心に染み入る素敵な声で歌手や俳優として活躍する上條恒彦(かみじょう つねひこ)さん。
芸能活動は順調のようですが、私生活は波乱万丈だったようです。
上條恒彦のプロフィール
本名: 上條恒彦
生年月日: 1940年3月7日
身長: 176cm
血液型: O型
出身地: 長野県朝日村
最終学歴: 長野県松本県ヶ丘高等学校
所属事務所: ケイセブン中村屋
上條恒彦は現在も現役で活動中!
デビューから50年以上が経ちますが上條恒彦さんはまだまだ現役。
今も俳優、歌手として第一線で活躍し続けています。
唯一無二の存在感を持つ名脇役として作品に重厚感を与える上條恒彦さん。
何歳になっても衰える事のない圧巻の歌声でミュージカルにも欠かせない存在となっています。
きっと上條恒彦さんは今後も記録にも記憶にも残る活躍をし続ける事でしょう。
最近の活動は減っている?
上篠さんが引退などを発表していないことは確かですが、「それにしては最近見かけない」と思う人もいるでしょう。
というのも、近年は出演作が減っているからです。
ドラマは、2020年まで出演していた『やすらぎの刻〜道』が最後。
それ以降は出演情報がありません。
映画の方は、2017年の『明日へ 戦争は罪悪である』が最後となっているようです。
そんな状態なので、引退を心配する人がいても不思議はないでしょう。
「テレビで見ない思ったらとっくに引退していた」ということは、ときどきありますからね。
ですが、上篠さんが現役であることは間違いありません。
出演作が多くないことは確かですが、2023年もミュージカルに出ていました。
高齢なので少々大変そうではありますが、素晴らしい演技は健在のようです。
ラ・マンチャの男
松たか子が何と言っても素晴らしい。通りが良く清らかな声は他の舞台他の女優からは聞けないもの。父上の体調にくじけることなくアルドンザ役を体現。熱く心に刻まれました。サンチョ役の駒田一さんも立派。上條恒彦さん(83歳)は歩きがツラそうでしたがセリフと存在感はさすが。 pic.twitter.com/3l1JZzb3SP— 佐藤 宗睦 (@munechika_sato) April 18, 2023
『ラ・マンチャの男』
白鸚さんの執念と駒田一さん松たか子さん上條恒彦さん他の皆さんの団結力に涙最低限の動きで見せる白鸚さん
それを支える駒田さん
歌声も声量もピカ一な松さん
安心感しかない上條さん、カテコで若者に手を引かれてて驚き、そんなにお歳だっけ?あと男声コーラスが大好き! pic.twitter.com/Ha0RrUUvrX
— rtk (@rtktnbt) April 22, 2023
最近の仕事が多くない理由は、年齢もあるのかもしれません。
80代であまり忙しくしていると、体を壊す心配があります。
無理せずマイペースにやっていた方が、長く続けられそうですよね。
2019年のインタビューで「今の夢は?」と質問された際、人生の終盤を想像しながらも、仕事への意欲を語っていた上篠さん。
「楽に逝くことですね。苦しまずに、すっと天国に行くこと。それまでの間は、仕事に恵まれたいですね」
少しでも長く芸能活動を続けるため、意識的にセーブしたのかもしれません。
元気なうちは、まだまだ楽しませてくれそうですね。
今も話題になる過去の名曲
最近の仕事が減っているとはいえ、SNSでは上篠さんの話題を見かけることもありますよね。
そこで語られるのは、役者としての上篠さんだけではありません。
素晴らしい歌についても話題になっています。
千と千尋の神隠しのイメージアルバムCDに上條恒彦が歌う油屋という曲がありますが
「さっき寝たと思ったらもう仕事だ」「重くてだるい人生だけだ」…等の歌詞がとてもいいので悲しみを纏った社畜にオススメです— ぽんぽん (@ponpon_kikipon) August 14, 2023
1980年頃シーズン1と2夕方再放送してましたシーズン1の上條恒彦さんの主題歌も好きです😄
— 阿部S🚁昭和アニメ、映画、アイドル趣味アカウント (@VcNNBNWCpLX950R) August 8, 2023
歌手としても活動し、さまざまな名曲を発表してきた上篠さん。
『木枯し紋次郎』や『怪人二十面相』など、人気作品とのタイアップも複数ありました。
こうした楽曲に感動した経験がある人は、長い年月が経っても、繰り返し聴いているのではないでしょうか。
近年は俳優業が中心の上篠さんですが、これまでリリースしてきた名曲たちは、今後もずっと語り継がれていくことでしょう。
上條恒彦の息子は俳優として活動
少子化が進む日本において子沢山のタレントが話題になる事がありますよね。
橋下徹さんの7人を始め、谷原章介さんは6人、薬丸裕英さんも5人の子供が。
実は上條恒彦さんも子沢山。
6人の子供がいて、しかも全員男の子なんだそうです。
そのうち2人は現在、俳優として活動中のようです。
まず1人目が長男の恒さん。
若い頃はヘビメタバンドのボーカリストを務めていましたが23歳の頃に地方巡業劇団へ。
10年間で1600回以上の舞台を経験すると退団してフリーに。
現在は俳優業と並行して劇団「三ツ星キッチン」の脚本と演出も行っているそうです。
恒さんは父であり俳優の先輩である上條恒彦さんの舞台を見に行くこともあるようです。
父の出演する、ラ・マンチャの男を観劇。
すーさんに会い、はじめさんに会い、宮さんに会い、こうこさんにも会ってきました。あるべき姿の未来。
僕もそこへ進もう。
— 上條 恒 (@k0jika5551) October 25, 2019
きっと「父が出演する舞台」というよりも演技、舞台の勉強という意味合いが強いのでしょうね。
そして俳優として活動するもう1人の息子の名前は駿さん。
ミュージカルを中心に「FACTORY GIRLS」や「デスノート」などの話題作に出演。
俳優業の他、これまでの経験を活かして歌やタップの指導も行っているようです。
同じく舞台を中心に活躍する兄の恒さんとも舞台で共演。
出演させて頂きます。
公演期間2018年10月18日(木) 〜 10月22日(月
詳細はこちらからhttps://t.co/teUGX79utU
尚、更なる詳細も後日公開されるやも。とにかく、兄との共演て事でどぎまぎしてます。
頑張ります!
チケットの詳細もまた後日!後日ばっかりで申し訳ないです、、、 pic.twitter.com/PDk3gDZR1D— 上條駿 (@shun_kamijo0721) August 26, 2018
主演や準主演などの大役を演じる事はあまりない駿さん。
ですが、ミュージカル界のバイプレーヤーとして今後の活躍を期待される俳優の1人です。
長年にわたって第一線で活躍し続ける上條恒彦さん。
その存在は子供たちにとってプレッシャーでもあり刺激にもなっているはず。
今は決して世間的な認知度が高いとは言えない恒さんと駿さん。
ただ、親の七光りでテレビに出演する二世タレントよりも自分の力で道を切り開く二人は本当に素晴らしいと思ます。
過去には兄弟の結婚式で歌を披露している上條恒彦さん、恒さん、駿さんの3人。
先日兄の結婚式が行われ、家族が1人増えました。
式では父、兄と3人で歌のプレゼントをし、披露宴ではこの日主役の兄と歌いました。兄、姉上、改めて、おめでとうございます#wedding pic.twitter.com/ftYOorXjaH
— 上條駿 (@shun_kamijo0721) August 4, 2017
いつかテレビや舞台などで3人の共演を見てみたいですね。
上條恒彦に2度の結婚歴
6人もの子供がいる上條恒彦さんですが、実は2度の結婚歴があるんです。
最初に結婚したのは1968年なので、まだ下積みの頃ですね。
妻となった女性についての詳しい情報は見つかりませんでしたので、おそらく一般の方だったのでしょう。
もしかすると芸能活動をする前から交際していたのかもしれませんね。
その妻との間に長男の恒さんと次男が誕生。
下積み時代を支えてくれた妻、最愛の息子達との幸せな日々を過ごしていた上條恒彦さん。
ところが、1979年頃に離婚してしまっています。
しかも離婚後に子供達を引き取ったのは上條恒彦さん。
離婚の原因は明かされていませんが上條恒彦さんが子供を引き取ったという事は妻の方に非があったのでしょうか。
上條恒彦さんは離婚によるショックで酒浸りになってしまったんだとか。
男手一つで子供達を育てるのは大変なこと。
それが多忙な芸能人となれば、その大変さは想像を絶するものがあります。
きっと離婚のショックだけでなく育児疲れもあったのでしょうね。
そんなときに出会ったのが現在の妻、悦子さん。
悦子さんは上條恒彦さんよりも16歳年下で当時は女優の卵。
結婚する前には上條恒彦さんの付き人をしていた事もあったようです。
常に行動を共にすることで上條恒彦さんが酒浸りにならないように監視していたのでしょうか。
上條恒彦さんと悦子さんは1983年に結婚し4人の子宝に恵まれました。
なお、俳優として活動する駿さんは上條恒彦さんと悦子さんの間に生まれた兄弟の末っ子。
恒さんと駿さんは異母兄弟であり年もかなり離れています。
それでも舞台で共演したり、他の兄弟の結婚式で一緒に歌を披露するなんてよっぽど仲が良いのでしょうね。
上條恒彦が再婚した嫁と移住
1983年に結婚した上條恒彦さんと悦子さん。
それから4年後の1987年に長野県諏訪郡富士見町に移住しているんです。
俳優、歌手として今も活躍する上條恒彦さん。
東京で生活していた方が仕事がしやすいのは間違いありません。
それでも長野県に移住したのは「赤毛のアン」に憧れていた悦子さんの希望によるものでした。
長野県の冬の厳しさに心が折れそうになったこともあったという悦子さん。
それでも傍に上條恒彦さんがいたから長野県で生活し続けられたのでしょう。
夫婦でテレビに出演することもあるなど、今も夫婦仲は良好。
きっとこれからも手に手を取り合って幸せな日々を過ごしていくことでしょう。
上條恒彦と崔洋一が似てると話題
「世界には自分とそっくりな人が3人いる」と言われていますよね。
世界どころか芸能界という狭い世界でも「そっくり」と言われる人たちがいます。
テレビを見ていて「この人はどっちだっけ?」という経験をした人も多いのではないでしょうか。
上條恒彦さんも似ていると話題の人物がいるんです。
その人とは映画監督の崔洋一さん。
二人が似ているのはお笑いタレントのダンカンさんも認めるところ。
過去には公式ブログで「二人の見分け方を教えてほしい」と書いた事までありました。
更に世間では似ているどころか同一人物と思っている人までいるようです。
共に眼鏡をかけて短く刈り込んだ頭髪に蓄えたひげ。
確かにパッと見では見分けがつかないかもしれません。
そのうち崔洋一さんの作品に上條恒彦さんが出演する事があるかもしれません。
同じ場所に二人がいるとスタッフや出演者も混乱してしまいそうですね。
上條恒彦の経歴まとめ
人気時代劇「木枯し紋次郎」の主題歌だった「だれかが風の中で」で知られる上條恒彦(かみじょうつねひこ)さん。
高校卒業後の1954年に上京すると雑貨品問屋の店員をはじめ、新聞配達、うたごえ喫茶の歌手など様々な仕事を経験。
そして1964年に勤労者音楽協議会に勤務した事が歌手デビューのきっかけとなりました。
1969年からはNHKの音楽番組「ステージ101」のレギュラーに抜擢。
その2年後、1971年に音楽ユニット「六文銭」と「出発の歌」をリリースすると「ポピュラーソング・フェスティバル」でグランプリを獲得。
そして同年の11月に第2回世界歌謡祭でグランプリと歌唱賞を受賞した事でその地位を確固たるものに。
1972年にはNHKの紅白歌合戦に初出場し国民的歌手の仲間入り。
その後は歌手だけでなく俳優として数多くのドラマや映画、舞台に出演。
「3年B組 金八先生」の社会科の教師役が印象に残っている人も多いのではないでしょうか。
また、持前の素晴らしい声でアニメや吹替の声優やナレーションでも活躍しています。
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