忌野清志郎、息子・竜平に事故の過去。娘・百世はシャイ&現在(2024)の子供たち

アーティストの忌野清志郎(いまわのきよしろう)さんには子供が2人いました。

息子・竜平(たっぺい)さんは、小学生の頃交通事故に遭って手術を受けたそうです。

娘・百世(ももよ)さんは、見た目も性格も忌野さんによく似ていたといいます。

子供達は2024年現在どうしているのかも気になりますので、併せてチェックしていきましょう。

忌野清志郎のプロフィール

本名:栗原清志(くりはらきよし)

生年月日:1951年(昭和26年)4月2日

死亡年月日:2009年5月2日

身長:168cm

出身地:東京都

最終学歴:東京都立日野高等学校卒業

所属事務所:ベイビィズ

忌野清志郎の息子・竜平は子供のころ事故に遭っていた

忌野清志郎さんの息子・竜平さんは、2024年現在には30代後半になっているそうです。

長男が誕生した際、非常に嬉しかったあまりライブ中にファンに報告しました。

既存の歌詞を息子の誕生に置き換えた歌を即興で披露。


ファンも忌野さんのプライベート報告をいち早く聞けて、とても嬉しかったのではないでしょうか。

きっと子煩悩だったに違いありません。

幸せな忌野家に悲劇が襲いかかったのは、それから7年後のことでした。

竜平さんは7歳の時に交通事故に遭ってしまったのです。

2002年にテレビ朝日系「徹子の部屋」に出演したのですが、詳細を語っていました。

なぜか道の真ん中で上着を丁寧にたたんでいた竜平さん。

そこは車の交通量が非常に少なかった道。

普段から、遊び場のような感覚で過ごしていたのかもしれません。

そこに運悪く車が走ってきて、竜平さんは思いっきりはねられたのです。

手術は5,6時間にも及んだそうですから、かなり酷い怪我をしたのでしょう。

幸い完治して、快気祝いが関係者に贈られました。

その快気祝いも、忌野さんらしくオリジナルのCDだったそうです。

ジャケットとディスクにプリントされている絵は子供が描いた絵のように見えます。


すっかり元気になった竜平くんが描いたのでしょうか。

実は、忌野さんは自分が有名人のため「息子に危害を加えられることを日頃から心配していた」そうです。

誘拐されたらどうしよう、という心配をしていたのですね。

しかしいざ交通事故に遭うと、「誘拐よりも交通事故に遭う確率がずっと高いのに、考えが及ばなかった」と後悔していたようです。

忌野清志郎の娘・百世は父に似てシャイ

忌野清志郎さんには娘・百世(ももよ)さんがいます。

いつも笑顔で、周囲との歩調を大切にする方なのだとか。

そしてシャイだということで、忌野さんに性格が似ているそうです。

2002年に忌野さんが「ブーアの森へ」というCDをリリースしました。

NHKの「みんなの歌」にも選ばれた広い世代に愛される曲。

その曲に百世さんがコーラスとして参加していたそうです。

自宅には、レコーディングスタジオが併設されているため子供達との距離が近かった忌野さん。

「ブーアの森へ」のレコーディングの最中に、たまたま百世さんの友達が遊びに来ていました。

「録音するから静かにして」というタイプとは真逆の忌野さんは、百世さん達を「全宇宙少年少女合唱団」とネーミング。

子供達をコーラスに加えて楽曲が完成したのです。

忌野さんは子供好きで、家族をとても大事にしていたことがうかがえます。

忌野清志郎、子供たちの現在(2024)

忌野清志郎さんの子供2人は2024年現在どのように暮らしているのでしょうか。

息子が父のアルバム制作に参加

息子・竜平さんは、芸能界に入ったという情報もなく一般人として暮らしているようです。

ただ、忌野さんが亡くなった翌年の2010年に発売されたアルバム「Baby#1」に参加していたことはわかっています。

このアルバムは、1989年にアメリカ・ロサンゼルスで録音されていたもの。


忌野さんのマルチテープが奇跡的に見つかり、発売に至ったのです。

竜平さんはアルバム制作に加わるか迷っていましたが、スタッフに口説き落とされてコーラスを担当することに。

竜平さんはバンドの経験者だったので、全くの素人ではありませんでした。

レコーディングも、非常にスムーズに進んだそうです。

それ以外の竜平さんの情報については、不明です。

娘は消しゴムはんこ作家

忌野清志郎さんの娘・百世さんは、消しゴムはんこ作家として活躍中だそうです。

版画展を開催するほど本格的で、手塚治虫(てづかおさむ)さんのトリビュート展「キチムシ15」にも出展しました。

忌野さんも、美術大学に進学しようかと考えていたことがあった人。

芸術のセンスは、娘に受け継がれたのでしょう。

朝日新聞デジタルの「よなよなハンコ」というコーナーを担当し、2021年ごろまでエッセイとはんこ作品を掲載していました。

忌野さんとの思い出も見受けられましたので、エピソードを1つご紹介。

高校生の頃、「わたしは」の「は」を小さな「わ」にして書くのが女の子の間で流行っていました。

百世さんも流行に乗って、小さな「わ」を使用していました。

すると、たまたま文章を目にした忌野さんが、「百世はまだ「わ」と「は」の区別が付いていないのか」と心配しながら妻に言ったのだとか。


「そんなにアホではないわ」と、それからすっぱり「わ」を使うことをやめたそうです。

気になるなら直接言って欲しかった顔をした女の子を消しゴムハンコの作品にして、掲載していました。

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