豊田真奈美、若い頃の苦労。全盛期は年収1千万?怪我の後遺症&同期に笑われた過去

華麗に舞う姿から「飛翔天女」の異名を持つ元女子プロレスラー・豊田真奈美(とよたまなみ)さん。

どんなに打たれても立ち上がる「ゾンビ」と呼ばれ恐れられていたといいます。

そんな彼女の闘いは、引退してからも終わることなく続いているのです。

今回は、豊田さんの若い頃の話題を中心に、引退後の様子にも迫ります。

豊田真奈美のプロフィール

愛称:飛翔天女

本名:豊田真奈美

生年月日:1971年(昭和46年)3月2日

身長:167cm

出身地:島根県益田市

最終学歴:中学校卒業

豊田真奈美、若い頃は食べ物で苦しい思いをした

全日本女子プロレスリングに所属していた女子プロレスラーは、若い頃に大変な苦労をしてきた人ばかりだといいます。

豊田真奈美さんもその一人で、若い頃はとても苦しい思いをしたそうです。

なかでも、とくに苦しかったこととしてまず思い浮かぶのは、食べ物に関することなのだとか。


豊田さんがまだ駆け出しの若手だったころは、毎月の給料が5万円ほどしか貰えていなかったそうです。

しかも、そこからさらにコメ代とトイレットペーパー代などで5千円が差し引かれ、手元に残る金額は僅か4万5千円だったということです。

若い頃は寮で暮らしていたため家賃の心配だけはなかったといいますが、月4万5千円ではとても自由に生活をすることはできなかったそうで、コメばかり沢山食べていたといいます。

月々5千円を天引きされていたものの、コメだけは食べ放題だったため値段を気にせずに食べることができたのだとか。

そんなこともあり、たまにコメ以外の美味しいものを食べることができた時の記憶は、とくに鮮明に残っているそうです。

そう聞くと、先輩レスラーたちに美味しい御馳走をおごってもらった思い出が強く残っているのかと想像してしまいますね。

ですが、一番よく覚えているのはケンタッキーやミスタードーナツといったファストフードだといいます。

しかも、それはおごってもらったものではなく、先輩がファンから贈られた差し入れの“おこぼれ”だったというのですから、当時の苦しさは想像を絶するものがありますね。

そんなに食費に困っていたのなら、なんとか料理を工夫して自炊すればよかったのでは?と思う人もいるかも知れません。

しかし豊田さんによると、毎日の巡業で疲れ果ててそれどころではなかったようです。

「料理するよりも寝ていたい」という気持ちの方が強かったのだそうです。

プロレスラーと言えばカラダこそが一番の資本でしょう。

陸上選手や体操選手などのアスリートのように体力づくりや体調管理に気をつかって、品質の良いものを口にしているのだろうと想像していたのですが、現実は真逆だったようです。

プロレス同様に激しくぶつかり合う格闘技で考えると、たとえば、相撲の力士が食べるちゃんこ鍋は部屋ごとにこだわりがあって美味しそうですし、量と品質のバランスも取れていることでしょう。

日本の女子プロレス界において、格闘家にとって基本だと思われる食事が疎かにされてきたという事実は意外でしたね。

豊田真奈美、全盛期の年収は1千万?

30年間に及ぶ豊田さんの戦歴のなかで、多くのファンが真っ先に思い浮かべる彼女の全盛期は、やはり、全日本女子プロレスに所属していた90年代ごろだといいます。

そんな全盛期の豊田さんの年収は、いったい幾らくらいだったのか気になるところですよね。

豊田さん自身が明かした訳ではないのであくまで推定額となりますが、全盛期の彼女が純粋に女子プロレスで得ていた収入は、どうやら、年収1千万円前後だったのではないかと思われます。

というのも、同時期に全日本女子プロレスで活躍したアジャコングさんが当時の収入について明かしたことがあるのです。

2016年6月に放送されたテレビ東京「ヨソで言わんとい亭~ココだけの話が聞ける(秘)料亭~」にてアジャコングさんが語ったところによると、当時は給料制で、月給18万円だったといいます。

それにプラスして、1試合のファイトマネーが3~4万円ほどだったそうです。

豊田さんは年間300試合近くをこなしていたといいますから、概算で推定年収1千万円、最大で1千4百万円ほどだったのではないでしょうか。

また、1996年には写真集「B.Bomb」が発売されていますが、その収益は推定困難となります。

2003年に右肩骨折、怪我の後遺症続く

豊田さんは、フリーとして活動していた2003年に右肩を骨折しボルト6本で固定、2017年11月に46歳で引退するまで、その状態のままリングに立ち続けていたといいます。

そのときの怪我の後遺症は引退してからも続いており、2018年3月14日にボルト4本を取り除いて人工関節を入れる手術を受けたそうです。

これで完全回復かと思われましたが、残念ながら、そう簡単にはいかなかったといいます。

2018年の手術以降、右肩をいたわるあまり「お利口にしすぎちゃった」という豊田さん。

筋肉が癒着してきてしまい、右腕が思うように上がらなくなってしまったそうです。

その症状は日常生活にも支障がある状態で痛みも増してきたため、2021年6月9日、筋肉を剥がすための再手術を受けたということですが……。

それでも完全には治ることは無く、またしても痛みが出てしまったそうです。

豊田さんはポジティブな性格の持ち主のようで、ファンを心配させまいと明るく振舞っているようです。


しかし、何度も手術を受けているにもかかわらず完治しないというのは、精神的にもかなりの負担があると容易に想像できますね。

引退してからも怪我の後遺症と終わりの見えない闘いが続いている豊田さん。

ですが、彼女ならきっと克服してくれるに違いありませんので、これからも、SNSなどで応援してあげてください。

上京直後は同期から笑いものに

豊田さんは16歳の頃に島根県から上京し全日本女子プロレスに入りましたが、同じ西日本出身の同期がいなかったのだそうです。

そのため、上京直後は心細い思いをしていたといいます。

田舎から出てきたばかりで、右も左も分からない少女だった豊田さん。

当時は広島なまりが無意識に出てしまうことが度々あり、同期の娘たちによく笑われたそうです。

しかし、そんな悔しさを実家の両親にぶつけるようなことはせず、ひとりで耐えていたのだとか。

全日本女子プロレスの事務所前には電話ボックスがあり、辛いときにはそこから実家に電話をかけていたといいます。

電話口に出た母が自分を心配し気遣ってくれると、豊田さんは涙をこらえて元気なふりをしていたのだそうです。

この電話ボックスは、全日本女子プロレスの選手たち誰もが辛いときに涙を流したという思い出の場所だそうですよ。

ブル中野さんのYouTubeチャンネルにゲスト出演したときも、このエピソードを語っていましたね。

最強の女子プロレスラーたちも、少女の頃は普通の人と同じ悩みを抱えていたのですね。


年齢がバレてしまいそうですが、“電話ボックス”と聞いただけで、不思議と当時の情景が目に浮かぶようです。

スマホではこうはいきませんよね。

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