松山千春の母親と父親は認知症だった!弟の職業はレコード会社社員で死因は癌&姉も癌で他界

地元北海道を愛し、活動や生活の拠点も北海道に置くシンガーソングライターの松山千春(まつやまちはる)さん。

松山さんが愛したのは、地元だけではなく、そこで一緒に生活してきた家族でした。

貧しくとも苦楽をともにした家族は先立ち、松山さんは一人になられました。

そこで今回は、松山さんのご家族についてお伝えしていきます。

松山千春のプロフィール

本名:松山千春

生年月日:1955年(昭和30年)12月16日

身長:170cm

出身地:北海道足寄郡足寄町

最終学歴:北海道足寄高等学校卒業

所属事務所:オフィス・ゲンキ

松山千春の母親は認知症に苦しんでいた

松山さんの母親は、美代子さんといい、ミヨさんと呼ばれていました。

松山さんが生まれ育った足寄はミヨさんの地元でした。

元々、流行歌に合わせて踊る新舞踊の名取であったというミヨさんは、若い頃は旅回りの一座に所属していたそうです。


ご結婚後は、家計を支えるため、土木作業をしていたといいます。

小さな子供がいる状態なのに、離れた場所に泊まり込みで働きに行くのは、心配でもあり寂しくもあったでしょう。

それでも家族のために働き、少しでも家で使えそうなものは、ごみ置き場からでも持って帰ったというミヨさんに逞しさを感じます。

松山さんの軽妙なトークや音楽の才能は、お母さん譲りなのかもしれませんね。

身を粉にして働いてこられたミヨさんは、80歳を過ぎたころから、認知症と闘うことになったそうです。

しばらくは、松山さんの姉の夫と息子さんが同居して面倒をみてくれていたようです。

しかし、大腿骨を骨折されてからは、病状が進行し、町内にある介護療養型老人保健施設での生活になったといいます。

病状が進むと松山さんのこともわからなくなっていったそうです。

自分のことをわかってもらえなくなると、施設から足が遠のく方もいますが、松山さんは最後までしっかりと接してこられたようです。

あと2カ月で100歳だったミヨさんは、2021年1月16日、老衰により99歳で亡くなりました。

父親は旬刊紙「とかち新聞」を創刊も認知症で休刊

松山さんの父親は、明さんといいます。

夕張郡栗山町の出身だそうです。

松山さんが生まれる前年の1954年に、たった一人で旬刊紙「とかち新聞」を立ちあげられました。

とかち新聞は、10日に1回の発行で、取材から記事の執筆、組版まですべてされていたそうです。

あるときには、当時の足寄町長の不正を新聞に取り上げ、裁判沙汰にまでなったといいます。


明さんの正義感や政治への関心は、松山さんに受け継がれているようです。

しかし、正義感だけでは食べていけません。

町長側の圧力で、新聞の販売数は減り、松山家は、さらに困窮することになったそうです。

裁判自体は、とかち新聞の勝訴で方が付いています。

明さんが心血注いできたとかち新聞ですが、1984年に休刊となりました。

その背景には、明さんの認知症があったようです。

何度も同じことを繰り返し聞いてくる父親に、松山さんも違和感を覚えたようで、歌として残されていました。

それが、未発表曲の『父へ』です。

残念ながら松山さんが歌われる動画はありませんでした。

歌は、「何度も同じこと話すあなたに少し驚いただけ」と始まります。

父親の異変に戸惑った松山さんの思いがストレートに表現された楽曲です。

認知症に苦しまれた明さんは、1995年11月に癌で他界されました。

弟の職業はレコード会社の会社員、死因は癌

松山さんの弟さんは、明人さんといいます。

明人さんは、可愛くもあり、自慢の存在でもあったようです。

バスケットボールが得意で、「シュートの鬼」とまでいわれた松山さんとは異なり、運動は苦手だったそうです。

しかし、まじめでコツコツと頑張るタイプだったようで、松山家で唯一大学に進学したことが、兄としても家族の誇りと感じたといいます。

大学卒業後、明人さんはレコード会社に就職されました。


クラッシックの担当で、CD180枚からなるモーツァルト大全集をプロデュースされたそうです。

ただ、会社の人とうまく馴染めなかったようで、早期退職をされています。

レコード会社退職後は、松山さんが所属し、代表取締役を務めるオフィス・ゲンキに入社されました。

明人さんは30歳のときに、12歳年上の女性と結婚されていますが、お子さんがいたかどうかは不明です。

松山さんの5歳年下になる明人さんですが、61歳で他界されています。

お母さんのミヨさんが亡くなられたのと同じ2021年の9月19日、死因は癌によるものだったそうです。

松山さんは、当日、ラジオの生放送をしており、放送終了後に訃報を聞いたといいます。

自分より歳が下の家族に先に逝かれるのはつらいですよね。

松山千春の姉も癌で早くに他界

松山さんのお姉さんは、絵里子さんといいます。

松山さんがフォークソングを聞くようになったのは絵里子さんの影響だったそうです。

絵里子さんに関してはあまり情報がありません。

1998年4月28日に舌癌で亡くなったことがわかっています。

母親であるミヨさんより先に亡くなられており、ご家族も悲しいとともに、悔しかったでしょうね。

しかし、絵里子さんには男性を見る目があったのか、絵里子さん亡き後、認知症になられたお母さんをご主人が同居で世話をしてくださっていました。

男性が、義理の母親の世話ってなかなかできないですよね。

素敵な方に巡り合われたのだと思われます。

松山さんは3人兄弟で成長されましたが、実はまだ、上に2人の兄弟がいらっしゃいました。

長姉は乳児期に亡くなり、長兄は3歳のときに肺炎で亡くなっていたそうです。

松山さんは、本当にご家族を愛していたようです。

弟さんが他界し、元々の家族の中でひとりになったとき、亡くなったご家族に向けコンサートでメッセージを送られました。


2016年のライブで『生命』を歌われたあとのトークでもご家族のことをしみじみと話されていました。

当時はまだ、ミヨさんはご存命でした。

ご家族の話をするときの松山さんは、優しい顔をされていますよね。

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