元宝塚歌劇団の雪組トップ娘役で、退団後は映画、ドラマ、舞台と活躍の場を広げている紺野まひる(こんの まひる)さん。
プライベートではパイロットの夫や子供たちと幸せな家庭を築いていますが、病気を乗り越えての出産だったことを告白しています。
まずは病気に悩まされた過去と2024年現在の活動状況をみていきましょう。
紺野さんといえば、あまりに突然の宝塚退団劇だっただけに退団理由が気になる人も多いようです。
宝塚時代の活躍や同期の顔ぶれにも注目しました。
紺野まひるのプロフィール
愛称:まひる
本名:濱田里佳子(旧姓)
生年月日:1977年(昭和52年)4月12日
身長:160cm
出身地:大阪府豊中市
最終学歴:宝塚音楽学校卒業
所属事務所:フラーム
紺野まひるは病気を乗り越えて2児の母に
2012年に長女を、2015年に次女を出産した紺野まひるさん。
待望の子供を授かるまでは、女性特有の病気や不安の日々がありました。
もともと生理痛が重いタイプであり、宝塚歌劇団の舞台に立ちはじめたころには鎮痛薬が手放せないようになっていました。
それだけでなく、20歳のときに受診した婦人科で、なんと2cmほどの子宮筋腫が発覚。
この筋腫が生理痛の原因かどうかはわからず、しかも手術するほどの大きさではないと医師に言われて、このときは放置することにしたのです。
その後も生理がくるたびに薬の助けを借りて舞台をこなす日々が続きました。
退団後はいくらか症状が落ち着いたものの、タイトなスケジュールと生理が重なったときは、やはり鎮痛薬は欠かせなかったそうです。
不安に思いながらも、忙しさにかまけて放置してきた子宮筋腫と真剣に向き合うことを決めたのは結婚後のことでした。
結婚の翌年、32歳で人間ドックを受けた紺野さん。
10年以上も見過ごしてきた筋腫は、すでに8cmに大きくなっていたのです。
筋腫は液状だったため、お腹の上から触ってもしこりに気づきにくい厄介なタイプ。
出産を望んでいた紺野さんは迷わず摘出手術を決断しました。
子宮筋腫があっても妊娠はできるのですが、「ないほうが赤ちゃんの居心地はいいだろうね」と医師に言われて納得したそうです。
第一子を妊娠したのは手術から1年ほどたったころ。
そして出産後は生理痛も以前より改善されました。
自分は病気を長いこと放置してしまったけれど、もし身体に少しでも気がかりな点があるのなら、億劫がらずに病院に行くべきと女性たちに呼びかけています。
経験者のアドバイスとして真摯に受け止めたいですね。
紺野まひる、現在(2024)子育てと並行して芸能活動
2024年現在は子育てと並行して芸能活動を行っている紺野まひるさん。
結婚後はメディアに登場する機会がいくらか減ったとはいえ、舞台やドラマなどの出演作品は目白押しで、順調な女優人生を歩んでいることがわかります。
まずはドラマをみていくと、『あなたがしてくれなくても』『DIY!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』『わたしの一番最悪なともだち』のほか、Webドラマ『ミス・シャーロック』に出演。
『僕の手を売ります』も控えています。
舞台では1月に開演した『ロミオ&ジュリエット』、10月の音楽劇『浅草キッド』のほか、朗読音楽会もありました。
2024年に子供たちは12歳と9歳を迎えます。
まだまだ手のかかる年齢ですが、主婦業・母親業と女優活動を立派に両立させているといえるでしょう。
紺野まひるの退団理由に噂あり
紺野まひるさんは、えまおゆう(当時の芸名は絵麻緒ゆう)さんの相手役に抜擢され、2002年2月に雪組トップ娘役に就任しました。
1996年に初舞台を踏んでから6年という早さです。
そして就任から7か月後の9月、大劇場トップお披露目となる『追憶のバルセロナ』&『ON THE 5th』東京公演千秋楽を最後に、えまおさんと同時退団しました。
トップコンビ大劇場主演作は1作品のみというスピード退団であり、これからの活躍をファンが楽しみにしていた矢先のことです。
いったい何があったのでしょうか。
えまおさんは自身の退団理由について「1公演だけで退団するのは残念だけれど、劇団の方針に従いました」と会見で明かしています。
劇団側が推したい男役が他にいたため、短期間のつなぎ役を割り振られたのではないかというのがもっぱらの見方です。
劇団の意向により退団が決まっていたえまおさんが、何名かいたトップ娘役候補のなかから紺野さんを指名し、それに紺野さんが応える形で相手役に決まったという経緯がありました。
えまおさん退団の裏にある大人の事情は紺野さんも知っていたはずですから、えまおさんに寄り添う形で同時退団となったのでしょう。
もとより宝塚ではトップコンビの同時退団はめずらしくありません。
#サヨナラ平成タカラヅカ
元 #雪組 トップ娘役 #紺野まひる さんのサヨナラ公演は02年(平成14)9月「追憶のバルセロナ」「ON THE 5th」。約6000人のファンに見送られたよ。「7年間、夢の世界で走り続けられて幸せでした」と笑顔でコメントしたよ。#takarazuka #宝塚歌劇団 pic.twitter.com/uw8HakJaGw— ベルちゃん@ニッカン宝塚 (@nstakarazuka) April 6, 2019
整理すると、劇団の意向で退団したのはえまおゆうさんであり、紺野まひるさんは芸能界への転身を視野に入れていたことから、ご本人の意思が大きかったといえるでしょう。
これまでに宝塚を満喫できたことや悔いはないこと、また退団するなら今だと思ったことなどを明言しているので、完全燃焼できたのではないでしょうか。
紺野まひる、宝塚時代の活躍と苦労
娘役トップとして活躍した時期が短かったことから、当初は紺野まひるさんが元タカラジェンヌということを知らない人も多かったようですね。
紺野さんは宝塚歌劇団82期生で、入団時の成績は3番でした。
月組公演で初舞台を踏んだのちに雪組に配属され、入団1年目から『虹のナターシャ』で新人公演ヒロインに抜擢されます。
『アナジ』ではバウホール公演・東上公演初ヒロイン。
美しく清楚な容姿から正統派娘役として期待を集め、その後も順調に舞台経験を積み重ねてきました。
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その一方で、早くから大役を射止めた「期待の星」ならではの苦労もありました。
雪組の同期ではリーダー的な立場だったため、何かあると紺野さんが叱られるのです。
叱られたことが忘れられず、舞台で涙があふれてきて、セリフを言うのが精一杯になったときもあったそうです。
終演後、怒られるのを覚悟で相手役の上級生に謝りにいくと、意外にも「えっ、全然わからなかったよ」という返答。
これを先輩の優しさだと受けとった紺野さん。
宝塚時代は温かく見守ってくれる上級生や支えてくれる同期生がいて、とても恵まれた環境だったと同時に、今の自分をつくり上げてくれた場所だったと振り返っています。
紺野まひるの同期に蘭寿とむ、壮一帆
82期生とは、1994年に宝塚音楽学校に入学し、1996年に宝塚歌劇団に入団した38名をさします。
特筆すべきは、1994年の音楽学校の競争率がおよそ50倍の狭き門となり、過去最高を記録したことでしょう。
紺野まひるさんの同期には、元花組トップスターの蘭寿とむさん、元雪組トップスターの壮一帆さん、元月組男役の遼河はるひさん、月船さららさんらがいます。
初舞台は月組公演『CAN-CAN』&『マンハッタン不夜城』でした。
宝塚退団時から、女優業への前向きな意欲をみせていた紺野まひるさん。
母親になったことで、今後ますます演技の幅が広がっていくのではないでしょうか。
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