寺尾聰の子供と嫁(星野真弓)について。過去に結婚した元嫁も女優&家族は著名人ばかり

歌手と俳優の両方で一時代を築いた寺尾聰(てらおあきら)さん。

二足の草鞋で結果を残し続ける非常に稀有な存在として知られています。

寺尾聰の子供はあの女優に似ている?

デビューしてから歌手、俳優として第一線で活躍し続ける寺尾聰さん。

今も昔も俳優が歌を出す、歌手がドラマや映画に出演する事は少なくないですよね。

ただ、その両方で結果を出し続けられる人は殆どいません。

ですが寺尾聰さんは歌手としても俳優としても華々しい活躍を見せています。


フォークグループ「ザ・サベージ」のギタリストとして1966年にデビューした寺尾聰さん。

ですが、1967年にグループを脱退。

1968年にグループ・サウンズ「ホワイト・キックス」に参加するもシングルを1枚リリースしただけで解散してしまいます。

そしてホワイト・キックス解散と同年に映画「黒部の太陽」で俳優デビュー。

その後、石原プロモーションの所属となり「大都会」や「西部警察」などの話題作に立て続けに出演しました。

大ヒット曲「ルビーの指環」をリリースしたのも石原プロモーション所属時のこと。

当時の専務、小林正彦さんが「売れない」と消極的でしたが石原裕次郎さんは「いいんじゃない」とGOサイン。

そしてリリースすると100万枚を超える大ヒットに。

日本レコード大賞の大賞を受賞するなど、昭和を代表する名曲の一つとなりました。

石原プロモーションを脱退後も黒澤明さんが監督を務めた「乱」、「まあだだよ」に出演。

2001年には黒澤明さんの遺稿を映画とした「雨あがる」で主演を務め日本レコード大賞を受賞しています。

その後も歌手、俳優として活躍する寺尾聰さん。

ちなみに日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞と日本レコード大賞の大賞を受賞したのは寺尾聰さんだけ。

それまでの功績を称えられ2008年には紫綬褒章、2018年には旭日小綬章まで受勲しています。

今後も日本芸能史でその名が語り継がれる事は間違いないでしょう。

このように順風満帆の芸能活動を送る寺尾聰さん。

その一方、私生活についてはあまり多くを語る事はありません。

そのため3人いると言われる子供についても情報は殆ど見当たらず。

ただ、長女は女優の鈴木杏さんに非常に似ているんだとか。

ドラマ「永遠の泉」に親子役で出演した寺尾聰さんと鈴木杏さん。

初めて会った時に口にした言葉が「長女に似てる」。

長女と鈴木杏さんはほぼ同じ年齢で顔立ちも似ているようです。

本人を目の前にして「似てる」と言うなんて相当似ているのでしょうね。

それだけ美人であれば芸能界や女子アナになる事も出来たはず。

寺尾聰さんと違って子供達は表舞台で注目を集める事が得意ではないのかもしれませんね。

寺尾聰の嫁は星野真弓

女優の鈴木杏さんにソックリの娘を持つ寺尾聰さん。

情報は無いものの他の子供達もきっと整った顔立ちをしているのでしょう。

それもそのはず、寺尾聰さんの妻はモデル、女優として活動していた星野真弓さん。

俳優とモデルの子供であれば綺麗な顔立ちなのも納得してしまいますよね。

寺尾聰さんと星野真弓さんが出会ったのはドラマ「西部警察」。

寺尾聰さんがレギュラー出演する同ドラマの第64、65話にゲストとして出演した星野真弓さん。

このように2話だけという限られた共演期間ながら交際に発展しているんです。

そのため、初対面の時から互いに好印象を抱いていたのは間違いないでしょう。

もしかするとお互い一目惚れだったのかもしれませんね。

そして二人は1977年に結婚。

結婚を機に星野真弓さんは芸能界を引退しています。

きっと多忙な寺尾聰さんを支えたいという思いから芸能界からの引退を決めたのでしょう。

なお、現在の星野真弓さんは寺尾聰さんの個人事務所「寺尾音楽事務所」の社長。


まさに公私に渡って寺尾聰さんを支え続けているんです。

寺尾聰さんが長年、芸能界で活躍し続けられるのは星野真弓さんの内助の功のおかげなのかも。

かつて結婚していた元嫁も女優だった

1977年にモデル、女優として活動していた星野真弓さんと結婚した寺尾聰さん。

実はこの結婚は寺尾聰さんにとっては再婚だったんです。

寺尾聰さんの最初の結婚は1973年。

お相手は女優の范文雀さんでした。

ドラマ「サインはV」、「アテンションプリーズ」で人気を博した范文雀さん。

台湾国籍ながら両親ともに日本育ちという事で日本語しか話す事は出来なかったそうです。

そんな范文雀さんと寺尾聰さんの馴れ初めはドラマ「2丁目3番地」での共演でした。

ちなみに石坂浩二さんと浅丘ルリ子さんも同ドラマの共演がきっかけで結婚しています。

人気絶頂期にあった范文雀さんですが、結婚した事で芸能界を引退。

ところが結婚生活は長く続かず1974年に離婚してしまいます。

僅か1年で終わってしまった結婚生活。

寺尾聰さん、范文雀さん共に離婚原因は明らかにしていません。

ですが、范文雀さんが女優に復帰したかったのが理由では、と考えられています。

その証拠に范文雀さんは離婚した同年に芸能界に復帰しているんです。

結婚後は家庭に入る事を望んだ寺尾聰さん。

そのため結婚後は芸能界を引退した范文雀さんですが、女優業の楽しさを忘れられなかったのでしょう。


そして芸能界への復帰と引き換えに離婚することに。

もし、范文雀さんが家庭を選んでいれば離婚する事は無かったかもしれません。

寺尾聰の家族は有名人ばかり

前述の通り寺尾聰さんの妻は元女優の星野真弓さん。

ですが、寺尾聰さんの家族には他にも有名人がいたんです。

それは寺尾聰さんの父親。

寺尾聰さんの父親は昭和の演劇界に多大な貢献を果たした宇野重吉さん。

劇団民藝を主宰し、多くの有名俳優を育て上げています。

また、自らも俳優として活躍し映画「痴人の愛」や「第五福竜丸」などでは主演も務めています。

困った人には手を差し伸べずにはいられない性格で多くの人々に慕われた宇野重吉さん。

実は歴史に残る傑作である映画「黒部の太陽」が制作出来たのも宇野重吉さんのおかげ。

製作費が3億円越えと当時では異例の製作費となった「黒部の太陽」。

ですが人件費として確保出来たのは500万円だけ。

そこで石原裕次郎さんが頼ったのが宇野重吉さんでした。

この依頼を快諾した宇野重吉さんは出演者だけでなくスタッフや機材等の提供も約束。

この協力が無ければ「黒部の太陽」の撮影は出来なかった事でしょう。

そしてそれ以降、石原裕次郎さんは宇野重吉さんを非常に慕うようになったそうです。

寺尾聰さんが石原プロモーションに入ったのも宇野重吉さんと石原裕次郎さんの関係性があったから。

というのも寺尾聰さんは当初、研修生として劇団民藝に加入するつもりだったそうです。

ですが「親の七光り」と言われる事を危惧した宇野重吉さんは石原裕次郎さんを紹介。


そして石原プロモーションに入る事になったんだとか。

もし宇野重吉さんが石原裕次郎さんに手を差し伸べていなければ寺尾聰さんが石原プロモーションに入る事は無かったかも。

そう考えると今の寺尾聰さんがあるのは宇野重吉さんのおかげ、と言っても過言ではないかもしれませんね。

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