木山裕策(きやまゆうさく)さんは、歌手と一般会社員という二足のわらじで活動を続けて来られました。
ですが、実は若い頃に目指していたのは、歌手ではなく脚本家だったそうです
そんな木山裕策さんの意外な若かりし頃の夢などについて、お伝えします。
木山裕策のプロフィール
本名:木山裕策
生年月日:1968年(昭和43年)10月3日
身長:183cm
出身地:大阪府大阪市京橋
最終学歴:大阪外国語大学外国語学部スペイン語専攻卒業
木山裕策、若い頃の夢は脚本家だった
会社員として働いていた頃、悪性腫瘍ができた木山さん。
病気を克服したら夢だった歌手にもう1度挑戦するという感動的なバックボーンがあり、見事歌手として成功しています。
そんな木山さんの若い頃は「脚本家」になるのが夢だったそうです。
もちろん歌手になることも夢の1つで、大学時代にはバンド活動などもしていたそうですが、歌で食べていくということの難しさを感じて断念したそうです。
確かに歌手で食べていくなんて、相当ラッキーでないと難しいことです。
そんな木山さんは、大学を卒業後に「脚本家になる」という、もう1つの夢のために動き出しました。
まずは地元の大阪で塾講師として約1年間働き、上京するための資金を貯めていたそうです。
そして上京すると、アルバイトや契約社員として働きながら、夜に「日本脚本家連盟ライターズスクール」に通っておられました。
今日は母と『木山裕策と歌声カルテットの昭和歌謡コンサート』へ。昭和歌謡の美しい歌詞が沁みました♪💕
余談:ヴァイオリニストの方の弓が気になりご本人に伺ったら、なんとチェロ弓で弾いているとのこと! そして木山さんを調べたら、脚本家連盟スクールの先輩だと知り親近感が湧いたのでした。
— MARIKO|ライター (@marianttrice) April 19, 2022
「日本脚本家連盟ライターズスクール」は著名な脚本家を多数輩出していて、2023年に大ヒットした「VIVANT」の脚本家の李正美さんも生徒でした。
2005年に「天使のナイフ」で第51回江戸川乱歩賞を受賞した薬丸岳さんは、「日本脚本家連盟ライターズスクール」では木山さんの同期生。
隣の席になったことから親しくなり、それ以来親交が続いているそうです。
脚本家になるために勉強をしながらアルバイトに明け暮れていましたが、27歳の時に結婚し、長男が誕生しました。
それでも奥様は木山さんの夢を応援し、バイト生活をしながら生活をしていました。
ですが、やはり子供を育てていくには現実的な問題から目を背けるわけにはいきませんでした。
子供が生まれてから1年後、28歳の時に脚本家になるという夢を諦め、会社員として就職することにしました。
木山さんにとっては、「脚本家」という夢を断念するのは、「歌手」に続いて2度目の経験でした。
悔しかったでしょうが、それよりも家族のために働かなくては、という思いが強かったそうです。
「これは自分の夢を追いかけている場合じゃない。家族を養うためにちゃんと働かなくては」と、脚本家を諦めて就職することにしました。
木山さんがどういった脚本を書かれていたのかは、気になりますね。
時間はかかりましたが、木山さんは1度は諦めた「歌手」という夢を見事に叶えました。
「脚本家」という夢も、これから先に叶う日が来るかもしれませんね。
勤務先はリクルートだった
木山裕策さんが「歌手」と二足のわらじを履いていた一般企業は「リクルートメディアコミュニケーションズ」だったそうです。
結婚して長男が誕生したため28歳の時に就職活動をはじめましたが、それまではアルバイトしかしていなかったために就職活動は難航していたそうです。
当時、インターネットやIT業界が勢いづいてきた時期だったそうで、PhotoshopやHTMLを独学で勉強し、採用してくれたのがリクルートだったそうです。
28歳で初めて社会に出たような状態で、最初は名刺交換すらうまくできなくて苦労されたそうです。
ですが、気がつけば深夜残業も当たり前の会社人間になっていたそうです。
会社内でも出世し、100人以上もスタッフがいる部署の課長になりました。
ですが、100人以上もいる全スタッフに2ヶ月に1度は面談をしたり、気を配らなければいけない状況。
さらに自分自身の仕事もどんどん増えていき、元々内向的な性格だった木山さんは、次第に鬱々としていたそうです。
そんな日々を送っていた36歳の時、人間ドックで悪性腫瘍が発見されました。
医者には手術で声ができなくなる可能性があることを告知され、絶望していたそうです。
ですが、もしも病気を克服できたら歌手にもう1度挑戦しよう、という想いで手術を受け、リハビリの甲斐もあって手術前のように歌うことができたそうです。
そしてテレビのオーディションを受け、実際に歌手デビューが決まりました。
そこで問題になったのは、会社の規定でした。
歌手デビューが決まったことを人事担当に相談すると、「会社の規定で許可できません」と言われてしまいました。
木山さんはどうするべきが悩んでいたそうですが、当時のリクルートの社長が「じゃあ規定を変えてしまおう」とすぐに会社規定を変更してくれたそうです。
社長のおかげで木山さんはリクルートで働きながら、歌手活動をすることができました。
歌スタでデビューをし、8月26日に2ndシングル「I believe/永遠」を発売した木山裕策さんは、リクルートグループで働きながら歌手活動をしているそう。mixiコミュではじめて知ったけど、急激に親近感が湧いてきた。応援しよう!
— koji_notsu (@kozy_notsu) August 31, 2009
歌手としても成功し、平日は会社に通い、週末は歌手活動をしていました。
当時は奥様にも「homeという歌を歌ってるのに全然家にいないね」と冗談を言われる状況でしたが、やはり忙しすぎたようです。
2010年に「子供と過ごす時間を増やしたい」とリクルートを退職し、残業の少ない会社に転職されたそうです。
大切な家族との時間を作るために転職されましたが、歌手活動を許してくれた会社には感謝されているのではないでしょうか。
デビューのきっかけは島田紳助ではなく「歌スタ!!」
木山裕策さんは、2007年に日本テレビ系の番組「歌スタ!!」に出演したことでデビューのきっかけをつかみました。
2008年2月6日にシングル「home」でデビューし、その後島田紳助さんが司会を務めていた「行列のできる法律相談所」に出演し、大変話題になりました。
そのため木山さんのデビューのきっかけを作ったのは紳助さんと勘違いされている方もいらっしゃいますが、それは間違った情報です。
木山裕策さんのホームかな🏠
帰ろうかもう帰ろうよやさしく温かい歌
木山さんも、病気と戦いながら歌手の夢を持っていたね
紳助さんの力で、レコードデビューしたね pic.twitter.com/zvQf9L84in— む〜みんママ (@montanmama1224) March 4, 2023
ですが、「行列のできる法律相談所」に出演したことで、一気に木山さんの歌手になるまでの物語と、「home」という楽曲の素晴らしさが多くの方に伝わりました。
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