丹阿弥谷津子は現在(2024)引退。若い頃に文学座。夫・金子信雄は俳優&子供は息子2人

女優の丹阿弥谷津子(たんあみやつこ)さんは2024年現在100歳になりますが、どのように過ごしているのでしょうか。

また「素敵なおばあちゃん」の役を数多くこなしていますが、若い頃はどのような作品に出ていたのか気になります。

長年連れ添った夫・金子信雄(かねこのぶお)さんは1995年に他界。

子供は2人息子がおり、1人は演出家になっているそうです。

丹阿弥谷津子のプロフィール

本名:金子谷津子(かねこやつこ)

生年月日:1924年(大正13年)6月25日

身長:157cm

出身地:東京都墨田区

最終学歴:文化学院文学部卒業

丹阿弥谷津子、現在(2024)は引退して活動なし

ここでは丹阿弥谷津子さんの2024年現在についてや、若い頃のエピソードについてを見ていきます。

現在(2024)100歳

丹阿弥谷津子さんと言えば、長年「おばあちゃん役」をしていたイメージがあります。

美しく品があり、笑顔がとても素敵で周囲を和ませてくれるような雰囲気でした。


しかし2024年現在からさかのぼって10年以上も、丹阿弥さんは女優としての活動をしていないようです。

朗読劇を時おりしているようで、92歳だった2016年に行った「松葉屋の手紙」が動画で残されていました。

90歳を過ぎても、はっきりとした口調で朗読しておりご健在だったことが伺えます。

ちょうどこの2024年で100歳になりますので、老人の日には内閣総理大臣からお祝い状と記念品が贈呈される予定だとか。

2022年に100歳を迎えてお祝いされた方は45,000人もいたといいます。

食生活や医療技術の向上によって、これからも増え続けそうですね。

最後に出演したドラマ

さて、丹阿弥さんが最後に出演したドラマは、2008年に放送された「NHKスペシャル・最後の戦犯」でした。

これは、「油山事件」という実際に起こった事件をもとにしたドラマです。

1945年8月、米兵8名が惨殺された事件がありました。

第二次世界大戦が終わる直前に、ある米軍機が墜落。

搭乗していたアメリカ人8人を、日本兵が福岡市の油山で処刑しました。

終戦後、捕虜を虐待・殺害した日本兵は調べ上げられて逮捕されています。

合計で、900人以上が死刑を言いわたされました。

さて、油山事件を起こした犯人は「上司の命令に逆らえずに仕方なく米兵を殺害した」そうです。


捕まった他の日本兵が次々に裁判にかけられていく様子を知り、怖くなった犯人は3年以上も逃亡。

ついに見つかって逮捕された後、獄中で事件についての手記を書き上げました。

その手記をもとに再現されたドラマが「NHKスペシャル・最後の戦犯」だったのです。

司令官や実行犯は重罪判決が出ましたが、後に減刑されました。

戦争というのは、このような形で苦しんだ人々や命を落とした人も多くいたということを痛感させられます。

丹阿弥さんが最後にこのドラマを選んだのは、戦争の重さを後世に伝えたかったからかもしれません。

撮影した2008年当時でも、すでに84歳とかなりの高齢でした。

それでも、セリフを覚えて演技をしたとは敬服せずにはいられません。

丹阿弥谷津子は若い頃に文学座で活躍していた

丹阿弥谷津子さんが女優になったきっかけは、母親の意向もあったようです。

高校3年生の時、観劇が好きだった母親に「女優になったら」と言われたのだとか。

ちょうど、父親が文学座に在籍している知人がいたこともありました。

紹介で文学座に入った丹阿弥さんは、幸運にもすぐに舞台に立つことができたそうです。

たまたま舞台見学に行った先で、エキストラのような「祭りの見物人」役をもらえました。

本格的にデビューしたのは1945年12月、戦後すぐのこと。


戦争中は都内にいては危険だということで、5年ほど長野県に家族で疎開。

そのため、自然と文学座から遠のいていた時期がありました。

メンバーとは、手紙でやり取りをしていた程度だったそうです。

しかし、偶然「文学座」の創立メンバーが近くに疎開していたことを知った丹阿弥さん。

訪問すると歓迎されて、再び文学座がぐんと身近なものになったのでした。

疎開先にメンバーがいなければ、丹阿弥さんの芸能生活が自然消滅していた可能性もあったでしょう。

人との縁というものは、生きる道を大きく変え得るものだと感じます。

丹阿弥さんは、1945年に「桜の園」でアーニャ役を好演して注目を集めました。

それからは、数多くの舞台や映画・ドラマに出演する人気女優となったのです。

丹阿弥谷津子の夫・金子信雄は俳優

丹阿弥谷津子さんは、1958年に俳優の金子信雄さんと結婚。

金子さんが1995年に亡くなるまで、連れ添っています。

およそ37年間の夫婦生活でした。


金子さんは小学1年で発症した結核と闘い、20歳に克服しています。

きっと青春時代を十分に謳歌することができなかったのではないでしょうか。

とは言え、亡くなる人も多かった結核を治すことができて本当に何よりです。

丹阿弥さんと金子さんが初めて共演したのは、1952年の「生きる」という映画。

巨匠黒澤明(くろさわあきら)監督の作品でした。

金子さんは当初文学座に在籍していましたが、演劇観が異なると感じたそうで脱退。

自ら、新しく青年俳優クラブを結成しました。

人間臭い悪役がとても上手かったですし、金子さん自身も多面的な悪役を演じることが好きだったようです。

さらに、1966年には夫婦で新しい劇団「新演劇人クラブ・マールイ」を結成。

この劇団には、松田優作(まつだゆうさく)さんらが在籍していたそうです。

金子さんは料理がとても上手で、1987年から「金子信雄の楽しい夕食」という帯番組を持つまでに。

亡くなるまで番組を続けていたそうです。

丹阿弥谷津子、子供は息子が2人

丹阿弥谷津子さんには、金子信雄さんとの間に子供が2人いるようです。

長男は一般人のようで、どのような方なのか公表されていません。

次男は朗読劇の演出家の金子こうじろうさん。


俳優の高嶋政伸(たかしままさのぶ)さんと朗読劇「リーディングセッションheart of Wilderness」を立ち上げています。

また、「ワルツ〜カミーユ・クローデルに捧ぐ」という朗読劇を母の丹阿弥さんが担当した回もあれば、三田和代(みたかずよ)さんや島田歌穂(しまだかほ)さんが担当したこともあったようです。

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