忌野清志郎の妻・石井景子は一般人。結婚が遅かった理由。自宅は代々木&馴れ初め秘話

歌手の忌野清志郎(いまわのきよしろう)さんの妻・石井景子(いしいけいこ)さんは、化粧品会社に勤める一般人だったそうです。

下積み時代から長い間交際していたのですが、なかなか結婚には至りませんでした。

そこには、忌野さんの恩師からの厳しい教えがあったようです。

自宅は代々木上原のマンションで、一部分を改装してスタジオにしていたといいます。

伝説の人・忌野さんと有名人との「馴れ初め」についても気になるところ。

一つずつ、見ていきましょう。

忌野清志郎のプロフィール

本名:栗原清志(くりはらきよし)

生年月日:1951年(昭和26年)4月2日

死亡年月日:2009(平成21年)年5月2日

身長:168cm

出身地:東京都

最終学歴:東京都立日野高等学校卒業

所属事務所:ベイビィズ

忌野清志郎の妻・石井景子は化粧品会社勤務の一般人

忌野清志郎さんが2009年に亡くなって15年の月日が経ちました。

しかし亡くなってもなお、根強いファンがいる伝説のアーティストの1人です。

オフィシャルサイトによると、2024年3月6日には「ロックンロール~Beat, Groove and Alternate~」というCDが発売。


RCサクセションと忌野清志郎さんが別名義で2種類のCDに分けられているようです。

そんな忌野さんが伴侶に選んだ女性はどのような方か気になりました。

妻の名前は石井(旧姓)景子さんという一般女性で、有名大学を卒業後に化粧品会社で働いていた才女。

景子さんは、RCサクセションがデビューした頃から忌野さんのファンだったそうです。

ほどなくして2人はお付き合いするようになりました。

結婚して栗原景子さんになりましたが、同姓同名でファッション誌ノンノのモデルの方がいるのだとか。

その人と同一人物なのではないかと間違えられるようですが、別人のようです。

忌野さんは「石井さん」曲をリリースしていますが、それはまさしく妻の景子さんのことです。

結婚が遅かった理由は恩師の一言

忌野清志郎さんは、長い間化粧品会社勤務の石井景子さんと交際していました。

なかなか結婚まで至らず、ゴールインしたのは忌野さんが38歳のときですから1989年のことです。

どうしてなかなか結婚しなかったのかというと、高校時代の担任に言われた言葉を重く受け止めていたから。

先生は、忌野さんが音楽の道に進みたいということを知っていたのでしょう。

自分が本当にやりたいことがあるなら、結婚するなと伝えたのです。


律儀にその教えを守っていた忌野さん。

とても真面目な人であることがうかがえます。

月日は流れ、忌野さんが音楽で成功して担任が初めてライブに来てくれました。

高校当時の結婚についての話をしたところ、「君はもういいんだよ」と言われたそうです。

ここまで歌手として成功しているから、十分家族を養っていける。だから結婚しても大丈夫だよ、ということだったのでしょう。

恩師の言葉で石井さんとの結婚に踏み切る気持ちが持てた忌野さん。

しかし次の壁は景子さんの父親だったことが日刊ゲンダイデジタルに書いてありました。

きちんとした家の娘さんだったようで、不安定な収入の男性に嫁ぐことに大反対。

景子さんの父親が、忌野さんに怒鳴り込んでいったという話も残っているのです。

さらに、毎月いくら稼いでいるのかと聞かれて本当は7万円程度だったのに「10万円です」と嘘を付いたとのこと。

忌野さんが若かったころの話なので貨幣価値が2024年現在と異なります。

それを考慮しても、稼ぎは少なかったと言えるでしょう。

嘘を付いたのは、景子さんのことが好きで、どうしても結婚したかったからに違いありません。

自宅は代々木のマンションでスタジオ併設

忌野清志郎さんの自宅は、代々木上原のマンションだったと言われています。

住所だと、東京都渋谷区西原の周辺になりそうです。

そのエリアは、「街の住みここちランキング2023年度版」で第5位に選ばれている人気の地域。

家賃相場は、2024年現在ワンルームが月額10万円程度で2LDKだと32万円もするのだとか。

一般的な会社員が、ファミリーでこの地域に暮らすには厳しそうです。


ある程度の収入がある人向け、と言えるでしょう。

しかも、周辺の飲食施設などは割と高価格帯のところが多いとのこと。

富裕層をターゲットにした街づくりが行われているのかもしれません。

さて、そのような街に住んでいた忌野さんはマンションの1室を家と仕事場にしていたようです。

仕事場は室内の一部分を改装してスタジオにしていました。

防音設備などを施して環境を整えれば、音楽活動をしても周囲に迷惑をかけずに済みます。

忌野さんは、家族とできるだけ一緒にいられるように他所にスタジオを作らなかったのでしょう。

実際にお子さんがレコーディングに加わったこともありますし、楽しく楽曲作りをしていたに違いありません。

忌野さんが亡くなった際、自宅から葬儀会場に向けて忌野さんを乗せた車が出発する頃に不思議な出来事が。

自宅の空に、虹が2本かかったのです。

まるで、忌野さんとあの世を結ぶ道ができたかのようでした。

忌野清志郎、芸能人達との馴れ初め秘話

一般に「馴れ初め」というと、男女間の出会いのことを指します。

結婚に至ったきっかけのような、人生の中でも大きな出来事でしょう。

しかし、忌野さんとの出会いは「馴れ初め」に匹敵するほど強い運命を感じるひとが多いようです。

忌野さんの魅力のトリコになった人はたくさんおり、有名人も数多くいます。

そのような有名人達の中から2人ほど紹介していきましょう。


まずは俳優でサックス奏者の武田信治(たけだしんじ)さん。

TVer(ティーバー)プラスに、忌野さんとの馴れ初めが載っていました。

2023年にフジテレビ系で放送されたドラマの役柄が、忌野さんと重なったことを語っています。

「自由な女神-バックステージ・イン・ニューヨーク-」に伝説のドラァグクイーン役で出演。

武田さんは、忌野さんを思い起こさせる役をもらったことで「馴れ初め」を語りました。

心身ともに体調が悪くなった時期に出会ったそうです。

一時期、芸能界での夢をあきらめかけていた武田さん。

忌野さんが励ましてくれたおかげで、再びステージに立てるようになったといいます。

そればかりか、チャンスも与えてくれました。

忌野さんのツアーにサックス奏者として武田さんに仕事を依頼。

とても優しく、他人に優しく寄り添う人だったことがわかります。

武田さんは、忌野さんのことを思いながらドラァグクイーン役を演じたそう。

また、オリコンミュージックに井上陽水さんと忌野さんの「馴れ初め」が載っていました。

まだ売れる前、渋谷にあったライブ喫茶に出演していた仲間だった2人。

若い頃から切磋琢磨してお互い磨き合ってきた仲だったのです。

そのライブ喫茶には、泉谷(いずみや)しげるさんもいたのだとか。

相当ハイレベルな集まりだったのですね。

忌野さんが所属していたRCサクセションの曲を気に入っていた井上さん。

まだ忙しくなく、時間はたっぷりあったため一緒に楽曲作りをしたそうです。

井上さんの方から「一緒に曲でも作らない?」と持ちかけたといいます。

なんという豪華な組み合わせでしょう。


井上さんのアパートで、2時間ほどでできた曲が「帰れない二人」。

短時間でできあがるとは、さすがです。

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