谷口信輝、若い頃ドリフトで有名!イケメンで身長も高い&ドラテク抜群で峠も速い

D1グランプリやSUPER GTなど、カテゴリーを問わず好成績を挙げている谷口信輝(たにぐちのぶてる)さん。

元々は車関係のジャーナリスト志望だったこともあり、レーシングドライバーとしてデビューしたのは30歳の時でした。

今回は、谷口信輝さんの若い頃やドラテクについてお伝えします。

谷口信輝のプロフィール

愛称:ノブ、NOB

本名:谷口信輝

生年月日:1971年(昭和46年)5月18日

身長:185cm

出身地:広島県佐伯郡

最終学歴:不明

所属事務所:GOODSMILE RACING

谷口信輝は若い頃にドリフトで名をあげた

谷口信輝さんは、若い頃はドリフトが得意なドライバーでした。

自動車と出会ったのは18歳の時。

元々はバイクに夢中な少年だったようで、ミニバイクのレースで日本一に輝いたこともあるそうです。


このままプロのライダーになるか迷っていた時に、ドリフトしながら交差点を曲がる車を目撃。

その姿に衝撃を受けた谷口信輝さんは、興味の対象がバイクから4輪車に移ります。

最初はRX-7でドリフトしたいと考えていたと語っています。

RX-7は、ロータリーエンジンを搭載したマツダのスポーツカー。

魅力的な外観や素晴らしい走行性能が特徴のスポーツカーで、国内外問わず非常にファンの多い車種です。

しかしロータリーエンジン搭載故に燃費はあまり良くなく、維持が難しい車種でもあります。

谷口信輝さんが従兄弟にRX-7でドリフトしたいと相談した際も、燃費が悪いからやめておけと言われたそうです。

最終的に知人に勧められてAE86を購入。

以後本格的に4輪のドライバーとして活動するようになります。

1996年に行われたドリフト大会「いかす走り屋チーム天国」の中四国大会で3位、「第2回いか天全国大会」でも3位を獲得。

ドリフトの名手として、その名が全国に知られるようになります。

ちょうど同じ頃、大人気漫画「頭文字D」の連載が開始。

同時期、谷口信輝さんは「クボタ食品」という会社で豆腐の配達を行っていたそうです。

AE86に乗っていて豆腐を配達している、そしてドリフトが得意と共通点が多かったため、漫画のモデルと間違われた時期もあったとのこと。


その後、2001年に30歳でレーシングドライバーとしてデビュー。

D1グランプリやSUPER GTで好成績を残し、一流ドライバーの仲間入りを果たします。

レーシングドライバー谷口信輝さんの基礎は、AE86とドリフト走行にあると言っても過言ではありません。

もし19歳の時にAE86ではなくRX-7を選んでいたら、ドリフトを続けていなかったかもしれません。

レーシングドライバー谷口信輝さんが存在するのはAE86のおかげと考えると、感慨深いものがありますね。

谷口信輝はイケメンで高身長

華麗なドリフト走行で一躍有名となった谷口信輝さん。

その走りはもちろん、高身長でイケメンなところも注目されていました。

2019年に行われたSUPER GTに参戦しているドライバーを対象とした男前選手権において、谷口信輝さんは5位を獲得。

大嶋和也さんや牧野任祐さんなど若いドライバーを従えてのランクインです。

谷口信輝さんは、目つきが鋭いワイルドなタイプのイケメン。

若い頃から整った顔立ちで、50代以降からは立ち振る舞いに渋さも加わっています。

また、身長185cmとレーサーとしてはかなりの高身長。

絵に描いたような高身長イケメンといえます。


立っているだけで様になる谷口信輝さん。

俳優やアイドルとしても人気が出そうですが、芸能関係の仕事はしていないようです。

谷口信輝さんは、2011年に結婚しています。

お相手は、真偽は不明ですがレースクイーンとのこと。

これほどのイケメンであれば、独身時代はたくさんの女性が言い寄ってきたでしょうね。

日本トップクラスのドラテクの持ち主

谷口信輝さんは、元々ドリフト走行で名をあげたドライバーです。

綺麗にドリフトするためには、車の挙動を正確に理解しなければなりません。

谷口信輝さんはドリフトだけではなく、サーキットでも速さを見せています。

ドリフトを綺麗に走るテクニックとサーキットを速く走るテクニックはまた別物。

そのどちらも高いレベルで習得しているということは、日本トップクラスのドラテクの持ち主と言って過言ではないでしょう。

ブレーキを残さずにコーナーに進入するのが、谷口信輝さんのドラテクの特徴の1つ。

ブレーキが残ったままだと、コーナーが曲がり辛くなるそうです。

タイヤの使い方が上手い、ウエットとドライの中間位のコンディションでのコントロールが非常に上手いのも特徴になります。


抜群のドラテクの持ち主ですが、元々はレーサーになる気はなかったとのこと。

車関係のジャーナリストになりたくて広島から上京したのは、ファンの間では有名な話ですね。

2022年から日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員を務めることになった谷口信輝さん。

自身が委員に選ばれた際は、上京当時の夢が叶ったようで嬉しいと語っていました。

谷口信輝が走っていた峠は妹背の滝

谷口信輝さんは、AE86に乗っていた頃は地元の峠道で腕を磨いていました。

走っていたのは、妹背の滝という峠道。

道幅が非常に狭い峠道で、速く走るには相当な度胸とテクニックが必要です。

車1台がギリギリ通れるような幅の道で、谷口信輝さんはAE86を駆りドリフトで駆け抜けていました。

2020年、愛車のスカイラインを群馬サイクルスポーツセンターに持ち込みテスト走行を行う動画が公開されます。

エスケープゾーンがまったくない峠道、状態も万全ではない車にもかかわらず華麗にドリフトを決める様子が映像に収められています。

非常に怖かったと語っていますが、接触やスピンなどを起こさずに完走。


怖かったと言いつつも、走行中非常に落ち着いていたのも印象的でした。

妹背の滝を攻めていた頃もクールに運転していたのか、ファンは気になるところですね。

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