2007年に解散したお笑いコンビ『ジョーダンズ』のメンバーだったお笑いタレント・三又又三(みまたまたぞう)さん。
金八先生のものまねで一躍有名になりましたが、最近では”クズ芸人”などと呼ばれ話題にされることも。
今回は、三又さんの若い頃や医者だったという実家に迫りつつ、かつての相方・山崎まさやさんについても触れます。
三又又三のプロフィール
愛称:ハムエッグ、ハムさん
本名:三又忠久(みまたただひさ)
生年月日:1967年(昭和42年)5月27日
身長:175cm
出身地: 岩手県花巻市
最終学歴:仙台育英学園高等学校卒業
所属事務所:TAP
三又又三、若い頃の芸名はハムエッグ
三又又三さんは、かつてお笑いコンビ「ジョーダンズ」の一人として活動していました。
ジョーダンズが結成されたのは1992年のこと。
当時は、三又忠久として本名で活動していました。
それ以前は、ものまねタレント・コロッケさんの付き人をしていた時期があるそうで、当時の芸名は「ハムエッグ」だったのだとか。
1992年より前ということは、1967年生まれの三又さんが25歳になる前の話ということですね。
察しの良い人はお気づきかと思いますが、ご想像の通り、ハムエッグという芸名はコロッケさんの芸名にちなんで付けられたものだといいます。
三又さんによると、コロッケさんが定食屋のメニューでコロッケより高いものを除外した結果、ハムエッグが選ばれたそうです。
定食屋でコロッケより高いのはダメだよな。となるとハムエッグか。
コンビニやスーパーの価格で考えたら大して変わらないというか、場合によっては逆転してしまう気もしますが、らしいと言えばらしい気もしますし、案外、悪くない芸名かも知れません。
それでも、三又さんはまだ若かったため、ハムエッグという芸名が嫌いだったそうです。
堂々と使い続けていれば違和感もなくハマったかも知れませんし、もしかすると、売れていたかもしれないのに勿体ないですね。
また、もともと付き人として修行するのは2年くらいまでと決めていたそうですが、不純な動機から修業期間を延長したといいます。
ちょうどその頃、コロッケさん夫妻のハワイ旅行が予定されていたため、それに”付き人として”付いて行ってから辞めることに決めたのだとか。
当時はハワイまでの旅券や宿泊費用も高額だったと思われますから、まったく迷惑な付き人ですね。
今では”クズ芸人”としてその名を知られている三又さんだけあって、若い頃からそのクズっぷりを遺憾なく発揮していたようです。
ハワイ旅行から帰った三又さんは「(これからは)自分でやりたいです」と言って、いかにももっともらしく辞めたいと打ち明けたといいます。
すると、コロッケさんは「お前が真剣ならそれでいい。がんばれ」と快諾してくれたそうです。
ただし、付き人としての最終日に試練が待ち受けていました。
コロッケさんやスタッフ全員の目の前で、この2年間の集大成を見せることになったのです。
とはいっても、あのコロッケさんの付き人を2年以上も務めていた三又さん。
その間に師匠のものまねを見てしっかりと学んだのだろうと思いきや、それも満足にはできなかったといいます。
コロッケさんはステージに上がると実に色々な人のものまねを披露しますが、その舞台裏では衣装の準備に追われていたのだとか。
早着替えが20回もあると、じっくりと学んでいる暇はなかったそうです。
ともあれ、三又さんはその時点の全力を出して、美川憲一さんや野口五郎さんのものまねを披露したといいます。
しかし「全部やったけど、全然似てなかった」のだとか。
これには、さすがのコロッケさんも激怒したか呆れてしまったかと思いきや、逆に励まされたそうです。
「お前のものまねは飲み会で喜ばれるだろうけど、それで終わるな」と言って送り出してくれたといいます。
それにしても、三又さんのクズさとは対照的に、コロッケさんの人柄の良さが際立つエピソードですね。
実家は医者で兄は歯科医だった
三又さんの実家は開業医で、父親は内科の医師なのだそうです。
さらには、兄も歯科医師だったそうで、三又さん曰く、親戚の殆どが医者なのだとか。
残念ながら、兄は2016年に白血病で亡くなったそうです。
先日 兄が他界。白血病と3年1ヶ月延命治療で戦いましたが力果てました。マスクドメロンが大好きでした。兄との最後のLINEが「三又ノ番組 全国制覇せよ!」。必ず守ります。兄が危篤、葬儀の前後の私の仕事が全て三又ダンスは参ったなぁ(笑) pic.twitter.com/bwRONAlpAn
— 三又又三 (@mimatadance) December 29, 2016
実家が開業医ということは、住所が公開されているのではないかと調査してみたのですが、どうも、2023年現在は閉院してしまったように思える結果となりました。
三又さんは岩手県花巻市出身ですから、実家も花巻市にあると思われます。
岩手県花巻市で三又と名の付く医院を調べてみたところ、三又歯科医院と三又医院がピックアップされました。
まず、三又歯科医院についてですが、マップで見る限り閉業となっており、それらしき建物も見当たりません。
そこで、ストリートビューで過去の同じ場所を見てみたところ、2018年6月時点では三又歯科医院と書かれた建物があったことが分かります。
2015年7月の画像では看板も設置されていて診察時間も貼り出されていますが、2017年以降はそれらが外されてしまい、開業している様子がありません。
三又さんの兄が亡くなった時期とも重なりますので、ここが兄の歯科医院だったのではないでしょうか。
同じ花巻市で、三又と名の付く歯科医院が偶然同じ時期あったのかも知れませんので、正直、なんとも言えませんが、可能性はあると思われます。
次に実家の医院についてですが、看護師向け転職情報サイトによると、実はこの歯科医院の向かい側の建物が、以前、三又医院だったようです。
ストリートビューには2013年8月の画像までしか残されていません。
その時点ですでに医院があったと思われる形跡はありませんが、一般の住宅としては不自然な外観をしているように見えないでしょうか。
看板が付いていたように見えるスペースもありますし、入口もガラス扉で外壁は一階部分のみタイル張りと、ここが内科医院だったとしても不思議ではないように感じられます。
もちろん、この場所が三又さんの実家だと断言することはできません。
しかし、彼の出身地である花巻市で、道路を挟んで三又と名の付いた内科と歯科が存在していたとすれば、偶然としてはできすぎではないでしょうか。
元相方・山崎まさやはワルで事務所クビ
”元祖クズ芸人”と呼ばれている三又さんですが、かつての相方・山崎まさやさんは、それを上回るワルなのだとか。
そう言っていたのは、2人の師匠でもあるビートたけしさんです。
たけしさん曰く「三又より全然悪い」そう。
なんでも、山崎さんは酒癖がとんでもなく悪いらしく、遅刻の常習犯でもあったといいます。
目にあまるほど酷かったそうで、事務所をクビにしたそうです。
でも三又じゃなくて、元相方の山崎まさやは、事務所をクビにしたんだ。
三又さんがクズで相方もそれ以上となると、ジョーダンズは”元祖クズコンビ”といったところでしょうか。
とはいえ、たけしさん自身も暴行事件で有罪の過去があるうえ、未成年と不倫し隠し子を儲けたとも伝えられています。
ワルとしてはかなりの高レベルだと言えそうです。
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