卓越したドライビングテクニックと自動車に関する深い見識の持ち主である土屋圭市(つちやけいいち)さん。
気さくな人柄でも知られており、車好きから絶大な支持を得ています。
今回は、土屋圭市さんの若い頃や凄さについてお伝えします。
土屋圭市のプロフィール
愛称:ドリキン
本名:土屋圭市
生年月日:1956年(昭和31年)1月30日
身長:167cm
出身地:長野県東御市
最終学歴:埴生高等学校
所属事務所:K1PLANNING
土屋圭市は若い頃走り屋だった
土屋圭市さんは、若い頃走り屋でした。
走り屋とは、峠道などでスピードを競う集団のこと。
土屋圭市さんは、碓氷峠などで走っていたそうです。
碓氷峠は、群馬県にある峠道。
「頭文字D」などにも登場した、走り屋の聖地として名高いスポットです。
土屋圭市さんは、若い頃碓氷峠を相当走り込んだとのこと。
後にツーリングカーレースで見せた速さは、碓氷峠で走り込んだ成果とも言えるでしょう。
峠を走り込むことで得られたのは、車を操縦するテクニックだけではない様子。
峠道はブラインドコーナーの連続で、基本的に前方の確認が困難です。
そんな状況で速く走るためには、瞬時に正確な判断を下せる状況確認能力などが必要になります。
土屋圭市さんは峠を走り込むことで、瞬間的に正確な判断を下せる能力も鍛えられたそうです。
道路脇の葉っぱが反射する光の加減などで、前方から車が来ているかどうかを判断できたと語っています。
峠を走っていると、警察と遭遇することもあったと語る土屋圭市さん。
しかし警察は注意はするものの、取り締まったりはしなかったそうです。
時代的に警察との距離が近かったこともあり、「お前たちは危なくないから大丈夫」と信頼されていたとのこと。
2023年現在このような対応をすると、警察のスキャンダルになりかねません。
良いか悪いかはともかく、当時はそういう時代だったのでしょう。
2023年現在、走り屋行為は法定速度などに違反となり即刻処分となる可能性が高いです。
公に推奨されるものではなく、土屋圭市さんも走り屋行為を推奨しているわけではありません。
土屋圭市の凄さとは
ドリキンの愛称で親しまれている土屋圭市さん。
その凄さは、抜群のマシンコントロール能力だと言えるでしょう。
若い頃は峠道でドライビングテクニックを磨いていた土屋圭市さん。
当然スポンサーなどは付いておらず、使っている車両も市販車をベースにチューニングしたものでした。
どれだけチューニングしても、専用に設計されたレーシングカーと比べるとグリップ力は劣ります。
速く走るためには車輪を滑らすドリフト走行が不可欠です。
ドリフト走行で速く走るためには、車の細かい挙動も正確に把握しなければなりません。
ほかにも繊細なハンドルさばきや状況判断など、車体をコントロールするための総合力が問われます。
ドリフト技術があるということは、マシンコントロール能力が高い証左であると言えるでしょう。
全日本ツーリングカー選手権に参戦した際に見せた華麗なテールスライド走法など、土屋圭市さんの走りには独特の華やかさがありました。
車に詳しくない人が見ても凄いと思える走りができるのも、凄さの1つと言えるでしょう。
そして、ドリフト走行に特化した競技「D1グランプリ」を設立、自身が審査員長を務めたのも土屋圭市さんの凄さの1つ。
ちなみに、審査員長は“ドリフトキング”の異名を持つ土屋圭市。
「D1グランプリ」が盛り上がるにつれ、暴走族的なイメージだったドリフト走行がポピュラーなものになりました。
抜群のドライビングテクニックだけではなく、自動車文化の発展にも貢献しているのが土屋圭市さんの凄さと言えるでしょう。
土屋圭市はレーサーとしても実力がある?
土屋圭市さんは全日本ツーリングカー選手権やF3などに出場しましたが、チャンピオンは獲得できませんでした。
また海外ではあまり活動していない点からも、凄いレーサーなのかは判断できないという人も多いです。
しかし、国内外でチャンピオン獲得経験はありませんが、土屋圭市さんはレーサーとしての実力も高かったと言ってよいでしょう。
1989年には全日本F3選手権に挑戦。
残念ながら目立った成績は挙げられませんでしたが、これはツーリングカーとフォーミュラカーの違いによるもの。
グリップ走法を基調とするフォーミュラカーと、ドリフトが得意な土屋圭市さんとは水と油です。
しかし、雨でタイヤが滑る状況になるとフォーミュラカーでも抜群の速さを見せています。
近代化が進んだ2000年以降のSUPER GTでも速さを見せているのも、レーサーとしての実力が高い証拠です。
土屋圭市さんは、1996年から1999年にかけてNASCARにも参戦しています。
NASCARとはアメリカで最も人気のあるストックカーレース。
レベルも高いこのシリーズで、土屋圭市さんはトップドライバーと互角の戦いを演じました。
この1点だけ見ても、レーサーとしての実力は疑いようがありません。
シリーズチャンピオンなど大きなタイトルとは無縁のドライバー人生でしたが、その実力は日本トップレベルだったことは確実でしょう。
土屋圭市はルマン優勝経験者
土屋圭市さんは、ルマン24時間レースの優勝経験者でもあります。
ドライバーのレベルが高いレースとしても有名で、これまでにフェルナンド・アロンソさんなどF1経験者も数多く出場しています。
土屋圭市さんは1994年から2000年まで毎年出場。
1995年にはGT2クラス優勝、1999年には総合2位、クラス優勝という好成績を残しています。
雨や夜のセクションなど、走り辛いコンディションの中で速さを見せたのが印象的でした。
峠道で鍛えたドライビングテクニックが、ルマン24時間の大舞台で活かされたと言えるでしょう。
ルマン24時間レースとは、世界で最も知名度の高い耐久レース。
F1モナコグランプリとインディ500と併せて、世界三大レースの1つに数えられています。
世界三大レースの1つのクラス優勝を経験しているので、土屋圭市さんは間違いなく日本トップクラスのドライバーの1人です。
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