代表曲「夜明けのスキャット」が大ヒットして世界からも注目を浴びた由紀さおり(ゆきさおり)さん。
引き込まれるような優しい雰囲気と歌声で、多くの人を癒し魅了し続けている歌手です。
童謡をはじめ歌謡曲、クラッシック、アニメソングに至るまでジャンルを問わず歌い上げる素晴らしさに世界からも注目を浴びています。
そんな由紀さん、若いころからずっと仕事に力を入れていらっしゃるイメージがありますが、プライベートでの彼女のことも気になりますね。
今回は由紀さんのプライベートについて調べてみました。
元夫である柴冨哲也(しばとみてつや)さんや大森昭男(おおもりあきお)さんとはどんな人なのでしょうか。
離婚はしていますが、由紀さんには子供がいるのかなどについてお伝えしていきます。
由紀さおりのプロフィール
本名:安田章子(やすだあきこ)
生年月日:1946年11月13日
出生地:群馬県桐生市
血液型:A型
最終学歴:洗足学園短期大学英文科卒業
所属事務所:田辺エージェンシー・安田音楽事務所
由紀さおり、夫・柴冨哲也と再婚も別れた過去
由紀さおりさんは2回の結婚歴がありまずが、どんな方と結婚していたのかを調べていってみましょう。
まず、2回目の結婚相手の柴冨哲也(しばとみてつや)さんからお伝えします。
由紀さんは50代を迎える頃に柴冨さんと再婚をしました。
出会いは由紀さんが子宮筋腫と子宮内膜症という病気をして子宮摘出手術を受け女性として落ち込んだ時期に出会ったようです。
友人からの紹介でした。
彼との出会いによって、由紀さんは女性としての自分を取り戻したといいます。
当時柴冨さんはアメリカ在住の日本食のプロデューサーをしていました。
充実した時間を過ごしていた2人でしたが、由紀さんの母親の反対がありすぐには結婚をすることができず2人が結ばれたのは母親の死後。
柴冨さんがアメリカを拠点にしていたので、由紀さんもアメリカに移ろうと考えたようなのですが、母親が「安田音楽事務所」を設立したこにより由紀さんが日本を離れることはできなかったようです。
母親の死後にはアメリカで結婚ができたのですが、日本での仕事を手放すわけにはいかず、2006年に50代後半で離婚をしています。
そのかたとおつきあいすることで、女としての情感がよみがえり、自信も取り戻しました。ただ、母が反対していたので、母の死後、アメリカで結婚しましたが、その頃が女としてはもっとも充足していた、幸せな時期だったと思います。
由紀さんが2度目に結婚した柴冨さんですが、実は有名な人だということがわかりました。
ネットワークビジネス業界のアムウェイなどで成果を出していたことが高く評価され、ジュネシスピュアの社長に抜擢されて就任しています。
健康食品や化粧品を取り扱うネットワークビジネス会社ということですが、その業界で柴冨さんは業績を上げている有名な人だということです。
由紀さおりの初婚相手は大森昭男
由紀さんが1度目の結婚をされたのは1969年。
短大卒業後、当時20歳で結婚しています。
ちょうど大ヒット曲の「夜明けのスキャット」をリリースしたタイミングでした。
お相手は12歳年上のCM音楽プロデューサーの大森昭男(おおもりあきお)さん。
大森さんといえば、「君のひとみは10000ボルト」で知られる資生堂のCMや「ウイスキーが、お好きでしょ」のサントリーウイスキーのCMを制作した有名な音楽プロデューサーです。
それ以外にも三ツ矢サイダー、不二家など大手のCMを数々手がけ大成功をしています。
若かれし頃の山下達郎(やましたたつろう)さんや坂本龍一(さかもとりゅういち)さん、大滝詠一(おおたきえいいち)さん、矢沢永吉(やざわえいきち)さんなどを発掘し起用した名プロデューサーとしても知られています。
大森昭男(CM音楽ディレクター) : 彼と初めて仕事した時から「この人は出来るな」という直感みたいなものがありました。一番印象に残っている仕事といえば、やはりアカペラでやった『サイダー’76』ですね。彼と仕事する時は必ずテーマがまずあって、それをどう展開するかを模索しながらやります。
— 山下達郎-bot (@tatsurotalkin) April 22, 2023
お2人は由紀さんが中学3年生の頃から知り合いで、驚くことに高校3年生のときにはプロポーズをされたといいます。
出会いは私が中学の制服を着て、CMソングの収録にスタジオに通っている頃でした。腕利きのディレクターだった彼は、私の声を気に入って、歌い手としての方向性を教えてくださった、師匠のようなかたですね」
1965年に本名でデビューしリリースした「ヒッチハイク娘」が全く売れず、レコード歌手になるのも諦めていた頃に励ましてくれていた相手が大森さんだったということで、かなり信頼している方だったようです。
大森さんが由紀さんのどの楽曲を担当しているかは不明ですが、ヒット曲に恵まれず停滞していた頃に由紀さんを支えていたのが彼だったんですね。
お相手の大森さんは由紀さんよりも一回り年上の30歳でしたので結婚適齢期だったかもしれませんが、プロポーズ当時はまだ18歳でしたので、いくら社会的地位がある方でも周りは納得しませんよね。
案の定、父親には猛反対をされました。
由紀さんには兄と姉がいて、両者ともまで結婚していなかったので一番下の由紀さんが最初に結婚をするということも反対理由の1つだったようです。
とにかく短大を卒業するまでは父親は許可しないということで、入籍は短大の卒業後になりました。
1969年3月29日に結婚。
由紀さんのヒット曲「夜明けのスキャット」を作った「いずみたく」さんは、結婚に関しては由紀さんはアイドルとして活動しているわけではないので反対はしませんでした。
しかし、結婚を売り物にせず表には出さない方向で進めていきました。
『 夜明けのスキャット 』
由紀さおり
作詞:山上路夫
作曲:いずみたく
(1969年3月10日リリース)https://t.co/AfNEP3ghOa#夜明けのスキャット pic.twitter.com/9iPq6Dd2yi— JC☆中西 (@nakanishi_123) October 12, 2023
そのような結婚に至ったため、由紀さんと大森さんの新婚旅行には由紀さんの両親もカモフラージュのために同行。
2人きりになったところをスクープされないためにも、一度も2人で食事に行ったこともなかったそうです。
また、いずみたくさんプロデュースの「夜明けのスキャット」がヒットし、当時いずみさんは「オールスタッフ」という音楽出版会社とCM制作会社を持っていました。
そこから、夫である大森さんとはライバル会社にいるということになってしまいました。
誰よりも由紀さんを応援していたのは夫の大森さんでしたので、やはり由紀さんを歌手として育てるのも自身が担当したかったようです。
由紀さんはヒット曲を出し芸能活動も軌道に乗りました。
徐々に由紀さんのスケジュールが歌手としてだけではなくタレントや女優などにも広がっていき、夫婦で過ごす時間も減りすれ違いが生じてきます。
大森さんは子供を持つことを希望していましたが、そのときに仕事のチャンスが巡ってきていた由紀さんは要求には応じられませんでした。
「少し待ってほしい」と希望をだしたところから夫婦間に大きな溝ができたようです。
また、結婚後の新居に泥棒が入るというハプニングに襲われ、その時盗まれた物の中にはダイヤの婚約指輪も入っていたそうです。
この出来事もあり、由紀さんは大森さんとは縁が薄いのかもしれないと思ったといいます。
そういえば、結婚後に家に泥棒が入ったことがあるんです。婚約した時にもらったダイヤの指輪を盗られちゃったの。その時、大森さんとは縁が薄いのかなと思った記憶があります。
結婚生活は7年続きましたが、その後に別居。
別居は7年続き、14年目で離婚が成立しています。
離婚後もCMや音楽業界で長年に渡り活躍をされた大森昭男さんですが2018年の3月にご逝去されています。
音楽プロデューサーの大森昭男さんが他界されました。ぼくも、ぼくの友人たちも大好きで尊敬している人です。けっこう長いこと療養しておられましたが、穏やかな旅立ちになられたそうです。2007年に「ほぼ日」で特集した大森さんのこと、よろしければ読んでください。https://t.co/sQugiXHjbc
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) March 27, 2018
由紀さおりの結婚歴まとめ
由紀さんは、2023年現在は結婚をしておらず独身です。
前述のとおり、過去には2回の結婚歴があります。
1度目の結婚は20歳の頃で17年目で離婚。
2度目の結婚は50代の頃で結婚生活6年で離婚をしています。
その後は結婚はしていませんので、今は独身ということになります。
由紀さおりに子供はいない
2度の結婚歴のある由紀さんですが子供は誕生しているのでしょうか。
調べてみましたが、お子さんに関する情報はありませんでした。
どちらの結婚のときにもお子さんは誕生していないようです。
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