代表曲「酒と泪と男と女」が特に有名なシンガーソングライターの故・河島英五(かわしまえいご)さん。
災害復興や自然保護活動に熱心に取り組んだという彼の歌声は、アフリカという異国の地の青年が泪するほどに強烈なものでした。
この記事では、彼の遺志を受け継ぎ活動を続けているという家族についてまとめました。
河島英五のプロフィール
愛称:英五さん
本名:河島英五(かわしまえいご)
生年月日:1952年(昭和27年)4月23日
身長:182cm
出身地:大阪府東大阪市
最終学歴:大阪府立花園高等学校卒業
所属事務所:-
河島英五の妻・牧子、夫の遺志を継ぎ活動
河島英五さんは2001年4月16日にC型肝炎の悪化に伴い、48歳で急逝しました。
彼の妻・牧子さんは、幼い頃から一緒に過ごし長年連れ添った夫の死を受け入れられず、しばらくは何も手につかない状態だったといいます。
しかし、妻・牧子さんは悲しみに明け暮れるばかりの毎日を送ることを良しとせず、英五さんの遺した音楽や想いを後世に伝える活動を続けてきました。
2023年で70歳になる妻・牧子さんは再婚もせず、英五さんへの想いを一途に貫いたのです。
幼なじみから夫婦に
河島英五さんと牧子さんは、同じ大阪府東大阪市に住んでいた幼なじみでした。
英五さんとは学年が一つ下で、小学校から高校までを同じ学校で過ごしたのです。
二人はバンドやバスケットボール部でも一緒に活動し、振り向けばいつもそばにいるような間柄だったといいます。
牧子さんが高校2年生の時には二人で夜の学校へ忍び込み、音楽室でこっそりとピアノを弾いていたなんていうエピソードもありました。
子供の頃からとても仲が良かったことがうかがえますが、二人は早い内から恋人同士だった訳ではないといいます。
牧子さんが高校2年だったある日、剣道部の先輩と神社でデートをしているところを英五さんに目撃されてしまったそうです。
その日の夜に英五さんから電話で「奴と別れて、俺と付き合え!」と突然告白されたんだとか。
牧子さんはその場で即答はしなかったようで、先輩に相談したそうです。
すると、「あいつだけはやめとけ、苦労する」と言われたそうですが、結局はOKしてしまったといいます。
まるでどこかの青春ドラマのようなエピソードですが、それ以来二人は恋人同士となり、やがて結婚することになるのですね。
神社でのデートを「たまたま見られた」という牧子さんですが、神社って学生がたまたま行くような場所ではない気がします。
英五さん、本当にたまたまだったのでしょうか。
「先輩」という方も、往生際が悪いですが。
夫の遺志を継ぎ慈善活動を継続
牧子さんは英五さんの生前から創作活動や慈善活動をサポートしてきましたが、その姿勢は、彼が亡くなってからも変わりませんでした。
英五さんは生前、阪神淡路大震災の復興支援チャリティーコンサートや自然保護活動に力を入れていました。
牧子さんはその遺志を受け継ぎ「有限会社スロートレイン」の代表として活動を続けています。
英五さんの呼びかけで始まった復興支援コンサート『復興の詩』は、彼が亡くなってからも牧子さんをはじめとする遺族や仲間たちによって毎年開催。
6回目までしか参加が適わなかった彼の「最低でも10年は続ける」という想いを成し遂げました。
河島英五
阪神淡路大震災
震災遺児のためのチャリティコンサート『復興の詩』
「被災した建物は戻せても、
心の復興には最低10年かかる。
一過性のチャリティコンサートではだめ。
10年は続けたい。
毎年、気にかけているよ、
忘れてないよ、と伝えたい。」 pic.twitter.com/LnC8FULpmK— 河島英五【slow train music】 (@eigoten2021) January 17, 2022
また、この会社では「河島英五基金」の活動をサポートするなど、様々な慈善活動を行っているということです。
自然活保護活動団体への出資を主な目的としているそうですが、その活動は自然保護のみならず、各地の震災復興支援や新型コロナウイルスのパンデミックで疲弊した医療従事者への寄付も行っています。
河島英五基金の代表は息子・翔馬さんです。
まさに、夫から妻へ、妻から子へと助け合いの精神が受け継がれているようですね。
河島英五の子供は皆、芸能活動。娘二人・息子一人
河島英五さんには娘が二人、息子が一人で三人の子供がいます。
河島さんの家族は芸能一家としても知られており、子供たちは三人とも芸能活動をしているのだとか。
妻・牧子さんと同じく英五さんの遺志を受け継いでいるという、三人の子供たちについてお伝えします。
長女はタレント・あみる
英五さんの長女は、2023年現在45歳になるタレント・河島あみるさんです。
牧子さん同様、チャリティーコンサート『復興の詩』にも参加していました。
ラジオパーソナリティーとしても知られていますが、2021年には「株式会社ツキハナ」を設立し、様々なイベントに携わっています。
あみるさんはタレントとされていますが、自身で音楽活動もするということです。
また、あみるさんは2008年に再婚しており、元夫との間に長男・天夢(てん)、次男・空風(くう)、今の夫との間に長女・月花(つき)がいるといいます。
あみるさんの長女・月花の名前は、英五さんの曲「月の花まつり」から名付けられたそうで、会社名「ツキハナ」も同じ由来なのだろうなと思ったのですが、やはり、その通りなのだそうです。
次女はミュージシャン・亜奈睦
次女・亜奈睦(あなむ)さんはあみるさんの2歳下で、2023年現在43歳です。
彼女はミュージシャンをしており、女性二人の音楽ユニット・アナム&マキのメンバーとして活動していました。
このユニットではボーカルやギターのみならず、ハープまで奏でていたのだといいますが、惜しくも2008年に活動を休止したそうです。
彼女はその後も父・英五さんの曲をコンサートで歌うなど音楽活動を続け、家族が経営する会社のサポートも行っています。
彼女がスペシャルコンサートで歌った英五さんの楽曲「生きてりゃいいさ」は、母・牧子さんが彼女を妊娠した頃に作られた曲だといいますから、感慨深いものがありますね。
夢は父と同じ紅白出場で、さらには、日本を歌で盛り上げることが目標だということです。
また、2009年に生まれた長女・愛流来(あいるら)さんがいます。
長男はミュージシャン・翔馬
長男・翔馬(しょうま)さんは末っ子で、2023年現在40歳になるミュージシャンです。
シンガーソングライターとしても活動しており、代表的なものとしては、父・英五さんの遺した歌詞からインスピレーションを得て完成させた「大事な人」という楽曲を堀内孝雄さんに提供をしています。
やはり英五さんの存在は大きいようで、彼が遺した歌詞は自身の楽曲にも取り入れているようですね。
父・河島英五の未完成の詩に補作し、作曲して発表。
河島英五基金の代表としても活動し、母と二人の姉同様、慈善活動に力を入れているそうです。
また、2010年に長女・梨音(りん)さんを儲けています。
家族経営のカフェ「TEN.TEN.CAFE」
牧子さんら家族が長年営むカフェが奈良市にあります。
ワッフルが人気のこのカフェは2店舗目で、2003年12月17日にオープンしました。
かつて英五さんの生前に経営していた大阪・法善寺横丁の店は、2度の火災に遭い閉店しています。
この最初の店には英五さんが描いたという壁画が飾られていましたが、奈良大学の教授や学生らの協力もあり、なんとか取り出して修復できたそうです。
牧子さんはこの時、19点の壁画が次々と修復されよみがえる様子に「もう一度店をやろう」と思えるようになり、TEN.TEN.CAFEを開く決心がついたのだといいます。
壁画は、アフガニスタンで見たラクダなどを英五さんが墨で描いた。
このカフェでは英五さんが愛用していたというギターやバイクが展示され、ファンにとっては聖地のような場所となっているそうです。
この独特な店名は孫(あみるさんの長男)の名前・天夢(てん)にちなんだものだそうです。
もしかしたら、天国にいる英五さんと家族を繋ぐ架け橋になるような店という想いが込められているように思えてなりません。
生前の自宅は妻の会社所在地
英五さんの生前の自宅は大阪府四條畷市にあり、いまでも牧子さんが住んでいると思われます。
今では考えられないことですが、彼の死を報じた新聞記事では自宅住所が公開されていました。
自宅は四条畷市田原台5-9-24。
この住所は牧子さんが代表を務める「有限会社スロートレイン」の所在地にもなっています。
牧子さんは、夫・河島英五さんとの思い出が詰まったこの家で、家族と共に年を重ねてこられたのですね。
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