持ち前の歌唱力と魅力的な人柄で地域や年齢を問わず人気を集めるジュディオングさん。
プライベートなことについてはそれほど多く語られていませんが、父親や兄も非常に優れた人物ということがファンの間でも話題になっているそうです。
今回の記事ではジュディオングさんの家族や住まいについて見ていくことにしましょう。
ジュディオングのプロフィール
出生名:翁 倩玉(ウォン チエンユィ)
帰化名:翁 玉恵(おきな たまえ)→ 翁 ジュディ
出身地:台湾台北市
生年月日:1950年1月24日
主な作品:魅せられて
ジュディオング、動画の自宅が豪華
まずはジュディオングさんが住んでいる自宅について見ていきましょう。
具体的な自宅の場所や外観などは明らかにされていません。
ですが、風水でいちばん大切な玄関には運気アップの水晶を飾るなど台湾の風習が漂う住まいとのことでした。
また、最近では自身のYoutubeチャンネルを開設して定期的に更新しており、公開された動画を通じてリビングやキッチンの様子を拝見することができます。
さすがはアジアのスターといった豪華な内装に驚かされます。
自宅の全体像や面積、トータルで掛かった金額などが分かったら再び驚くことになるでしょうね。
結果的に自宅の場所や外観は分かりませんでしたが、プライベートやプライバシーの面を考えれば良い結果だったと言えるかもしれません。
ジュディオングの父親はメディア関係者
この項目ではジュディオングさんの父親・翁炳栄さん(以下:父親)について見ていきます。
1923年1月に中国本土の浙江省で誕生し、上海にあった大夏大学を卒業して国民党に属しました。
抗日戦や共産党との戦いを経て台湾へ渡り、ラジオ局の職員をしていたときに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から”中国語と英語ができる人間が欲しい”と請われて日本に転勤しています。
そこで気になるのは”なぜ英語が話せたか”という点ですが、父親は小学生の時にアメリカンスクールに通っていたという当時では珍しい経歴があったからでした。
GHQが解散した後も日本で国際関係のテレビやラジオ局の役員を務め、1969年に台湾へ戻ってからは番組プロデューサーや制作会社の社長として多くの作品を残しています。
メディア関係者だったことからジュディオングさんのデビューを後押ししたかと思いきや、学業がおろそかになるなどの理由で最初は反対をしたそうです。
あえて父親が反対したのは、過酷な世界ということを知っていたからかもしれませんね。
父親は残念ながら2018年10月2日に亡くなってしまいましたが、ジュディオングさんをはじめ素晴らしい家族と仕事に恵まれた幸せな人生だったと言えるでしょうね。
教育熱心の母親と建築士の兄
こちらの項目ではジュディオングさんの母親や兄について見ていきます。
母親の名前はインタビューなどで和江さんと紹介をされていますが、出生は日本人ではなく台湾人なので帰化をした後の名前かもしれません。
和江さんの実家は台湾の大地主だったらしく、家の敷地は約4千ヘクタール(東京ドーム約855個分)という非常に広大なものでした。
また、台湾愛と教育に強いこだわりがあり、ジュディオングさんに”母語を忘れないため家では台湾語で話すように”と指導したそうです。
父親は残念ながら2018年に亡くなってしまいましたが、和江さんは2024年現在も元気に台湾の新北市三芝区で過ごされているとのことでした。
さて、続いてはジュディオングさんの唯一の兄について見ていきましょう。
兄は翁 祖模(マークオング)さんといい、台湾で建築士として活躍をしています。
マークオングさんは台湾・高雄市の新しいシンボルである「高雄流行音楽センター」や台中駅の設計に携わるかたわら、2023年にはジュディオングさんと一緒に展覧会を開催しました。
台北新光三越A9での兄との二人展O2に多くの方に連日ご来場いただき、ありがとうございました。
さて、今日、1/29 13:00から徹子の部屋に、去年クリスマスに中村メイコさんと楽しく共演させていただいたひとときが放映されます。是非ともご覧ください。 pic.twitter.com/foTIJaUCDk
— ジュディ・オングJudyOngg (@JudyOngg) January 29, 2024
ジュディオングさんも木版画家として日展入選など数々の賞を受賞しているので、兄やプロデューサーだった父を含めてかなりの芸術一家と言えるかもしれませんね。
いずれにしても、家族はそれぞれ個性と能力を発揮して活躍をしていることが分かりました。
ジュディオングは実家を処分していた
最後にジュディオングさんが日本にある実家を処分した話を見ておきましょう。
一家は1952年に台湾から東京へ引っ越し、しばらくのあいだ家族4人で過ごしていました。
その後、父親が台湾に戻ってメディア関係の仕事に就いたり、兄が建築の勉強をするために海外の大学に留学したりと少しずつ減り、残っていた母親も台湾へ戻って実家は空き家同然の状態に。
それでも家族が集まれる場所として残していましたが、2018年に父親が亡くなったこと、そしてコロナ禍で海外との往来が制限されたことから実家を処分することを決めました。
実家には母親の荷物が大量にあって苦労をしたそうですが、ずいぶん前にジュディオングさんが人形作家から貰った日本人形を発見するなど懐かしい品と出会うことができたそうです。
2024年現在はコロナも5類に移行して制限は撤廃されたものの、高齢になった母親からすると移動すら大仕事なので子供たちが訪れるという方が安全かつ安心でしょうね。
今回の実家の処分は一種の終活と言えますが、これはジュディオングさんに限らず私たちにとっても避けては通れない人生最後の仕事なのかもしません。
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