数々の記録と記憶に残る華麗なプレーでファンから「ミスター・タイガース」と慕われた藤村 富美男(ふじむら ふみお)さん。
プロ入り前には春夏合わせて6度も甲子園に出場して「甲子園の申し子」と呼ばれましたが、なんと子供や孫も同じように甲子園の地に立っていることが話題になっているそうです。
今回の記事では藤村さんの孫や子、死因や華麗なプレーについて見ていくことにしましょう。
藤村富美男のプロフィール
藤村 富美男
1558試合 .300(5648-1694)
224本塁打 1126打点 103盗塁 16犠打阪神(1936-1938,1943-1956,1958)pic.twitter.com/gZTGL0DHYY
— プロ野球通算成績bot (@npb_player_bot) March 16, 2023
本名:藤村 富美男(ふじむら ふみお)
出身地:広島県呉市
生年月日:1916年8月14日
没年月日:1992年5月28日(75歳没)
投球・打席:右投右打
ポジション:捕手と遊撃手以外
藤村富美男の孫と子供も甲子園に出場していた
まずは藤村富美男さんの孫と子供が甲子園に出場していた話を見ていきます。
富美男さんは甲子園に春・夏合わせて6度も出場して「甲子園の申し子」と呼ばれましたが、子供ふたりと孫たちも同じように甲子園に出場をしていました。
なお、動画は1998年放送分なので2000年に甲子園に出た孫の光司さんは紹介されていません。
長男の哲也さんは育英高校2年生(1965年)のときに春の甲子園に出場しましたが、初戦であたった徳島商に1-3で敗れています。
高校を卒業後は法政大学を経て本田技研に入社して活躍し、引退後は監督として10年ほど指揮を執り、1978年の都市対抗ではチームをベスト4に導きました。
また、哲也さんの子供たちは海星高校に進み、長男の一仁さんは1996年夏、二男の賢さんは1998年夏と1999年春の甲子園に出場しています。
富美男さんの二男・雅美さんも三田学園高校2年生(1967年)のときに春の甲子園に出場し、4番打者としてチームを2回戦まで導いたことでプロから注目されるようになりました。
ドラフト会議で東京オリオンズ(現:千葉ロッテ)から5位指名されましたが拒否して法政大学に進み、2度もベストナインに選ばれるなどチームの東京六大学リーグ4季連続優勝に貢献。
大学卒業後は鐘淵(かねがふち)化学や大阪ガスの社会人チームで活躍し、1976年の「アマチュア野球世界選手権」の日本代表に選出されました。
1999年に自身の長男・光司さんが入学していた育英高校から依頼された監督就任を受け、親子そろって2000年春夏の甲子園に出場をしています。
ただ、富美男さんの子供と孫は合わせて7回も甲子園の地を踏んでいますが、プロ野球に進んだ人が誰も居ないというのがとても印象的でした。
これは能力の問題よりも、孫の一仁さんが甲子園で決勝のタイムリーを打ったときに言われたとされる「これもおじいちゃんのおかげですか」に尽きるのかもしれません。
子供や孫にとって祖父の存在はあまりに大きく、あまりに重いものだったのでしょうね。
藤村富美男の死因は糖尿病
この項目では藤村富美男さんの命を奪った死因について見ていきましょう。
報道や家族の話によると、藤村さんの死因は糖尿病の慢性合併症のひとつである糖尿病腎症(糖尿病性腎症)とされています。
糖尿病を発症した詳しい経緯は明らかになっていませんが、大好物だったアンパンと炭酸飲料。
甘いものを摂りすぎたことが要因の一つかもしれません。
大の病院嫌いだったことから発見されたときは深刻な状態だったのだとか。
晩年は視力を失うなど過酷な闘病生活を送っていたそうです。
亡くなったのは、1992年5月28日。
闘病の甲斐なく、神戸市にある神鋼記念病院で糖尿病による腎不全のため75歳で息を引き取りました。
甲子園球場では敬意と追悼を表す半旗が掲げられました。
亡くなる直前まで病床で阪神戦を聞いていたという話があるほどですから、身体は衰えても心は最期まで「ミスター・タイガース」だったに違いありません。
バットの長さや捕球でも観客を魅了した
最後に藤村富美男さんのバットの長さや華麗な捕球について見ておきましょう。
長さ92.5cmにもなるバットは藤村さんの代名詞にもなりましたが、誕生のきっかけはゴルフのクラブを使ったスイングにピンと来たと言われています。
ただやみくもに長くしたわけでは無く、90cmから100cmまでのバットを作って試行錯誤し、自分のスイングにしっくりくる長さを見つけたという根気強さもありました。
加えて、当時人気を博していた川上哲治さんの「赤バット」や大下弘さんの「青バット」も強く意識していたそうなので、実用面だけでなく客ウケも考えていたのでしょう。
長いバットは日本プロ野球史上初のサイクルヒットをはじめとした数々の記録を作り出しただけでなく、ファンから「物干し竿」の愛称で親しまれました。
さて、ここまでは長いバットについて注目してきましたが、藤村さんは三塁での守備(捕球から送球)でもファンを魅了しています。
これは巧みな守備というよりも、怪我を恐れず猛ダッシュで突っ込んできたり、一塁へのスローイングや送球も最小限ではなく最大限の動作をして見る者を楽しませました。
のちに「ミスター・ジャイアンツ」になる少年時代の長嶋茂雄さんも藤村さんのプレーに魅了された一人で、ポジションを遊撃手から三塁に変えるほど影響を受けたそうです。
確かに長嶋さんの豪快なスイングや守備からは藤村さんの匂いを感じ取ることができますし、記録だけでなく記憶にも残った選手という点も似ていると言えるでしょう。
最近は野球に限らず二人のようなスターが少なくなっていますが、プロの世界は魅せることも仕事なので臆することなく、それぞれの個性を存分に発揮して欲しいですね。
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