日野てる子と夫・一ノ瀬義孝に子供2人。家族は非公開。美人と評判!晩年も活動&死因はガン

昭和40年代を代表する歌手の日野てる子(ひのてるこ)さん。

代表曲の「夏の日の想い出」は100万枚を超える売り上げを記録し、紅白歌合戦にも出場しました。

今回は、日野てる子さんの子供や家族、死因などについて調査しました。

日野てる子のプロフィール

本名:一ノ瀬照子

生年月日:1945年(昭和20年)7月13日

身長:不明

出身地:愛媛県松山市

最終学歴:松山東雲高等学校

日野てる子と夫・一ノ瀬義孝の子供は2人とも音楽家

日野さんの夫は、一ノ瀬義孝さんという方です。

1932年に旧満州で生まれた作曲家で、橋幸夫さんの「雨の中の二人」の編曲なども担当した、昭和歌謡に多大な功績を残した人物です。

2人はテレビ番組への出演がきっかけで知り合い、1969年に結婚して1男1女をもうけました。


一ノ瀬さんは、日野さんを安心して家庭を任せられる人と評しており、最後まで夫婦仲は良かったようです。

晩年までさまざまなジャンルの作曲や編曲に携わっていましたが、残念ながら2019年に87歳で亡くなっています。

長男の名前は響さん。

職業は作曲家で、2001年のキューピーマヨネーズのCMや、2007年のプレイステーション3のCMの楽曲を作成しています。

2004年に発表したアルバム「Lontano」は世界各国で高い評価を受け、イギリスの音楽雑誌でも紹介されました。

長女はトニカさんといい、長男と同じく作曲家として活動しています。

ピアノソロアルバムを発表している他、数多くの録音を残しています。

生前の日野さんは、プライベートについて多くを語っていなかったようです。

よって子供との関係や、家庭的なエピソードは見つけることができませんでした。

ただし、日野さんの葬儀には子供達も駆け付けていたので、親子仲は良好だったと思われます。

家族の情報はほとんど公表されていない

日野さんの家族に関する情報はほとんど公表されていないようです。

両親の名前や職業、親子仲に関するエピソードなども残っていませんでした。

年齢的に、2024年現在すでに他界されていると思われます。

日野さんの葬儀に訪れたとの報道も見つけられなかったので、2008年時点で亡くなっていたのかもしれません。

また、兄弟がいるなどの情報も見つけられませんでしたので、一人っ子だったのでしょう。

日野さんは、17歳の時に全日本ハワイアンコンテストで優勝しています。

よって幼少期から、ハワイの音楽に親しんでいた可能性が濃厚です。

もしかすると、両親はハワイアンに馴染みが深い人物なのかもしれませんね。

若い頃から美人だと評判だった

日野さんは、長い黒髪とチャーミングな花飾りが特徴の美人歌手として知られていました。

昔からのファンは、紅白歌合戦やみんなのうたに出演した際の美しさが忘れられないと語ります。

笑顔が素敵で、目鼻立ちのハッキリした美人ですね。

歯並びも綺麗で、非常にステージ映えする人物だったようです。


2024年現在でもアイドルとして通用しそうなほど、独特の美しさがあります。

日野さんは、1970年に結婚を理由に一度引退しています。

若干25歳で歌手として最盛期を迎えようとしていたタイミングでの引退に、惜しむ声がたくさん寄せられました。

優しい中に憂いを感じさせる独特の歌声を惜しむ声と併せて、美人を取られたという嫉妬の声もあった様子。

テレビドラマにも主演で出演していたようなので、芸能界も美人と認識していたのでしょうね。

また、一般人が主催しているハワイアンの発表会にサプライズで参加することもあったようです。

その姿を見た人は、プライベートでもオーラが凄かったと当時を振り返っています。

晩年は入退院を繰り返しながらも活動

日野さんは、55歳の時にガンの告知を受けました。

当初はただの風邪と思ったそうですが、病院で検査した結果ガンが判明したのです。

タバコを吸わないのになぜ肺ガンになるのかと、驚きを隠せなかったとのこと。

約1か月後に転院した際に、脳の5ヶ所に転移していることが発覚。

摘出手術を行いましたが、入退院を繰り返さなければなりませんでした。

日野さんは、ガンが判明した後もネガティブにはなりませんでした。

以前と変わらず歌手活動を続け、家庭内でも明るく優しい母や妻で居続けたそうです。


晩年はディナーショーを中心に活動していました。

その優しくも力強い歌声は最後まで健在で、コンサートはいつやるのかという問い合わせが絶えなかったそうです。

闘病生活は非常に大変だったと思われます。

痛みや苦しみに耐えながら大勢を相手にステージに立ち、家でも普段通り振る舞うのは並大抵の精神力では難しいでしょう。

日野さんが晩年まで活動を続けられたのは、夫や子供達のサポートがあったからだと言われています。

自分の音楽を楽しみにしてくれているファンの存在も、心の支えになったのでしょうね。

日野てる子の死因は肺ガン

ガンを患ってもステージに立ち続けた日野さんですが、残念ながら2008年にこの世を去ってしまいました。

死因は肺ガンと発表されています。

最後のステージは、2007年12月に行われたクリスマスディナーショーでした。

亡くなった翌月にはお別れ会が開かれ、同期の演歌歌手三沢あけみさんなど約300人が駆け付けています。

約5年間ガンと闘ってきた日野さんですが、回復は難しかったようです。

告知された翌月には転移が発覚していることから、発見時には相当進行していたと思われます。

日野さんは、2024年に十七回忌を迎えます。


彼女の代表曲である「夏の日の思い出」は、これからもたくさんの人に歌い継がれていくでしょう。

その歌声と美貌は、永遠に色あせることはありません。

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