村田英雄、たけしにイジられキレた?三波春夫と不仲?息子・家族と足切断について

「王将」「人生劇場」など男の人生を豪快に歌って人気を博した「村田先生」こと村田英雄(むらたひでお)さん。

「ムッチー」という愛称でも親しまれましたね。

ムッチーブームのきっかけになった、たけしさんのラジオ番組とはどんなものだったのでしょうか。

また、ライバルといわれた三波春夫さんとの関係や息子など家族のこと、さらに糖尿病による足切断についてまとめました。

たけしが大御所・村田英雄をイジり倒す!


たけしさんがまだ「世界のキタノ」ではなく、ツービートで毒舌漫才をしていた頃のことです。

『ビートたけしのオールナイトニッポン』で数々の伝説のギャグが生まれました。

それらは村田英雄さんの豪快なキャラクターやトンチンカンな言動をネタにしたもの。

これが演歌になじみのない若いリスナーに大受けして、ムッチーブームが起こります。

村田英雄さんにまつわる豪快な逸話とは、例えばこんなものでした。

海外旅行の際、書類の「sex(性別)」の欄に「週2回」と書いた。

力うどん(ちからうどん)を「かうどんをくれ」と注文した。

ムッチーブームのきっかけとなったたけしさんのラジオ番組について、水道橋博士や松村邦洋さんらが対談しています。

水道橋「でも、聴いているほうはドキドキしましたよ。

歌謡界の大御所をイジるなんてタブーだったじゃないですか。

それなのにコーナーまで作って、大御所をイジり倒した」

松村「村田先生もさすがでしたね。

あの番組がきっかけでムッチーブームが起こると、ついにご本人が番組に登場。

『たけし君、ガッハッハ』と全てを笑い飛ばした」

水道橋「あれには『大御所とはこういうものか。

さすが懐が深い』と、我々リスナーも感動しました」

ネタの大半は創作といわれていますが、村田英雄さんならありそうというものばかり。

たけしさんが歌を歌うことについて説教したこともあるようです。

いいか、たけちゃん。

いや、たけし。

お前は漫才師だ。

俺は歌手だ。

高田、お前は作家だ。

お互い仕事のジャングルが違うんだ。

俺のジャングル入って来るな。

ジャンルとジャングルを混同したのですね。

高田文夫さんによると、このエピソードは本当の話だそうです。

三波春夫はライバルだった!不仲説は?

「お客様は神様です」のフレーズでおなじみの三波春夫さん。

村田英雄さんの時代は、「お富さん」の春日八郎さん、「哀愁列車」の三橋美智也さん、「世界の国からこんにちは」の三波春夫さんといった戦後の日本歌謡界の花形スターたちがしのぎを削っていました。

とりわけ同じ浪曲出身の三波春夫さんとはライバルといわれており、不仲説もささやかれたようです。

しかし実際には、村田英雄さんは三波春夫さんを先輩として尊敬していたとのこと。

もちろん良きライバルとしてお互いに意識していた可能性はありますが、犬猿の仲ではなかったようです。

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村田英雄の息子など家族は?

村田英雄さんは1929年(公称)、福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)で、広沢仙遊さんと矢野ツタ子さんの子供として誕生。

その後、ツタ子さんの姉弟子である出利葉スミ子さんの養子になります。

スミ子さんは梶山春雄さんという男性と結婚し、一家は佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)へ引っ越しました。

幼少時から浪曲界に入り、1947年に少女浪曲師の吉田伊万里(本名・野口ユイ子)さんと結婚しています。


この最初の結婚で、少なくとも息子を二人と娘を一人もうけたようですが、子供たちについての詳細はわかりません。

62歳の時にユイ子さんに先立たれ、2000年に石田須眞子さんと結婚式を挙げています。

村田英雄が糖尿病で足切断!

酒豪で、肉好きで、大の野菜嫌いという食生活がたたり、30代半ばから糖尿病に悩まされてきた村田英雄さん。

1995年頃から合併症が深刻になり、その年の8月には急性心筋梗塞、欝血性心不全で意識不明となる事態に。

1996年には右ひざ下を切断しました。

閉塞性動脈硬化症による足切断でした。

2000年には左足も悪化し、左ひざ下を切断。

完全に車椅子生活となりました。

「オレに引退という文字はない。」

こう言い続けてきた村田英雄さんですが、2002年6月13日、合併症の肺炎のため息を引き取りました。

73歳でした。


病魔を何度も乗り越え、義足という不自由な身体になっても再起を果たした村田英雄さん。

昭和の歌謡史を代表する大物スターが消えてしまうのは、なんともさびしいものですね。

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