ストレートな歌詞と歌声でティーンエイジャーはもちろん、かつてティーンエイジャーだった世代へもメッセージを届け続けている甲本ヒロト(こうもと ヒロト)さん。
今回は高校卒業までを過ごした岡山の実家や生い立ちをはじめ、両親の職業に迫ります。
さらに親戚ではないかと噂されている芸能人や、中学時代の意外な同級生についてもみていきます。
甲本ヒロトのプロフィール
本名:甲本浩人
生年月日:1963年(昭和38年)3月17日
身長:174cm
出身地:岡山県岡山市
最終学歴:法政大学経済学部中退
所属事務所:HAPPY SONG
甲本ヒロトの実家は「ドライ甲本」、現在(2023)は閉店
1963年に岡山県岡山市で誕生した甲本ヒロトさん。
会話の中に「○○じゃろ?」「○○じゃけん!」といった方言を遊び半分で混ぜるのは、地元愛の表れかもしれません。
実家は市内で「ドライ甲本」というクリーニング店を営んでいました。
「ドライ甲本」は、かつてはファンが訪れると両親が気さくに応対し、ヒロトさんの話をしてくれるという聖地的な存在でしたが、2023年現在は営業していません。
いつごろ閉店したかは不明ですが、2013年の時点ですでにお店をたたんでいたようです。
理由としては、両親が高齢になり引退したとも考えられますし、あるいは父親が77歳で他界した際に閉店したのかもしれません。
ヒロトさんの実弟で俳優の甲本雅裕さんによると、自宅は店舗を兼ねていたそうです。
仕事場から戸を一枚隔てたところに居間があり、テレビを見るときも食事をするときも、仕事をする父親の背中が常にそばにあったとのこと。
甲本ヒロトさんは12歳のときに、ラジオから流れてきたロックンロールの洗礼を受けて一気に音楽に目覚めます。
岡山大学教育学部附属小学校から同附属中学校へ進学する直前の春休みのことでした。
このときもしもロックと出会わなかったら、「ドライ甲本」を継いでいた可能性もあったでしょう。
高校卒業間際にはラウンド・アバウトに加入して地元でバンド活動をしていましたが、まもなく法政大学に進学するため岡山の実家を離れます。
甲本ヒロト、「ボケ作」と呼ばれた生い立ち
小学校時代のあだ名は、担任の先生がつけた「ボケ作」でした。
ふたたび実弟の言葉を借りると、ヒロトさんはおとなしい性格で、じっとしていることが多く、いるのかいないのかわからないほど静かな子だったそうです。
ぼーっとしていて、空気のように存在感の希薄な少年だったのでしょう。
のちの激しいライブパフォーマンスとは結びつきませんね。
【ドライ甲本兄弟👬】
素敵な写真を見つけました😳🔍‼️
兄 #甲本ヒロト と 弟 #甲本雅裕 さんの
最近撮られた2ショット@ #下北沢珉亭さらに、一緒に写ってる方々の中には、#ブルーハーツ 以前にヒロトが一緒に
バンドを組んでた #亀山哲彦 さん?✨ pic.twitter.com/iqSVf2JgAh— とも (@les_special) April 25, 2021
初めて買ったレコードは西城秀樹さんの『薔薇の鎖』。
『薔薇の鎖』になったのは、『激しい恋』が欲しかったのに間違えたから。
さらに夏休みの宿題は毎年サボるのがお決まりでした。
ある年の夏、爪楊枝を折っただけの力作「歯の裏をほじれる爪楊枝」を意気揚々と提出したところ、誰にも気づいてもらえずに落ち込んだことも。
少年時代の夢は、一生働かず、親に養ってもらって、お菓子を食べながらテレビ三昧の生活をすること。
なんとも覇気のない夢ですが、この人生設計は大人になっても引きずっていたようで、そんなヒロトさんに「おまえはやればできる子なんだよ!」と活を入れたのが真島昌利さんでした。
そんな真島さんを「誰よりも自分を理解してくれた人」と位置づけ、「彼の期待を裏切りたくない」と殊勝なところをみせています。
一方で、ヒロトさんの学歴からは学業の優秀さもうかがえます。
通っていた岡山大学教育学部附属小学校は、岡山市内でも優秀な児童が入学することで知られる国立の小学校。
同附属中学校を経て進学した岡山操山高校もまた、県内では名の知られた進学校です。
ヒロトさんを幼少期から有名校に入学させ、偏差値の高い高校へ進学させた両親は教育熱心な方たちだったのでしょう。
甲本ヒロトを育てた両親
「ドライ甲本」を訪れたファンとのエピソードから、両親は社交的で温かい人柄だったと推測できます。
このような両親のもとで育ったことがヒロトさんの感性や性格に少なからず影響を与えたことは想像にかたくありません。
厳しくもやさしい父親は77歳で他界
クリーニング店の店主だった父親について、「アイロンを握ってる姿がいちばんかっこよかった」と語っている甲本ヒロトさん。
父親はクリーニング屋を営むかたわら、家出少年や悪さをした子供たちを保護する活動をしていました。
ヒロトさんや雅裕さんが帰宅すると、見知らぬ子が居間で食事をしていることもあったそうです。
もともと電車の運転士になりたかった父親は、電車をながめて「いやあ、運転士になりたかったなあ」としみじみこぼすこともありました。
夢をあきらめたのは、下にいる4人のきょうだいのために働かなければならなかったからです。
ヒロトさんの大好きなシーナ&ロケッツが岡山に来たときは、父親に「ロックのコンサートは不良が多いからだめ」と言われてライブに行けませんでした。
しかしあきらめきれないヒロトさんは、ライブ後のラジオ番組出演を狙って放送局の裏口で待ち伏せ。
このとき、父親は息子につきあって一緒に待ってくれたそうです。
厳しいながらも、息子の好きなものを尊重するやさしさが伝わってきますね。
先ほど「ヒロトさんがロックと出会わなかったら家業を継いだ可能性もあった」と書きましたが、父親は「クリーニング屋は俺の代でおしまい」と話していたのだそう。
自身に夢をあきらめた過去があるだけに、息子たちには何にも縛られず、好きに生きてほしかったのかもしれません。
父親は77歳で亡くなりました。
あまりに突然で、頭の中が真っ白になったと雅裕さんは話しています。
母親は80代で健在
母親についての情報はほとんどありませんでした。
おそらく夫婦でクリーニング店を切り盛りしながら息子たちを育ててきたのでしょう。
父親は他界しましたが、母親は健在であることがわかっています。
2023年1月13日、雅裕さんが82歳の母親との親子ショットをSNSで公開。
金髪ベリーショートの母親に、「かっこいい」「甲本兄弟を産んだ偉大な母」「ヒロトに似てる」などのコメントが上がっていました。
甲本ヒロトの親戚と噂された芸能人
ネット上では、甲本ヒロトさんの親戚ではないかと思われている芸能人が何人かいますね。
なかでもよく名前が挙がるのが南原清隆さんと金井勇太さんです。
内村光良&南原清隆「向かい合ってしゃべるのは照れる(笑)」も、今だから語れる『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』思い出話で大盛り上がり https://t.co/y2C43P3uce @NEWSONLINE1242より #ウッチャンナンチャン #ウッチャンナンチャンANN #内村光良 #南原清隆 #ANN55時間
— オールナイトニッポン (@Ann_Since1967) February 18, 2023
なぜ親戚疑惑が浮上したのかというと、お二方とも甲本雅裕さんに似ているから。
雅裕さんの親戚ではないかという憶測がヒロトさんの親戚説につながったのですね。
ですが、南原さんも金井さんも甲本兄弟と血縁関係はないそうです。
甲本ヒロトの同級生は水道橋博士、中川智正元死刑囚
家族ぐるみのつきあいをしている水道橋博士とは中学時代の同級生です。
当時は、おたがいを「小野くん」「こうもったん」と呼び合っていたのだそう。
水道橋博士の本名は「小野正芳(おの まさよし)」といいます。
水道橋博士がラジオ番組の公開生放送で、「ヒロトがロッカーになったのは中学時代にラジオからビートルズが流れてきたから、俺が漫才師になったのはビートたけしが流れてきたから」と語って拍手喝采を浴びたことがありました。
同じく中学時代の同級生で、あまり知られていないのが元オウム真理教幹部の中川智正元死刑囚です。
中川智正元死刑囚は医師を志して京都府立医科大学に進学し、麻原彰晃の主治医をつとめていました。
地下鉄サリン事件のあと、「同級生の中川くん」が指名手配された際は背筋が凍る思いがした、と水道橋博士は振り返っています。
おそらくヒロトさんも衝撃を受けたにちがいありません。
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