漫才コンビ「B&B」の一員として1980年代の漫才ブームをけん引した島田洋七(しまだようしち)さん。
2000年代後半からは、大ヒット小説「佐賀のがばいばあちゃん」の著者として知られるようになりました。
今回は、島田洋七さんの年収や家族についてお伝えします。
島田洋七のプロフィール
本名:徳永昭広
生年月日:1950年(昭和25年)2月10日
身長:164cm
出身地:広島県広島市
最終学歴:広島工業大学
所属事務所:個人事務所
島田洋七、全盛期の年収は8億円以上
島田洋七さんは、1980年の年収は8億円以上あったと語っています。
1980年といえば、漫才ブームが始まった年。
「花王名人劇場」や「THE MANZAI」といった番組が火付け役となり、全国のメディアに漫才が溢れかえりました。
そんな漫才ブームの中心にいたのが、島田洋七さんが所属していた「B&B」です。
マシンガンのように喋りまくる漫才で、社会現象になるほどの人気を得ることになります。
1人がネタの9割をこなす「B&B」のスタイルは、お笑い界にも大きな影響を与えました。
ビートたけしさんのコンビ「ツービート」、島田紳助さんのコンビ「紳助・竜介」も「B&B」のスタイルを真似たとのこと。
漫才ブームは島田洋七さんが作ったと公言する人も少なくありません。
人気絶頂期には月に100本もの番組に出演していたと語っています。
月100本は、一切休みなく1日に3本以上の番組に出演していたことになります。
これほど働いていたのであれば、年収8億円に達するのもうなずけますね。
8億円もの収入があれば、好き放題遊んで欲しい物も何でも買えます。
島田洋七さんも思い切り豪遊し、自宅を建て替え、妻の実家に漁船をプレゼントするなどしたそうです。
しかし、当時の事務所には税理士がいませんでした。
節税対策などは何も行っておらず、次の年には税金を払いきれず督促状が届く羽目になったそうです。
年収の額も凄まじいですが、使い方やその後の顛末も豪快ですね。
2000年代後半は、自伝小説「佐賀のがばいばあちゃん」が大ヒット。
ベストセラー作家として、漫才ブームを経験していない世代からの知名度も上がります。
2010年代になると、活動のメインは講演会になります。
講演料金は1回あたり推定100万円から150万円。
講演会による収入と「佐賀のがばいばあちゃん」の印税を合わせて、2024年現在も年収1億円以上は得ていると思われます。
2024年現在、すでに70歳を超えている島田洋七さん。
一般人ならすでに定年退職している年齢にもかかわらず、1億円以上稼ぐなんて凄いですよね。
島田洋七は自宅豪邸で佐賀在住
島田洋七さんの自宅は、立派な庭がある総面積300坪の平屋の豪邸です。
庭には露天風呂と釜風呂が備えられており、キュウリやピーマンなどが植えられている畑もあるとのこと。
かまどや土間も用意されていて、招待された島田紳助さんは「未来を先取りしている」と感心したそう。
自宅の場所は佐賀県佐賀市、周囲はすべて田んぼだそうです。
自宅には電気は通っているものの、あえて薪でご飯を炊いたりしているそうです。
しかしそんな不便さも楽しんでおり、自宅は遊び場だとも語っていました。
若い頃は寝る間も惜しんで働いて、年を取ったら田舎に移住してゆっくりとした時間を楽しむ、島田洋七さんのような人生を羨ましいと感じる人も多そうですね。
島田洋七は嫁の母の介護のため移住した
島田洋七さんが佐賀に移住したのは、嫁の母の介護が理由でした。
1987年頃、嫁の母親が病に倒れます。
当初は自宅のある埼玉から佐賀に介護に通う日々を送っていました。
しかし、多い時は月の半分ほど佐賀まで移動していたとのこと。
埼玉から佐賀までは相当な距離がありますので、移動も楽ではありません。
そこで島田洋七さんは、いっそのこと佐賀に移住してしまおうと考えます。
嫁に内緒で移住を決意、2001年に佐賀に拠点を移します。
嫁の母親の介護が決め手となりましたが、元々佐賀に移住したい気持ちもあったようです。
幼少期を佐賀で過ごし、その経験を自伝小説に残している島田洋七さん。
漫才ブーム全盛期には大金を稼いでいますので、東京や大阪で相当良い思いをしたはず。
佐賀での思い出は、お金では買えないほど貴重な体験だったのでしょうね。
島田洋七には子供が2人いる
島田洋七さんには、娘と息子が1人ずついます。
娘が誕生したのは1974年。
一般人のため、名前や顔写真などは公開されていませんでした。
看護の仕事をしているという情報もありましたが、真偽は不明です。
2007年に、娘の孫が2歳になったことをブログで明かしています。
今、2歳になる孫がおんねんけども、ごっついかわいいわ。生まれる前は、なんだか娘が取られたみたいで、娘に会うのも、娘のだんなと会うのも、なんか躊躇してたとこもあってんけど
息子が誕生したのは1977年。
名前は憲昭さんといい、かつては父親と同じく芸人をしていました。
1997年に父親の島田洋七さんに弟子入りし、「TS」というコンビで韓国デビューを目指していたようです。
2003年以降の動向は不明で、2024年現在はすでに芸人を引退していると思われます。
島田洋七は現在(2024)講演会で全国を飛び回っている
かつては漫才コンビ「B&B」の一員としてメディアに登場していた島田洋七さん。
2024年現在は人生論などを語る講師として、全国を飛び回っています。
がばいばあちゃんの教えなどを伝えてくれる講演は、面白いと評判です。
仕事への取り組み方や健康についてなど、人生のためになるテーマも取り扱っている様子。
島田洋七さんは、1980年代から講師としても活動していました。
2017年時点で、これまでに行った講演会の回数は4700を超えているとのこと。
全国を飛び回るのは大変かと思いきや、講演会ならではのライブ感が好きでとても楽しいと語っていました。
2024年で74歳の現在も講師とし全国を回っている島田洋七さん。
まだまだ現役講師として活躍してくれそうな雰囲気です。
いつまでも元気で、全国に素敵な話を届けて欲しいですね。
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