松山恵子は結婚していない。兄との確執&マネージャーを子供に迎えた

松山恵子(まつやまけいこ)さんは、「おけいちゃん」の愛称で親しまれた昭和を代表する歌手でした。

2006年5月7日に69歳で他界されましたが、プライベートは波乱万丈だったそうです。

そんな松山恵子さんの結婚や家族についてなど、お伝えします。

松山恵子のプロフィール

愛称:おけいちゃん

本名:岡崎恒好

生年月日:1937年(昭和12年)4月10日

没年月日:2006年(平成18年)5月7日

身長:150cm

出身地:福岡県北九州市戸畑区

松山恵子は結婚していない

松山恵子さんは若かりし頃は数々の男性と熱愛報道をされましたが、生涯1度も結婚することはありませんでした。

松山さんは1955年6月に「マドロス娘/宵待ワルツ」のシンルグで歌手デビューしました。

当時はまだ18歳でした。


松山さんはテレビに出て歌うだけではなく、お客さんを目の前にして歌うことを非常に大事にされてきました。

雑居ビルの中のキャバレーなど、200人キャパのようなお店でもお客さんと直接触れ合い、酒に酔っ払った客をあしらうことにも慣れていました。

いつでも衣装やメイクなども完璧に仕上げ、どんな場所でも歌を聴きにきてくれた人に楽しんでもらおうという気持ちでステージに上がっておられました。

18歳でデビューして以来ずっと、1年のほとんどをそのような地方周りに費やすような生活を続けていました。

ですので、家庭を持つという考えには至らなかったのかもしれませんね。

もちろん松山さんも結婚適齢期と言われてる年齢も経てこられましたが、個人的な幸せよりも歌手としての幸せを選ばれたのではないでしょうか。

代わりと言っては違うかもしれませんが、そういった地方を回る少数のスタッフは、松山さんにとっては家族も同然の存在だったそうです。

実際に亡くなる直前には、50年間苦楽を共にしたマネージャーの女性と養子縁組を行い、松山さんの長女となり、本当の家族になられました。

また、最後にお客さんの前で歌唱した2006年2月に収録されたNHKデジタル衛星ハイビジョン「シブヤらいぶ館・演歌一本勝負」の収録では、「おかえり!」と観客からの声援に「ただいま!家族になれた!」と喜んでおられました。

松山さんにとっては、スタッフやファンの方に支えられたという思いがあったのではないでしょうか。

そして、そんな大切な人たちを家族のように思われていたのではないでしょうか。

兄との確執があった

松山恵子さんには2人の兄がいらっしゃったと言われています。

松山さんはほとんどプライベートなことを話さないことでも知られていたため、兄に関しても年齢や名前などは一切明らかになっていません。

1969年に交通事故に遭い生死をさまよった後、週刊誌に半生を語ったことが1度だけありました。

子供の頃から歌が得意だった松山さんは、中学2年生の時に「コロムビア全国歌唱コンクール」で入賞し、それをきっかけに故郷の愛媛県から家族全員で大阪に移り住みました。

家族全員が松山さんの歌声に人生をかけた瞬間でした。


デビュー後、1956年の「十九の浮草」を皮切りに立て続けにヒット曲を出し、7年連続でNHK紅白歌合戦にも出場しました。

松山さんはご自身が歌手になるために苦労をかけた家族へ、両親、長男、次男へそれぞれ1軒ずつ家を建ててプレゼントしたそうです。

ご両親も兄たちも喜ばれたことでしょう。

ですが、いつ、どのようなことが原因かは明らかになっていませんが、どちらかの兄との間に確執が生まれてしまったそうです。

また、兄が失踪してしまったという情報もあり、松山さんと家族はいつの頃からか、あまり良い関係ではなくなってしまっていたそうです。

ですが、2006年5月7日に松山さんが亡くなる数時間前、兄が病院にかけつけ、松山さんの手を握り「ごめんね、ごめんね」と何度も言っていたそうです。

その時は松山さんはすでに意識がなかったものと思われます。

確執はあったものの、松山さんのスタッフと兄の間には連絡は取れる状態だったようですが、亡くなってしまう前に確執を取り除くことはできなかったようです。

兄との間に何があったのかは明らかになっていませんが、もう少し早くその言葉を伝えてあげてほしかったですね。

マネージャーと養子縁組をし子供になった

松山恵子さんは、2006年5月7日に亡くなる約1ヶ月前に、50年間マネージャーとして苦楽を共にした女性と養子縁組を行い、マネージャーを長女に迎えています。

松山さんが入院する前までは、ずっと同棲しており、長年2人暮らしをしておられたそうです。

松山さんは1969年に遭った交通事故の治療の際の輸血で肝炎を患っていました。

1996年ごろにはC型肝炎という診断を受け、壮絶な闘病生活を送っておられましたが、近しいスタッフ以外にはそのことは隠していました。

もちろん長女となったマネージャーの方は知っておられたと思われます。

松山さんはご自身の死期を感じ、結婚も出産もされなかったため、家族同然だったマネージャーの女性に全てを託すことを決め、養子縁組を行いました。


松山さんはその時に「もう思い残すことはない」と語っていたそうです。

ずっと松山さんを支えてこられたマネージャー女性も、松山さんが亡くなった時には家族を失ったのと同じように悲しまれたでしょう。

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