扇ひろこ、現在(2024)現役。家族が複雑。結婚歴2回で夫2人、子供なし&若い頃の活動

昭和の時代から歌手や女優として活躍してきた扇ひろこさん。

2024年現在も歌手として活動をされています。

生まれたのが戦争中で家族を原爆で亡くしています。

2度の結婚をしていますが、夫はどんな人で子供はいるのでしょうか。

若い頃に大ブレイクしたことなどについてお伝えしていきます。

扇ひろこのプロフィール

本名:田辺博美(たなべひろみ)

生年月日:1945年2月14日

出生地:広島県広島市

最終学歴:相愛高等学校卒業

所属事務所:オフィス扇ひろ子

扇ひろこは現在(2024)も現役

 

1964年に歌手としてデビューをして、女優としても活躍をした扇ひろこさん。

ヒット曲を出し紅白歌合戦に出場した経験や女優としてもとても人気がありました。

そんな扇さんですが、2024年現在はどのような活動をされているのでしょうか。


まず、扇さんの2024年現在の年齢ですが79歳になっています。

2021年には歌手生活55周年を迎えられました。

55周年を記念したCD「My Valentine 〜2月14日に生まれて〜」をリリースし、ディナーショーを開催しています。

扇さんは55周年が集大成だと言い大きな会場で歌うのはこれが最後かもしれないと話していました。

心臓病や胃がんに罹り手術もしたことがあるので、時々呼吸が苦しくなることもあるそうです。

その後もコロムビアマンスリー歌謡ライブには毎年出場され歌を披露しています。

またテレビ出演などもされているようです。

高齢ということもあり以前と比べると露出は減っているようですが、今も現役で歌手活動を続けていらっしゃいます。

扇ひろこの複雑な家族

扇ひろこさんが生まれのはまだ戦争中のことでした。

生後6か月の1945年8月6日に居住地である広島に原爆が落とされました。

扇さんの住まいは爆心地から約2キロ離れた場所だったそうで、被爆をして父親を亡くしています。

母親は当時25歳ととても若く再婚をするために扇さんを四国地方にある愛媛県の祖父母に預けたそうです。

扇さんは祖父母の籍に入れられ、祖父母を両親として9歳まで育ちました。


9歳からは母に引き取られ大阪市西区で育てられたそうなのですが戸籍上は2人は姉妹。

本当の母なのに、戸籍上姉という関係でした。

他に兄弟がいたかについては明かされていないようです。

その後、1972年に1度目の結婚をし1976年には離婚。

1986年に再婚をしています。

扇ひろこは2度の結婚歴がある

芸能活動も間もなく60周年になろうとしている扇ひろこさん。

歌手としては大ヒット曲を出し、女優としても映画で人気を博しました。

若い頃からハードに仕事をされていたようですが、プライベートはどうなっていたのでしょうか。

扇さんは結婚を2度しています。

1度目の結婚は1969年に18歳年上のコミックバンドの鹿島密夫さんとしています。

離婚をしたのは1976年です。

2度目の結婚は1986年。

お相手は当時扇さんのマネージャーをしていた田辺秀昭さんだということです。

扇ひろこの夫

2度の結婚歴のある扇さんですが、どんな相手と結婚をしたのか調べていってみましょう。

まず1度目の結婚の相手から見てみましょう。


1度目の結婚は1969年でした。

夫の名前は鹿島密夫さんです。

コミックバンド「鹿島密夫とダイナショウ」のリーダーをされていた方のようです。

扇さんは当時24歳。

夫の鹿島さんは扇さんより18歳年上だったので当時42歳。

結婚後に扇さんは鹿島さんの姉が経営するハワイの和風レストランを手伝うためにハワイへ移住しています。

しかし、2、3年経った頃に経営状態が悪化して店を解雇されて日本に戻ってきました。

その後に所有していた五反田にあるマンションを抵当に入れて旧月世界通りにレストランを出店しています。

店は2年で閉店。

夫の鹿島さんが不倫をし、閉店してしまった店の後始末は全て扇さんがする羽目になりました。

夫やその家族に振り回された挙句に不倫をされ、出店した店が閉店し後始末をさせられるなんて、とても耐えられない仕打ちですよね。

扇さんはとうとう堪忍袋の緒が切れて、1976年に離婚をしています。

借金は6000万円を超えていて、マンションは差し押さえられましたが、当時所属していた第一プロが借金の肩代わりをしてくれたそうです。

扇さんが働いたお金で残りは返したといいます。

2度目の結婚は1986年です。


扇さんは当時41歳。

お相手は田辺秀昭さんです。

年齢は扇さんより10歳年下だということですので当時は31歳くらいですね。

口数の少ないイケメンらしいです。

出会った当時は第一プロのマネージャーをしていた方です。

マネージャーと歌手という関係でしたが、結婚と同年に事務所から独立をして結婚をしています。

扇さんと夫の田辺さんは「オフィス扇ひろ子」を設立。

夫婦で二人三脚でやってきたと扇さんは話しています。

扇ひろこに子供はいない

 

扇ひろこさんにお子さんはいるのでしょうか。

調べてみましたが、子供がいるという情報はありません。

1度目の結婚では苦労をされていて、2度目の結婚はわりと遅めの結婚です。

仕事もハードにされていますので、子供を持つ時間もなかったのかもしれませんね。

扇ひろこは若い頃に大ブレイクした

扇ひろこさんの若い頃はどんな様子だったのでしょうか。

扇さんは1945年のまだ戦争をしている最中に広島県広島市で誕生しています。


生後6か月で原爆を体験し被爆、父親を亡くしています。

母親は25歳という若さでしたので再婚。

扇さんは祖父母の籍に入れられたため、実の母親とは戸籍上姉妹になっています。

9歳からは母親の住んでいた大阪市西区へ引き取られ一緒に暮らしています。

母親が歌好きだったというきっかけで、扇さんはABC毎日放送の童謡合唱団に入団をし、その後に歌謡学院で歌を学びました。

高校卒業後には日本コロムビアと契約をしています。

翌年には広島平和記念式典で石本美由紀さんが作詞をした「原爆の子の像」を歌っています。

しかし、この曲は版権を広島市に寄贈したためにデビュー曲にはなっていません。

デビュー曲となったのは同年に発売した「赤い椿の三度笠」。

日本コロムビアでは小林幸子(こばやしさちこ)さんや都(みやこ)はるみさんがデビューをしてそちらばかりがプロモーションされて扇さんは全く推してもらえなかったそうです。

しかし、1965年当時20歳で発売した「哀愁海峡」、1967年の「新宿ブルース」が大ヒットします。

当時は「新宿ブルース」などといった地名をつけた歌はなく、ご当地ソングという限られた場所だけを指す歌は売れないと思われましたが、大ヒットをしたことで扇さんはご当地ソングの先駆けとなりました。

NHK紅白歌合戦にも2度出場を果たしています。

また歌だけではなく女優としても花を咲かせました。

1969年当時24歳、日活映画『昇り竜 鉄火肌』で主演を務めています。


女優としても人気を集め、映画にも引っ張りだこになるほどでした。

その後は映画の衰退の時期を迎え、扇さんの女優としての仕事は減っていったようです。

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