近年は通販番組などで活動しているタレント・城咲仁(しろさきじん)さん。
チャーハンがプリントされた黒い丸首のTシャツ姿で中華料理店である実家のメニューを売り込む彼は、実は元カリスマホストとして知られています。
今回は、城咲さんの若い頃のエピソードを中心に、かつて在籍していたホストクラブについても紹介します。
城咲仁のプロフィール
愛称:仁さん
本名:岡山純一(おかやまじゅんいち)
生年月日:1977年(昭和52年)9月23日
身長:177cm
出身地:東京都板橋区大山西町
最終学歴:高校卒業(学校名不詳)
所属事務所:フリー活動中
城咲仁 、若い頃はナンバーワン・カリスマホスト!
城咲仁さんはテレビの通販番組を中心に活動しているタレントです。
2022年からは、ささやかな中華料理店を営む実家「丸鶴」の味を売り込むサイト「丸鶴魂」を立ち上げ、冷凍食品の通信販売も手掛けています。
彼の販売テクニックは超一流で、テレビ通販の売上は、なんと、1日で2億円を記録したこともあるのだとか。
人気ホストとしてテレビでも活躍
そんな城咲さんは、2024年で47歳を迎えます。
いくら売上が凄いとはいえ、「通販番組のオジサン」なのだろうと思いきや、若い頃は夜の歓楽街でその名を知られたホストだったのです。
それも、ちょっとホストやってましたというレベルではなく、東洋一の歓楽街・歌舞伎町の老舗ホストクラブ「クラブ愛」で5年連続ナンバーワンの座に君臨したカリスマホストだったといいます。
ここまで読んで思い出したという人もいると思いますが、城咲さんは元カリスマホストという話題性のあるキャラクターを活かして、2005年から数々のバラエティー番組へ出演していました。
城咲さんがホストとして活動していたのは、27歳ごろまでのようですね。
彼のWikipediaによると、当初は「浅樹仁」という源氏名で活動していたとされています。
とはいえ、2024年現在、裏付けとなる情報を見つけることはできませんでした。
一方で、NHK関連のサイトでは「城咲仁」名義の愛本店の名刺が、彼の22歳ごろの写真と共に掲載されていますので、1999年ごろにはホスト・城咲仁として活動していたと思われます。
ホスト・城咲仁が誕生したワケ
若い頃にカリスマホストとして名を馳せた城咲さんですが、そもそも、彼がホストになった理由の一つは、幼少期を過ごした実家での辛い経験だったといいます。
城咲さんの実家は町の小さな中華料理屋を経営しており、両親はともに店で働いていたそうです。
一人っ子だった城咲さんは、小学生のころは所謂「鍵っ子」で、学校から帰っても誰も「おかえり」とは言ってくれない毎日を過ごしていたといいます。
中華料理屋の実家は、一般の家庭で夕食になる時刻にも当然営業中。
そのため、夕飯は夜7時ごろ店に食べに行き、帰宅後に入浴して1人で寝床に入るという生活を送っていたのだそうです。
実家「丸鶴」の定休日は日曜日だったそうで、両親と落ち着いて学校の話ができたのは、日曜の夕食を家族で食べるときくらいだったといいます。
店の仕事が最優先だったという両親が平日の学校行事に来ることは無く、遠足の送り迎えでさえ親戚に頼んだこともあったのだとか。
そんな寂しくて辛い思いを自分の子供にはさせたくないと、子供ながらに感じていたのだといいます。
さらに、城咲さんが高校生になったころはバブル崩壊の波が押し寄せていた時期でした。
小さな飲食店にとって不況の影響は大きく、丸鶴も例外ではなかったといいます。
根っからの職人だった父親はそれでも手抜きをすることはなく、足を運んでくれるお客さんに恥じない料理を提供するために、毎日大量の仕込みを続けたそうです。
それでもお客さんの数は減ってしまい、せっかくの食材を廃棄することも多かったのだとか。
そんな、自分たちの努力とは関係のない力の影響で理不尽な思いを強いられる“飲食店の厳しさ”というものを目の当たりにしてきた城咲さんは、常々それ以外の場所へ飛び立ちたいと考えていたといいます。
父親は息子に丸鶴を継がせたかったそうで、高校を卒業してからは強引に店で修行をさせられたそうですが、もともと後を継ぐつもりがなかった城咲さんは18歳で家を飛び出したということです。
こうして、自分の能力と努力次第でどんどん稼ぐことができるホストへの道を歩み始めたということですね。
全盛期の年収は1億円超え?
ホストとして活動し始めた城咲さんは次第に頭角を現し、並み居る歌舞伎町のホストの中でも一目置かれる存在になったといいます。
当時、彼が身を置いていたのはホストクラブ「愛本店」の前身となる「クラブ愛」でした。
クラブ愛では5年連続売上ナンバーワンに輝き、全盛期の年収は1億円にもなったといいます。
そのことから「1億円ホスト」「夜の1億円プレイヤー」などと呼ばれていたそうです。
彼の年収もさることながら、一晩の売上は最高2500万円だったとも。
城咲さんに会うために海外から訪れていた女性客もいたということです。
これは、新聞・雑誌をはじめ多くのメディアで掲載されており、城咲さん自身も否定していないようですので間違いない情報といえるでしょう。
自分の力を試したいと思って家を飛び出した城咲さんにとって、まさに天職だったようですね。
古巣・愛本店がリニューアル
城咲さんの古巣である「愛本店」は、創業以来50年以上になるという歴史の中で移転を繰り返してきました。
1971年、故・愛田武氏によって新宿二丁目の「クラブ愛」として創立され、歌舞伎町へ移転してきたのは1977年のことです。
その後は店名を「愛本店」に改め営業を続けてきましたが、2020年6月にビルの老朽化により一時閉店することに。
それからの3年間は仮店舗での営業を余儀なくされています。
そんな「愛本店」もコロナ禍の荒波に揉まれることになりますが、閉業することは無く復活。
2023年5月にリニューアルオープンし、叙々苑 新宿ビルII 地下1階にて営業しています。
リニューアルオープンの際には、城咲さんもサプライズとして来店したそうです。
歴史が移り変わっても、城咲さんの名は歌舞伎町の夜に轟き続けているようですね。
関連記事
城咲仁の死因はデマ。干された理由は降板事件。現在(2024)バイヤー&復活ホストが話題
城咲仁と嫁・加島ちかえの結婚、子供はいない。離婚はデマ&自宅でパーティー
城咲仁、実家は父親のチャーハンが人気の中華料理店&母親とはデートするほど仲良し
山瀬まみの年収がすごい?自宅の噂、実家は飲食店。出身は秋田ではなく埼玉
愛田武の息子や娘まとめ。妻は不倫相手。若い頃はセールスマン&家系図が複雑