかったようです。


あのルックスに、サッカーで絞られた体、ガッツもありますから、入所していたらジャニーズでもデビューされていたのではないでしょうか。

ご本人は謙遜されていますが、年齢はNEWSやKAT-TUN、Kis-My-Ft2のメンバーが近いです。

どのグループでも馴染みそうで、アイドルデビューもあったかもしれませんね。

しかし、柿澤さん自身は、サッカー一筋で興味がなかったようです。

柿澤さんがサッカー中心の少年時代を過ごしていたことがわかるインタビューがありました。

学校に関わる12の質問の内、3問の回答がサッカーでした。

時間のある限り、サッカーをしていた事がわかりますね。

ひとつのことに集中して極められる柿澤さんですので、今後のご活躍も期待できそうです。


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