ジュディオング、夫との結婚。子供や娘の噂はデマ&離婚理由はすれ違い

ジュディオングさんは、台北出身の歌手・女優です。

『エーゲ海のテーマ~見せられて』が200万枚のヒットを記録するなど、昭和を代表するシンガーですよね。

曲はもちろんのこと、扇状に広がる袖がついた衣装が印象に残っているという方も多いかもしれません。

そんなジュディオングさんは、結婚歴がありますが、夫は誰なのでしょうか。

またすでに2人は離婚してしまったようですが、離婚に至った理由も気になりますよね。

他にも、子供は娘がいるという噂についても調べてみたので併せてご紹介します。

今回は、ジュディオングさんの結婚生活にまつわる話題を中心に記事にまとめたので、ぜひ最後までお付き合いください。

ジュディオングのプロフィール

愛称:不明

本名:翁倩玉

生年月日:1950年(昭和25年)1月24日

身長:153cm

出身地:中華民国台湾省台北市

最終学歴:上智大学国際学部卒業

所属事務所:株式会社ヒーモリ

ジュディオングは一般人の夫と結婚

ジュディオングさんは、1992年5月に鈴木洋樹さんという一般男性と結婚しました。

ここでは鈴木さんとの結婚と、それに加えて別の男性と結婚前に破局した過去についてご紹介します。

一般男性と結婚

大ヒット曲を持つ人気歌手・ジュディオングさんは、1992年に結婚しました。


相手の鈴木さんは、元商社マンで画商をしている方です。

何でも彼は、ヒロ・ヤマガタさんの日本代理権を持っていたため、年商は数十億円というやり手なのだといいます。

ジュディオングさんもかなり稼いでいるでしょうが、鈴木さんのほうもかなりのお金持ちのようですね。

そんな2人の結婚式は日本と台湾の両国であげられました。

ゲストには、芸能界はもちろん財政界からも大物が多数招待されたというので、やはりゴージャスです。

ところで、歌手のジュディオングさんと、元商社マンの画商の男性がどこでどうやって知り合ったかが気になりますよね。

これについては、調べてみても信ぴょう性のある情報が見当たらないのが現状です。

しかし、ジュディオングさんは、1975年から版画家の先生に師事し木版画画家として活動しています。

なんと、90年代以降は個展を開催したり、日展に入選した経験もあります。

そのことから考えて、恐らく、美術商である鈴木さんとも版画関係で知り合った可能性が高いでしょう。

2人は芸術という共通の関心事があり、とてもお似合いの夫婦という印象ですね。

寺尾聡と結婚直前だった?

ジュディオングさんは、若い頃に歌手・俳優の寺尾聡さんと結婚直前で破局しています。

単に交際していただけではなく、一時は結婚間近とまで言われていたようです。

しかし、結婚しても仕事を続けたいと考えていたジュディさんに対し、寺尾さんは結婚したら仕事を辞めて家庭に入って欲しいと望んでいました。


そのような価値観の相違から2人は結婚に至らず、ついには破局してしまったようです。

実は、当時のジュディさんは、自身の収入で実家を経済的に支えていました。

そのため、寺尾さんのために仕事をやめて家庭に入るというのは、したくでもできなかったのでしょう。

ちなみに、寺尾聡さんの歌手としての代表作といえば『ルビーの指環』ですよね。

1981年にリリースされ大ヒットしたこの曲は、好きだった女性と別れ、その後2年以上も彼女のことを忘れられない男性のことを歌っています。

実はこの曲に登場する別れた女性は、ジュディオングさんのことではないかという噂があります。

噂の真相は不明ですが、世間でそういう噂がたつくらい2人の交際は有名な話だったのでしょう。

ちなみに寺尾さんのほうは26歳の時に范文雀さんと結婚し、その後わずか1年半で離婚しています。

その後、1981年には女優・星野真弓さんと再び結婚しました。

寺尾さんと結婚した女性たちは2人とも結婚を機に仕事を辞めています。

そのことから考えて、結婚したら家庭に入るというのは寺尾さんからすると譲れない条件だったのでしょう。

お互いに嫌いになって別れたわけではないのはもったいない機もしますが、ジュディオングさんにも寺尾さんにも譲れない事情があったのならば仕方がなかったのかもしれませんね。

子供はなく娘の噂はデマ

ジュディオングさんには娘がいるという噂があるようですが、実際のところ子供は一人もいないようです。

そもそも、ジュディさんは結婚当時すでに42歳でした。

そのため妊娠して子供を産むには年齢的な制約があったように思われます。

また、結婚生活自体も6年と短いため、余計に子供を持つのは難しかったのではないでしょうか。

しかし、ジュディオングさんにはわが子同然に可愛がっている存在がいます。

それは一緒に暮らす愛犬たちです。


ジュディさんは、もともと幼少期から犬と飼っていたので、犬と暮らすこと自体には慣れていたと思われます。

そんな彼女が初めて自分の犬を飼ったのは2000年のこと、ウエスティの白いメス犬を飼い、パールと名付け可愛がって育てていました。

なんと、パールを飼い始めた時には仕事を3か月休んでパールの世話に専念したというので、その可愛がり方や飼い主としての責任感は尋常ではありませんよね。

まさに、パールはジュディさんにとって娘同然の存在だったのでしょう。

しかし、そのパールは12歳の時に病気にかかってしまい、その後亡くなってしまいます。

ジュディさんは、パールが亡くなった時にはペットロスでひどく落ち込んだといいますが、そこまで可愛がっていたのなら無理もありませんね。

しばららくは新しい子を迎えることもなく過ごしていたようですが、その後周囲の勧めもあり、新しいメスの子を迎えます。

その子をアイリスと名付け、ジュディオングさんは再び3か月の育児休暇を取得して世話に励みました。

もちろん、ジュディさんの愛情を受けて育ったアイリスはすくすく成長していきます。

そして、成長してからはお見合いを経て5匹の子供を産み、今では立派な肝っ玉母さんなのだとか。

ジュディさんは5匹生まれた子犬のうちオス1匹だけを引き取り、あとの4匹は別の家族に引き取ってもらいました。

ジュディさんが引き取った1匹はアポロと名付けられ、今もジュディさんや母親であるアイリス一緒に暮らしています。

アイリスがジュディオングさんの娘とすれば、アポロは孫といったところでしょうか。

人間の子供はいないジュディさんですが、かわいい犬の娘と孫という家族に囲まれて楽しく暮らしていることは間違いありません。

離婚理由はすれ違い

ジュディオングさんは、1998年に鈴木洋樹さんと離婚しています。

結婚したのが1992年のことだったので、わずか6年で別れてしまったことになりますね。

一体夫婦に何があったのでしょうか。

離婚理由を探ってみると、どちらも仕事が忙しいことからすれ違いが生じたということのようです。

お互いに仕事が忙しいと、一緒に過ごす時間を確保するのも難しいので、自然と気持ちも冷めていってしまったのかもしれませんね。

2人の間には子供もいないので、離婚に際しても揉めるようなことはなかったと考えられます。


愛し合って結婚した2人が別々の道へ進むのは残念なことではありますが、大げんかをしたりお互いのことが嫌いになって別れたわけではなさそうなのが救いですね。

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