知名度・実力ともに申し分なく数々の作品で活躍していた俳優の故・田中実(たなかみのる)さん。
妻と2人の子供にも恵まれ公私ともに順調かと思われましたが、2011年、周囲に何も告げずに44歳で自ら命を絶ちました。
彼の死を巡ってはインターネット上で様々な憶測が飛び交ったのです。
今回は、田中さんの妻との噂について、また、残された家族と実家についてお伝えします。
田中実のプロフィール
本名:田中実(たなかみのる)
生年月日:1966年(昭和41年)10月27日
没年月日:2011年(平成23年)4月25日(44歳没)
身長:185cm
出身地:東京都大田区池上
最終学歴:東京都立雪谷高等学校卒業
所属事務所:オスカープロモーション(最終所属)
田中実、妻と離婚寸前の事実なし&噂の理由
田中実さんは2011年4月に自宅マンションで自ら命を絶ちました。
生前の彼の結婚生活について、一部インターネット上で流れている噂があります。
その噂とは、田中さんが亡くなった時には妻と離婚寸前で、別居していたのでは?というもの。
なかには、すでに離婚していたのでは?というものまであります。
しかし、これらの噂は根拠に乏しいため、単なるデマだとみなして良いと思われます。
田中さんは1993年に妻と結婚しました。
妻は一般の方ですので、名前や職業など詳しいことは公開されていません。
結婚後、田中さんが亡くなるまで離婚することはありませんでした。
では、なぜ田中さん夫妻に離婚という噂が流れたのかというと、理由は大きく分けて次の2つです。
発見当時、妻が家にいなかった
よく言われている噂の理由として、一つ目は、田中さんが亡くなった時に妻が自宅に居なかったというものです。
しかし、実際は妻と別居していた訳でも、ましてや離婚していた訳でもありません。
当時の報道によると、田中さんは、2011年4月25日午後3時ごろ、東京都大田区のマンション4階の自宅にて、窓に取り付けられた落下防止用の柵にマフラーを結び、首を吊った状態で発見されました。
ちょうど床に座るような体制で亡くなっていたそうです。
変わり果てた姿の田中さんを発見したのは、当時マネージャーだった男性と母親の2人でした。
では、妻は何処にいたのかというと、単に仕事で留守にしていただけだったのです。
詳しい職場は明かされていませんが、妻はパート従業員として働きに出ていたそうで、夫の訃報を職場で聞くとすぐさま自宅へ帰ったといいます。
妻は、田中さんの最期こそ看取ることはできませんでしたが、すぐに夫のもとに駆けつけているのです。
その後、田中さんの母親とともに救急車に同乗して病院へと向かったといいますから、関係が良くなかったとは考えにくいのではないでしょうか。
なお、遺書のようなものは見つかっておらず、田中さんがなぜ、家族を残してこの世を去る決断をしたのかは不明です。
仕事で干されていたということもなく、単発とはいえ、最期の日となった4月25日も『法医学教室の事件ファイル』(テレビ朝日)という2時間ドラマの撮影が予定されていたそうですし、半年ほど先まで仕事の予定が入っていたといいます。
当時の所属事務所であるオスカープロモーションの関係者はおろか、家族にすら理由がまったく分からなかったということです。
矢部美穂と不倫の噂
田中さんの離婚が噂された2つ目の理由は、タレント・矢部美穂さんとの不倫を暴露された影響で妻と不仲だったのでは?というものです。
これは、田中さんの死を巡って必ずと言っていいほど挙げられる噂でもあります。
矢部さんが2003年2月12日に発売した小説『蒼い告白』の赤裸々な内容が、当時、物議をかもしたのです。
矢部美穂は10年くらい前に私小説風の官能小説を出して話題になったのだけど、そのPDF版を確か買ったはず。どこに保存してあるのかわからないけど、見つけたらぜひiPadで読んでみよう。
— 織茂洋介 (@yorimo) October 1, 2011
自身の日記や実体験をもとにした“官能的で極めて私的な小説”となっているようですが、よくよく読むと暴露本のような内容で、登場人物の一人が田中さんだと思えるのだとか。
20代半ばのアイドルだった矢部さんが突如作家として本を出すというのも不自然でしたし、田中さんは妻子持ちでしたから、この小説によって実質的に不倫が暴露されたと話題になったのです。
とはいえ、この小説はあくまで“作品”でありフィクションの要素も強かったといいます。
この本が発売されてから田中さんが亡くなるまで、8年以上の年月が経っていますし、その間に別居や離婚の報道もありませんでした。
実際、田中さん夫妻は死別するまで一緒に暮らしてきましたし、亡くなる2週間ほど前には、近所の飲食店で夫婦そろって食事をする姿が目撃されていたそうですから、離婚の危機だったとは考えにくいのではないでしょうか。
息子は俳優ではない
田中さんには息子と娘が1人ずつ、2人の子供がいます。
2011年に田中さんが亡くなったとき、息子は高校生で娘は中学生だったそうです。
2024年であれから13年が経ちますので、もう2人とも大人になりました。
田中さんは実力派俳優と評判だったので、息子が俳優になる想像をした人もいるかもしれません。
ですが、彼らが今どうしているのか気になるところですが、全くと言っていいほど情報がありません。
もし、田中さんの子供たちが芸能界入りしていたとしたら、きっと話題になっていることでしょう。
親の名を伏せて活動している2世芸能人もいるでしょうからなんとも言えませんが、ここまで情報がないとなると、父親とは別の道に進んだのかも知れませんね。
兄弟は兄&実家は大田区池上の居酒屋
田中さんの兄弟については、情報が非常に少ないです。
彼が亡くなった当時の新聞報道を見る限り、兄が一人いることだけは間違いありません。
2011年4月27日に密葬が行われたそうで、遺族を代表して田中さんの兄があいさつをしたということです。
とはいえ、公開されているのはそれだけで、兄の名前や年齢も明かされていませんし、他に兄弟がいるのかどうかも分かりません。
また、実家は東京・大田区池上にあり、1973年から父・幸治さんが「鳥よし」という居酒屋を経営していました。
2008年6月21日に放送された『出没!アド街ック天国』(テレビ東京)で紹介されています。
田中さんが生前に住んでいた自宅マンションからも近く、その名の通り鳥料理がメインだったそうですが、夜は居酒屋で昼は音楽教室という一風変わった店でもあったといいます。
音楽教室「緑声会」では幸治さんが鍵盤を弾きレッスンしていたそうで、彼は南国牧童(なんごくぼくどう)という名前の作詞家としても活動していたのだとか。
300作品以上も作詞したといいますから、単なる趣味の領域ではなく本格的な音楽教室だったのでしょうね。
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