衣笠祥雄のハーフ説と生い立ち。息子や親、家族について。山本浩二・江夏豊とのエピソード

衣笠 祥雄(きぬがさ さちお)さんは連続試合出場の日本記録達成や”鉄人”の愛称で有名です。

彫りが深い顔立ちで「ハーフ?」との声がありますが、実際のところはどうなのでしょうか。

今回は衣笠祥雄さんの生い立ちや家族、山本浩二さんや江夏豊さんとの関係を見て行きます。

衣笠祥雄の親はアメリカ人で生い立ちも貧しかった

まずは衣笠祥雄さんの生い立ちや親について見て行きましょう。


衣笠祥雄さんを見た方の多くが「ハーフ?」と思ってしまうのは仕方ないかも知れません。

このハーフ説はデマや噂話ではなく、実際にハーフだったことが明らかになっています。

親のどちらが外国人なのかを調べると”父親がアフリカ系のアメリカ人”だったことが分かり、仕事は米軍の兵士をしていて終戦後に日本へ進駐したのが母親との出会いでした。

衣笠祥雄さんが生まれたのは1947年1月18日なので当時の社会背景と合致しますし、衣笠さんに限らず進駐軍の兵士と日本人女性の間に産まれた子供は少なからず居たそうです。

父親の帰国によって離婚をするに至り、衣笠祥雄さんは母方の祖父(京都)に引き取られました。

しかし、小学3年の時に母親の再婚によって新しい父親との生活が始まりましたが、かなりの貧困生活だったことから衣笠祥雄さんも小さい頃から新聞配達をしていたそうです。

義父は電気工事の現場監督をしていたこと、名字が衣笠という以外に情報はありませんでした。

子供の頃に新聞配達をしていたと言えば同じ京都出身の野村克也さんが思い浮かびますが、苦労に苦労を重ねた経験が野球選手として大成した重要な要素のひとつかも知れません。

また、アフリカ系アメリカ人の遺伝子がタフな体のベースになったのは間違いないでしょう。

衣笠祥雄の息子は元俳優だった

次は衣笠祥雄さんの息子さんについてチェックして行きましょう。

衣笠祥雄さんは1977年4月23日に長男の友章(ともあき)さんを授かっていました。

実は「クリエートプロモーション」という芸能事務所に所属して俳優をしていた過去があり、出演した作品には「ショムニ」の第1シリーズや大河ドラマ「北条時宗」もありました。

2009年頃に芸能界を引退して株式会社「加賀電子」に入社して広報室に配属されています。

ちなみに、会社では衣笠祥雄さんの子供なので「鉄人29号」の愛称で親しまれていたそうです。

一般人になってからの情報はほとんどありませんが、衣笠祥雄さんが亡くなった際に毎日新聞社から送られた「毎日スポーツ人賞(功労賞)」の表彰式に出席していました。

この時は41歳になっていましたが、父に負けず劣らずの力強い表情を見せていますね。

子供(孫)が居るかなどプライベートの情報まではさすがに分かりませんでしたが、スタイルも良くてダンディーな雰囲気なので結婚をしていたとしても不思議では無いでしょう。

衣笠祥雄が山本浩二に勝てないと語った部分

次は同じ広島カープで一時代を築いた山本浩二さんとの関係を見てみましょう。

ふたりは同学年ですが山本浩二さんは法政大学を経て入団しているので4年後輩になります。

山本浩二さんが入団した前年に21本塁打を放つなどチームの主力として活躍していた衣笠祥雄さんですが、心の中で”絶対に勝てない部分がある”と当時から思っていた点がありました。

それは野球選手の資質ではなく”広島カープの選手としての資質”と言えるもので、小さな頃からカープを応援してきた山本浩二さんと入団まで縁が無かった衣笠祥雄さんの違いです。

衣笠祥雄さんはこの点をとても気にしていたらしく、山本浩二さんに対して「絶対に競っちゃいけない」と思っていて”ライバル”という表現すら控えていたほどでした。

当の山本浩二さんは「キヌとは同学年でライバル」と公言するなど気にしていませんでしたが、意外にも初優勝(1975年)するまではプライベートの付き合いは無かったそうです。

外野から見ると考え過ぎなような気がしますが、大きな通算成績の差が無いにもかかわらず「ミスター赤ヘル」と言えば山本浩二さんなのは数字以外にも多くの要素があるのでしょう。

これは広島カープだけでなく「ミスタージャイアンツ」にも言えることではないでしょうか。

衣笠祥雄と江夏豊は親友だった

ここでは衣笠祥雄さんと江夏豊さんの関係について見て行きましょう。

江夏豊さんは1977年オフに金銭トレードで広島カープに入団していますが、気難しい性格で同僚からは敬遠されがちでしたが不思議と衣笠祥雄さんとはウマが合ったそうです。

同じユニフォームを着ていたのは3年とそれほど長くないものの、球史に残る「江夏の21球」を達成するなど数字以上に濃密な時間を共有してチームメイトから親友になりました。

江夏豊さんは広島カープ時代について”嫁さんよりもサチと居る時間が長かった”とふたりの親密ぶりを語り、プロ野球選手として最も楽しかった時代と振り返っていたのが印象的です。

お互いに一流選手で少し悪が強い部分もあることから野球論では衝突する事もありましたが、ユニフォームを脱いだひとりの人間としては終生変わらぬ友人関係を続けていました。

江夏豊さんが阪神の臨時コーチを打診された際には受けるように勧め、ガンで入院していたにもかかわらず”グラウンドに立つ姿をこの目で見ておきたい”と沖縄を訪れたそうです。

また、衣笠祥雄さんは亡くなる前に江夏豊さんとの電話で「苦しい」と弱音を吐いていました。


斎場では衣笠祥雄さんのお骨を拾い、通夜から葬儀の間も手の中に置かれていたカル・リプケン氏のサイン入りボールを持って行くように衣笠さんの奥さんから言われたそうです。

この奥さんの”はからい”こそがふたりの関係の深さを表すエピソードと言えるでしょう。

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