矢野顕子と坂本龍一は再婚同士。離婚の原因とは。出身は青森&細野晴臣との関係

ニューヨークを拠点にグローバルに活躍している矢野顕子(やの あきこ)さん。
矢野顕子さんの有り余る才能を表現するには日本では狭すぎるのかもしれません。

矢野顕子と坂本龍一は再婚

独創的な世界観を持つ矢野顕子さんと世界的に高く評価される坂本龍一さん。
日本を代表するミュージシャン同士が夫婦だったことを知らない人は少ないでしょう。


二人が出会ったきっかけはイエロー・マジック・オーケストラ。
坂本龍一さん、細野晴臣さん、高橋幸宏さんの3人で結成されたイエロー・マジック・オーケストラ。
シンセサイザーやコンピュータを駆使するテクノミュージックで世界を席巻しました。

そのイエロー・マジック・オーケストラのツアーにサポートメンバーとして矢野顕子さんが参加。
矢野顕子さんが積極的にアプローチした、坂本龍一さんが一目惚れしたと噂されていますが相思相愛だったことは間違いなさそうです。

矢野顕子さんと坂本龍一さんは事実婚を経て1982年に結婚。
二人とも再婚同士でした。

矢野顕子さんは1974年に音楽プロデューサーの矢野誠さんと結婚するも1979年に離婚。
一方の坂本龍一さんは学生の頃に結婚した妻がいました。

その妻とは離婚調停中に矢野顕子さんが妊娠したためまず事実婚状態に。
1982年に結婚していることから、この時期に坂本龍一さんの離婚が成立したのでしょう。

そのため矢野顕子さんと坂本龍一さんが結婚した当時は「不倫」や「略奪」と言われていたようです。
そんな二人も結婚から10年後の1992年に別居が報じられ、2006年8月に離婚しています。

矢野顕子の離婚原因

これまでに二度の離婚を経験している矢野顕子さん。
いったい何が原因で離婚してしまったのでしょうか。

矢野顕子さんの最初の夫は音楽プロデューサーの矢野誠さん。
1974年に結婚し、二人の間には息子も産まれていますが1979年に離婚しています。

この時の離婚原因と言われているのが坂本龍一さん。
矢野顕子さんと坂本龍一さんの交際が始まったのは1979年と言われています。
離婚成立後に交際をした可能性もありますが、交際する前から親しい関係にあったことは間違いないでしょう。

その後、矢野顕子さんは事実婚を経て1982年に坂本龍一さんと再婚。
ですがまたしても坂本龍一さんが原因で離婚したと言われています。

矢野顕子さんと結婚していながら秘書兼マネージャーの女性と不倫をするなど坂本龍一さんは女癖がかなり悪いようです。
夫婦間で話し合いを重ねたそうですが不倫は終わらず。

矢野顕子さんは坂本龍一さんと不倫相手の女性を引き離すためにアメリカに移住するもその女性も着いてきてしまったとか。
さらに坂本龍一さんと不倫相手との間に子供が出来てしまったことで別居状態に。

2006年に協議離婚が成立しますが離婚が成立するまで約5年かかったそうです。
なお、慰謝料は5〜6億と言われています。
さすが「世界の坂本龍一」と言われるだけあって桁が違いますね。

矢野顕子と細野晴臣の関係

坂本龍一さんと夫婦関係にあった矢野顕子さん。

坂本龍一さんと同じくイエローマジックオーケストラのメンバーである細野晴臣さんとも浅からぬ関係にあるようです。
といっても恋愛関係ではありません。

安部譲二さんが経営するジャズバーでのセッションが話題となりプロのミュージシャンとなった矢野顕子さん。
1973年にファーストアルバムの録音を共に行ったメンバーの一人が細野晴臣さんでした。
ですが、この時はアルバムは発売されず。

それから3年後の1976年にデビューアルバム「JAPANESE GIRL」を発売。
この時も細野晴臣さんがバックバンドとして参加しています。

それ以降も2006年や2015年にコンサートで共演している矢野顕子さんと細野晴臣さん。
二人は「天才は天才を知る」という関係にあるのかもしれません。

原点は青森

現在はアメリカのニューヨーク州に拠点を移している矢野顕子さん。
きっと最先端のミュージックシーンから刺激を受ける毎日を送っていることでしょう。

そんな矢野顕子さんの原点は青森。
矢野顕子さんの実家は青森にあり、実家の1階は父が経営する医院となっていました。


母に勧められて3歳からピアノを始めた矢野顕子さん。
15歳で単身上京すると天才少女と評判になり、21歳でソロデビュー。

拠点をニューヨークに移してからも両親は青森から矢野顕子さんを応援し続けたそうです。
矢野顕子さんが才能を開花させることが出来たのは素敵な両親のおかげだったのかもしれません。

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