脇阪寿一は若い頃にF1チャンス!実家は奈良。父親はホテル経営、弟はレーサー&高校時代

レーサーとしての実力の高さに加えて、親しみやすい人柄でも人気の脇阪寿一(わきさかじゅいち)さん。

バラエティ番組にも多数出演し、高いトーク力でタレントとしても活躍しています。

今回は、脇阪寿一さんの若い頃や実家、家族についての情報をお伝えします。

脇阪寿一のプロフィール

本名:脇阪寿一

生年月日:1972年(昭和47年)7月29日

身長:177cm

出身地:奈良県奈良市

最終学歴:龍谷大学付属平安高等学校

所属事務所:吉本興業

脇阪寿一は若い頃F1のチャンスがあった

「ミスターGT」の異名でも知られる脇阪寿一さん。

2001年以降はトヨタのワークスドライバーとして広く知られています。

そんな脇阪寿一さんですが、若い頃はホンダ系のレーシングチーム「童夢」と関りが強いドライバーでした。


童夢に移籍してから全日本F3選手権でチャンピオンを獲得したのも、。

1997年にフォーミュラニッポンにステップアップした際も童夢で走っています。

童夢は、1997年から自家製シャシーでF1への参戦を計画していました。

1996年にはプロトタイプのシャシーが完成、脇阪寿一さんはテストドライブを担当しています。

ほかにも服部尚樹さんや黒澤琢弥さんもテストドライブに参加しました。

1996年当時、脇阪寿一さんは24歳。

残念ながら、さまざまな理由により童夢のF1参戦は実現しませんでした。

しかしもし実現していたら、F3で速さを見せており、年齢的にもF1参戦に適してた脇阪寿一さんがドライバーに起用されていたかもしれません。

F1で日本のコンストラクターに日本人ドライバーが乗る姿を、1990年代後半に見れたかもしれないと思うと実現しなかったのは残念ですね。

また1998年には、中堅チームジョーダングランプリのテストドライバーも担当。

当時のジョーダングランプリは時折優勝するなど、上位に肉薄する速さを見せていました。

脇阪寿一さんにどれほどドライブの機会があったのかはわかりませんが、1999年の同チームの大躍進に貢献していた可能性もあります。

脇阪寿一の実家は奈良

脇阪寿一さんの実家は奈良にあります。


場所は奈良公園や東大寺の近くとのことですが、詳しい住所は不明です。

1973年から7年かけて行われた東大寺大仏殿の昭和大修理。

当時小学生だった脇阪寿一さんは、実家が近いこともあってバックヤードなどに入れてもらえたようです。

普段は入れない屋根裏などにも入れてもらえたようで、貴重な体験ができたと語っています。

プロのレーサーとなって東京で暮らすようになってからも、年に一度は帰省するほど地元愛は強い様子。

脇阪家は奈良の名門で、実家は奈良公園に生息する鹿の管理を行っているという噂もありますが真偽は不明です。

ちなみに、レーシングドライバーの脇阪薫一さんは、脇阪寿一さんの実の弟です。

レーシングドライバーになるためには多額の資金が必要になります。

兄弟2人もレーシングドライバーにできたということは、実家が相当なお金持ちだったのは間違いないでしょう。

脇阪寿一の父親はホテル経営者

脇阪寿一さんの父親の名前は啓行さん。

奈良ガーデンホテルというホテルを経営していました。

2023年現在、奈良ガーデンホテルの住所と電話番号は別の施設のものとなっていますのですでに経営には関わっていないと思われます。

また、父親の啓行さんはそば打ちが趣味だった様子。

かつては奈良公園の近くに蕎麦屋も経営していたようです。


また、BMW販売会社の社長を務めていたという噂もあります。

息子2人をレーシングドライバーに育て上げた、父親の啓行さん。

自身にレースの趣味があったのかどうかは不明ですが、お金を稼ぐ能力が高かったのは間違いないでしょう。

脇阪寿一の弟はレーサーの脇阪薫一

脇阪寿一さんには弟がいます。

名前は脇阪薫一さんで、兄と同じくレーシングドライバーです。

F3、フォーミュラニッポン、そしてSUPER GTと兄と同じカテゴリーで活躍していました。

F3やフォーミュラニッポンなど、フォーミュラカーではなかなか結果を残すことができませんでしたが、耐久レースなどでは好成績を残しています。

筆頭すべきは2002年の鈴鹿1000km。

脇阪寿一さんとの兄弟チームで総合優勝を飾ります。

鈴鹿1000kmの歴史の中で、兄弟での優勝は史上初となる快挙でした。

2014年に大阪の北新地にイタリアン創作レストラン「四十壱番」を開店させます。

美味しくて安いコスパの良いお店と評判でしたが、2023年現在は営業していない様子。

2008年以降レース活動はほとんど行っていませんでしたが、2015年にSUPER GTに復帰。

2023年現在もGTワールドチャレンジに参戦するなど現役ドライバーとして活躍しています。

柔道家としての一面も持っており、2021年時点で茶帯に昇格しています。


2023年、48歳になっても現役で活躍する脇阪薫一さん。

これからも現役ドライバーとして、末永く頑張って欲しいですね。

脇阪寿一は龍谷大学付属平安高校卒業

脇阪寿一さんは、龍谷大学付属平安高校の卒業生です。

同校は京都市下京区にある高等学校。

2023年現在の偏差値は50から60程度と、京都府内では比較的上位に位置している学校です。

脇阪寿一さんは免許を取りたての頃、ランドクルーザーで通学していたことがあるそうです。

高校時代からスピードに対する憧れはあったようですが、スクーターに乗る程度で本格的にモータースポーツに参加してはいませんでした。

高校時代はとにかく自然と戯れるのが好きだったと語る脇阪寿一さん。

自分のことを「ファーブル寿一」と呼んでいたそうです。

免許を取得しようと思ったのも、自転車で魚や昆虫を捕まえに行くよりスクーターの方が早いと思ったからとのこと。


最初はただの移動手段でしかなかったスクーターですが、徐々にスピードに対するあこがれが芽生えていったそう。

高校時代にスクーターに乗ってなかったら、レーシングドライバーとしての脇阪寿一さんは生まれなかったかもしれません。

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