つんく♂の実家は乾物屋、弟はたこ焼き屋。芸名の由来。本名は寺田光男&生い立ちまとめ

つんく♂さんはは大阪府出身で、実家は乾物屋さんを営んでおられるそうです。

そんなつんく♂さんのご実家や兄弟について、本名や芸名の由来についてなど、お伝えします。

つんく♂のプロフィール

本名:寺田光男

生年月日:1968年(昭和43年)10月29日

身長:170cm

出身地:大阪府東大阪市

最終学歴:近畿大学商経学部卒業

所属事務所:TNX株式会社

つんく♂の実家は乾物屋で、弟はたこ焼き屋

つんく♂さんはモーニング娘。をはじめとする数々の人気グループを育て上げましたが、そのプロデュース能力はどこで培われたのでしょうか。

もしかしたらつんく♂さんが育った環境にヒントがあるかもしれませんね。

実家は乾物屋で繁盛していた

つんく♂さんの実家は、大阪府東大阪市にあり、東大阪で一番栄えている商店街と言われる「布施商店街」で乾物屋を経営してしました。

つんく♂さんの祖父がお店を始め、父親が後を継ぎ、つんく♂さんも大学時代までは頻繁にお店に立ってお手伝いをしておられたそうです。


かなりお店は繁盛しており、土日は店は開いていて休みは平日だったため、「みんなが休んでる時こそ働くんや!」と教え込まれたそうです。

つんく♂さんの商売人気質はその頃に培われたのかもしれませんね。

お客さんの回転を上げるために頭を使って仕事をされていたそうですので、現状を見て最善を探すプロデュース能力もその頃に身につけたのかもしれません。

お店は繁盛していましたが、つんく♂さん曰く裕福なわけではなくごく普通の庶民的な生活をしていたそうです。

残念ながら2024年現在ではすでにお店は閉店しているようです。

ちなみに実家のお住まいは、お店がある駅から1つ隣の駅である河内永和にあるそうです。

弟はたこ焼き屋を経営している

つんく♂さんは3兄弟の長男だそうです。

次男は自動車メーカーでサラリーマンをしていると言われています。

三男は実家の乾物屋のあった布施商店街で「丸幸水産」というたこ焼き屋を経営されており、時折関西のテレビの取材を受けられています。

弟さんは非常に明るい性格の方で、つんく♂さんのご実家は明るい雰囲気だったのが想像できるような方でした。

「丸幸水産」では冷凍ではなくて生のタコを仕入れて作っているため、プリプリした食感のタコが入ったたこ焼きが名物だそうです。

お近くに行った際には是非たこ焼きを食べにいくと、兄弟しか知らないつんく♂さんの昔話が聞けたりするかもしれませんね。

芸名の由来と本名

つんく♂さんの本名は「寺田光男」さんとおっしゃいます。

芸名の由来は、以前は子供の頃に「つんくん」と呼ばれていたからと話していたことがあります。

しかし、2008年にNHKの「スタジオパークからこんにちは」に出演した際に、本当は大学時代に友人からつけられたあだ名だった、と語っていました。

あだ名が「つんく」になった経緯は、本名の「みつお」が「みつくん」になり、「つくん」になった後に「つんく」となったそうです。


まさか大事学時代の友人は、自分のつけたあだ名がこれほどのビッグネームになるとは思っていなかったでしょう。

デビュー当初は「つんく」とひらがなだけでしたが、2001年4月以降に芸能活動やプロデューサーとしての活動の際には「♂」を付け加えて「つんく♂」と改名しました。

「♂」をつけた理由は、画数が良くなるから。

また、ある番組で女装した男性と寝たことがきっかけでゲイではないかと言われたことから、ゲイではないという意味を込めたそうです。

ちなみに、2004年以降も作詞作曲のクレジットは「つんく」のままになっています。

生い立ちを調査

つんく♂さんは、1969年10月29日に生まれました。

実家が乾物屋さんでご家族がずっと働いていたため、2人の弟達と時間を過ごすことが多かったようです。

小学校の頃からエレクトーンやピアノを習い始め、高学年ごろからはラジオに夢中になり、ラジオを通して様々な音楽を聴いていたそうです。

つんく♂さんの作る楽曲が多岐にわたっているのは、その頃に培った音楽体験に強く影響を受けているのかもしれませんね。

中学校に入ると、部活は陸上部に入部し、走り高跳びの選手として市内の大会では常に上位争いをしていたほど、スポーツを得意としていました。

性格は結構目立ちたがりだったそうです。

文化祭では松山千春さんなどの楽曲を弾き語りしたり、学生生活では生徒会長を自ら立候補し務めたりと、当時から持ち前のリーダーシップを発揮していたようでした。

高校は、近畿大学付属高校に進学するほど優秀でした。

通っていた中学はバンド活動が禁止されていたため、高校に入るとすぐさまバンドを組み、コンテストに出場するなど活発に活動していました。

タレントになりたい、とも思っていたそうで、数々の芸能事務所のオーディションなども受けていたそうです。

大学は近畿大学商経学部に進学し、大学時代はディスコに入り浸って遊びまくっていたそうです。

そして大学2年生の時に、「シャ乱Q」を結成することになります。

「シャ乱Q」は、メジャーデビュー後、数多くいるバンドの中でも目立っていました。


その頃からすでにつんく♂さんのプロデュース能力は発揮されていたのでしょう。

これからも素晴らしい手腕で、日本のエンターテインメントを盛り上げて行ってほしですね。

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