石塚啓次(いしづかけいじ)さんは、元サッカー選手で引退後はファッションブランドの会社や飲食店の経営者として活躍しています。
そんな彼は私生活では既婚者で子をもつ父親ですが、妻や子供たちが揃いも揃って美形なのをご存じでしたか。
また、2024年現在一家はバルセロナに住んでいますが、なぜバルセロナに移住したのかにも興味がわきますよね。
さらに、現地でオープンしたうどん屋についても併せてご紹介します。
石塚啓次のプロフィール
愛称:和製フリット
本名:石塚啓次
生年月日:1974年(昭和49年)8月26日
身長:184cm
出身地:京都府
最終学歴:京都府立山城高等学校
所属事務所:VIVA LA VIDA・Buena Vista
石塚啓次の妻と子供は美男美女
石塚啓次さんは、結婚していて4人の子供の父親でもあります。
そんな彼の家族について調べてみましょう。
妻はモデル・ファッションデザイナー
石塚さんの妻は米田有希さんという方で、ファッションデザイナーをしています。
有希さんは徳島出身で、女子美術大学短期大学部の出身です。
大学で美術を学ぶほど、若い頃からデザインやモノづくりには興味があったのでしょうね。
彼女は10代の頃から『mc Sister』など雑誌やCMでモデルとして活躍しました。
そして、2000年に石塚さんと結婚し、2012年からはOmas Händeというブランドのデザイナーとして活躍中です。
このブランドの服には彼女の趣味という手刺繍が取り入れられていて、温かみのある素敵なデザインが魅力です。
こんなに綺麗な刺繍ができるとは、奥様はかなり器用な方なのですね。
こちらが最近の米田さんの姿ですが、さすがにモデルだけあって綺麗な方です。
子育てとデザイナー業の傍ら、ブログでの発信や本の出版などもしている活動的な女性ともいえるでしょう。
4人の子供たち
石塚さんと有希さんの間には1男3女4人の子供がいます。
子供たちは石塚さんや有希さんが運営するSNSなどに度々登場しているので、見かけたことがあるという方もいるかもしれませんね。
唯一の男の子は凪くんという名前で、2021年に11歳の誕生日を迎えていることから2010年生まれということになります。
石塚さんのインスタには度々凪君がサッカーをしている様子が投稿されているので、父親の影響でサッカーが好きなのでしょう。
父の才能を受け継ぎ将来はプロになるかもしれませんね。
長男が度々登場するのに対し、娘たちはSNSに頻繁には登場しません。
しかし、時折投稿される家族写真を見る限り、皆美人でお洒落です。
息子がサッカー選手になりそうなのに対し、娘たちは母親同様にモデルになれるかもしれませんね。
石塚夫妻は美男美女カップルですが、子供たちもその美形な遺伝子をしっかり受け継いでいるようです。
石塚啓次現在(2024)はバルセロナでうどん屋
石塚啓次さんは2024年現在スペイン・バルセロナでうどん屋をしています。
一家で移住したバルセロナでの生活や、うどん屋・ブランド経営について深堀してみましょう。
一家でバルセロナ移住
石塚さんは2012年に一家でバルセロナに移住しました。
これは、もともと海外移住に興味があった奥様の希望・自身の仕事の転機・東日本大震災などがきっかけで決意したようです。
移住先をスペインに決めた理由は兄や知人が住んでいたから。
また、下見がてら家族でスペインに旅行した時に子供たちが同地を気に入ったことも決め手となりました。
移住を決めてからは石塚さんが主体的に準備をすすめ、ビザ取得・家探し・子供の学校探しなども自分たちの力で行ったようです。
うどん屋オープン
移住から2年後の2014年にはうどん屋『YoI Yoi Gion宵宵祇園』をオープンします。
市内の好立地に位置する店には約50席ほど客席があり、一時はかなりの賑わいを見せていました。
ところで、海外の日本食といえばお寿司やラーメンが定番ですが、なぜあえてうどんで勝負しようと考えたのでしょうか。
本人曰く、それには深い理由はなく、単に「ラーメン屋は他にもあるから誰もやっていないうどんにしよう」くらいの考えだったといいます。
石塚さんは、石橋を叩いて渡るタイプではないようですね。
さて、元アスリートの引退後のビジネスと聞くと、出資だけして人を働かせているというイメージがありませんか。
実は、石塚さんの場合は自らうどん屋のキッチンに立っているのだとか。
しかも、開業前には「うどん学校」に通っていたといい、昆布・煮干し・鰹節からとった関西風だしはとても美味しいようです。
うどん屋には数々の苦労も
一見うどん屋経営は順風満帆に見えますが、実はこれまでに様々な苦難にも見舞われています。
例えば2016年には「うどん屋なのにうどん屋と名乗れない」という一見意味不明なトラブルが起こります
どういうことかというと、現地では「うどん」は商標がとられているので、この単語を使ってはならないと言われたのです。
具体的には、看板からうどんの文字を外すこと、ネット上でのうどんという言葉の使用禁止を通達されてしまいます。
日本人的には「うどん」は商標でも何でもなく食べ物そのものの名前ですから、誰かの専売特許になっているなんて不思議な話です。
石塚さんはお金と時間がないのでしぶしぶこの通達に従ったそうですが、SNS上で「クールジャパンの人助けて」と日本政府へのSOSを発信していました。
また、近年はコロナ禍による大打撃も受けました。
感染拡大防止のため店を開けられない日が続き、営業再開してからも以前ほどの客足が戻らずギリギリの状態だったといいます。
普段は強気なイメージの石塚さんですが、さすがにこれには心が折れかけ何度も店を畳もうと考えました。
海外でビジネスをするだけでも大変なのに、次から次に困難に見舞われれば誰でもくじけそうになりますよね。
しかし、石塚さんのうどんんを喜んでくれるお客さんのためにもなんとか持ちこたえてもらいたいです。
成功していたブランド経営を辞めたワケ
スペイン移住前の話になりますが、2003年に現役を引退した石塚さんは、日本でアパレルブランドを立ち上げその後7年ほど代表を務めていました。
とはいえ、彼はもともとファッション業界に興味があったわけでもありませんでした。
しかし、かねてから周囲にファッション関係者が多く、さらに「楽し気でかっこいい職業」に見えたことからブランド立ち上げを決めます。
ところがふたを開けて見ると、一見華やかなファッション業過にも地味で大変なこともたくさんあります。
さらに、初めの数年は全く儲けが出ず出資ばかりを続けている状態でした。
そんな状態が続き、さすがにそろそろ潮時かと思い始めたときから少しずつ利益が出始めます。
そして、最終的には年収3000万を稼ぐほどの成功を納めました。
石塚さんの粘り勝ちといったところでしょうか。
ところが彼は、せっかく軌道に乗った会社を去る決意をします。
その理由としては、周囲と自分の考え方の不一致やライフワークバランスの悪さに疑問を感じたからのようです。
石塚さんにとって一番大切なのは家族と人生を楽しむことです。
それなのに、実際は毎日夜遅くまで仕事をし、子供が眠った後に帰宅するという毎日になってしまっていました。
そのような葛藤を抱えたまま進むのは嫌だと気づいたため、彼は成功していた会社を辞め一家でのバルセロナ移住を決めたのです。
もちろんバルセロナでの生活は、収入面だけでなく、言葉や文化の違いなど厳しい面はたくさんあります。
しかし、少なくとも石塚さんのプライオリティである家族との時間は取り戻すことが出来た様子です。
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