式場壮吉、前妻が三富邦子はデマ。欧陽菲菲との子供なし&兄弟の情報は非公開

1963年開催・第1回日本グランプリの優勝者である元レーシングドライバーの故・式場壮吉(しきばそうきち)さん。

続く第2回日本グランプリではポルシェ・カレラGTS(904)をドライブし、スカイライン2000GT(プリンス)をドライブする生沢徹氏とのバトルは伝説となりました。

引退後は実業家として自身の会社を設立、その後は病院経営に携わるなど波乱万丈な生涯を送りました。

そんな式場さんを支えた家族はどんな人たちだったのか調査しました。

式場壮吉のプロフィール

本名:式場壮吉(しきばそうきち)

生年月日:1939年(昭和14年)2月9日

出身地:千葉県市川市

最終学歴:成城大学文芸学部卒業

式場壮吉、前妻が三富邦子の噂はデマ

式場壮吉さんの妻は、名曲『ラブ・イズ・オーヴァー』で知られる台湾人歌手・欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)さんです。

実は二人は再婚だったそうで、結婚することを発表した際にフィーフィーさんは「それは仕方のないことだよ。」「彼の過去のコト問題ない。」「2人が幸せになればいいんだから」とコメントしたといいます。

それまでの式場さんの結婚歴については公開されていません。


にもかかわらず、式場さんの前妻が「三富邦子さんなのでは?」といった噂があるようです。

いったいなぜ、そのような噂が流れているのでしょうか。

三富邦子さんという女性と噂の理由や信憑性について調査しました。

前妻と噂の三富邦子とは?

2024年現在、三富邦子(みとみくにこ)さんについては、モデルをしていたということと、子供が1人いるということくらいしか得られる情報はありません。

主に1960年代~1970年代にかけて活躍したようですが、あまり詳しい経歴などは残されていませんでした。

三富さんがモデルとして活動していた頃は、雑誌「家庭全科」「婦人公論」「ミセス」などで仕事をしていたようです。

これらの雑誌は、今もオークションサイトやフリーマーケットなどで取引されています。

1970年、有名ファッションデザイナーの故・高田賢三(たかだけんぞう)さんがパリで最初の店「JUNGLE JAP」(ジャングル・ジャップ)をオープンした際に、三富さんがモデルとして起用されたといいます。

当時、ちょうどピエール・カルダンのモデルをしていてパリを訪れていたのだとか。

また、三富さんはフランス人の映画監督、ピエール・グランブラさんと結婚して子供が1人います。

子供は三富都琴(みとみとこと)さんという方で、MITOMI TOKOTOとして音楽プロデューサーやDJとして活動しているそうです。

音楽プロデューサーといっても、かなり過激でセクシー路線の女性アーティストを多く手掛けているようで、露出が多めなこともあり、ちょっとここでは画像を掲載することができません。

グランブラさんは再婚だったようですが三富さんが再婚だったかどうかは公開されていませんので、そこから彼女の結婚歴について推測することは困難です。


三富さんとグランブラさんが結婚した時期など、詳しいことは公開されていないようなので、そこから式場さんの前妻説を判断することもできませんでした。

モデルをしていた頃の三富さんの写真を見る限り、とても綺麗な女性ですね。

それにしても、50年以上も昔ともなると今とはまるで違う世界に見えてしまいます。

なんというか、さながらジェームズ・ボンドやサンダーバードの世界のようで、もはや別の惑星と言えるくらいの違いが時代の移り変わりを感じさせますね。

生沢徹のブログでは親しそう

式場さんのライバルである元レーシングドライバー・生沢徹(いくざわてつ)さんとは若い頃から親交が深かったようです。

生沢さんは著書やブログで当時の交友関係について書いており、式場さんの話題もたびたび書いています。

そんな生沢さんのオフィシャルブログには、かなり若い頃と思しき式場さんと三富さんも登場します。

歌手のミッキー・カーチスさんや銀座のスキーショップ・秀山荘の大西章夫さんとも交流があったようです。

式場壮吉、三富邦子、銀座スキーショップ「秀山荘」大西章夫、ミッキー・カーチス。

ブログでは、式場さんと三富さんはクラシックなコンバーチブルカーのフェンダー部分に腰かける様子を紹介。

三富さんは式場さんに寄りかかっていたようで、二人は親しげに見えるのだとか。

若い頃の二人はかなり仲が良かったのは間違いなさそうですね。

こうした情報を知ると、式場さんの前妻は三富さんなのかも?と思ってしまいそうです。

とはいえ、ブログ内では二人が付き合っていたとか、ましてや結婚していたといったことを匂わせるような言葉は書かれていません。

前妻が誰かは不明

インターネット上には、生沢さんのブログ以外に式場さんと三富さんの交流が分かる情報は残されていないようなので、残念ながら、二人がどこまでの関係だったのか実際のところは不明となります。


そればかりか、式場さんについて「前妻」や「元妻」といったキーワードでGoogleで検索すると、欧陽菲菲さんが表示される状態です。

これはYahooなど他の検索エンジンでも同様でした。

BingのAI検索にいたっては「ごめんなさい、私の情報が間違っていました。🙇 私は、三富邦子さんとオーヤン・フィーフィーさんを混同してしまいました。私の誤りをお詫びします。🙏」と謝罪までされてしまうことに。

このことから、式場さんの前妻の情報がまったく公開されていないことが窺えます。

もしかすると、70年代当時は新聞・雑誌で少しは書かれたことがあるのかも知れませんが、2024年現在は不明となります。

妻・欧陽菲菲との間に子供なし

式場さんとフィーフィーさんが結婚したのは1978年4月のことでした。

結婚当時、式場さんは39歳、フィーフィーさんは28歳。

有名レーサーと有名歌手の結婚というだけでなく、10歳以上離れた年の差や国際結婚ということも注目を集めました。

その後、二人は離婚することもなく、2016年5月17日に式場さんが亡くなるまで夫婦であり続けたのです。

77歳で死因は肝不全だったといいます。

葬儀の喪主はフィーフィーさんが務めました。

二人の間には子供がいなかったそうで、養子をとったという情報もありません。

元レーサーで実業家で病院の理事長だったという経歴の持ち主で、まさに人生を謳歌したと言える式場さんですが、彼の後を継ぐ子供がいないというのは意外ですね。

兄弟の情報なし

式場さんは、引退後に実業家として活動しており、シキバエンタープライズを設立し自動車用品ブランド「レーシングメイト」を手掛け、自動車雑誌「カーマガジン」の編集も担いました。

その後の倒産を受け会社経営から身を引くと、父親が経営していた千葉県市川市にある精神科病院「式場病院」の理事長を務めていたといいます。

ということは、兄弟がいるとすれば医師?と思ってしまいますが、詳細は不明です。

式場病院のホームページによると、2024年現在の院長は1953年生まれの精神科医・式場隆史さんとなっています。

それに加え、1947年生まれの精神科医・式場律さんという方も勤務しているようです。

1939年生まれの式場さんと年の離れた兄弟と考えることもできるかもしれませんが、果たしてどうでしょうか。

式場壮吉さんは、著名な精神科医・式場隆三郎(ーりゅうざぶろう)氏の甥であり、「式場」の血を受け継ぐ人物は大勢いるのです。

同族経営の式場病院の関係者で同じ式場の名字を持つ人物だからといって、兄弟だとは断言できないと言えます。


加えて、病院のホームページでは「創設者・式場隆三郎」についてのみ記載があり、家族間の詳細な関係までは明かされていません。

創設者・式場隆三郎の「精神科病院においては療養環境が治療上の重要な要素となる」という考えを重視している

結局のところ、式場壮吉さんの兄弟についての情報はなく、本当に兄弟がいたのかどうかすら不明となります。

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