中村メイコが終活で自宅を手放す&夫・息子・娘ほか家族について。美空ひばりは大親友

テレビ実験放送の時代から天才子役として名をはせていた中村メイコ(なかむらめいこ)さん。

テレビ草創期の数少ない生き証人です。

この記事では中村メイコさんが自宅を手放した理由や、「神津ファミリー」としておなじみの夫や息子、娘など家族について、また大親友だった美空ひばりさんとのエピソードをお送りします。

中村メイコ、終活で自宅を手放す!


わずか2歳で映画『江戸っ子健ちゃん』でデビューして以来、多くの映画やラジオに出演してきた中村メイコさん。

1934年5月13日東京都生まれですから、2020年は86歳になります。

本名を神津五月さんといい、旧姓が中村です。

芸名の「 メイコ」は「五月」にちなんだもの。

榎本健一さん、森繁久彌さん、三波伸介さんら喜劇俳優やコメディアンと共演してきた影響もあり、自らを喜劇女優と位置づけています。

『連想ゲーム』『お笑いオンステージ』『クイズ!年の差なんて』など人気バラエティ番組への出演も多いですね。

なんと芸歴は83年を迎えます。

『人生の終いじたく』など、著作のヒットでも知られる中村メイコさん。

2014年に30年間暮らした一戸建てから3分の1の広さのマンションに引っ越しています。

膨大な量の私物の整理を子供や孫へ先送りしたくなかったとのことですから、生前整理の一環といえますね。

敷地300坪に地上2階、地下1階という広い家から処分したものはトラック7台分。

その中にはキャリアの証である台本、衣裳、夫のグランドピアノもありました。

大きな家での暮らしはつい物が多くなりがち。

けれどもコンパクトなマンションに移ってからは最小限の身の回りの物しか置かなくなり、とても快適だとか。

かつての自宅は世田谷区にあったようですが、引っ越し先のマンションも同区内という情報があります。

中村メイコの夫は作曲家の神津善行!

神津善行さんは映画音楽のほか吹奏楽曲や歌謡曲も手がける作曲家。

出会った時、中村メイコさんは19歳で人気の絶頂にあり、善行さんは国立音楽大学器楽科の3年生でした。

数回のデートで、結婚前提でない女性とは交際できないと告げられたメイコさんは承諾し、1957年11月20日に挙式。

善行さんは、北島三郎さんの『与作』が生まれた視聴者参加型番組『あなたのメロディー』や『ゆかいな音楽界』の司会者としても知られていますね。

結婚後は仕事をやめるつもりでいた中村メイコさん。

ところが夫から、これからの女性は結婚や出産後も仕事を続けるべきだと想定外のエールが。

中村メイコさんは仕事をセーブして家庭を優先し、妻と母の役割を立派に務め上げました。

中村メイコの息子・娘ほか家族について

中村メイコさんは一男二女に恵まれました。

1972年生まれの息子・神津善之介さんはスペイン在住の洋画家。

武蔵工業大学卒業後にスペインに渡って絵画を学び、日本とスペインで定期的に個展を開催しています。

中村メイコさんには長男の結婚式で森繫久彌さんがスピーチをしたというエピソードがあることから、善之介さんはおそらく結婚しているのでしょう。

長女の神津カンナさんは作家やコメンテーターとして活躍中。

1958年10月23日生まれ、本名は「神津十月」、読みは同じです。


東洋英和女学院高等部卒業後に渡米してサラ・ローレンス大学を中退。

『メイコとカンナの本音でトーク』など中村メイコさんとの共著もありますね。

『ビートたけしのTVタックル 』の司会役を覚えている人もいるでしょう。

次女は1962年8月31日生まれの女優・神津はづきさん。

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カンナさんと同じ東洋英和女学院高等部を卒業後、ニューヨーク大学に留学。

映画『愛しのチィパッパ』、テレビドラマ『抱きしめたい!』『功名が辻』などに出演しています。

はづきさんは1992年に杉本哲太さんと結婚。

男児と女児の3児が誕生しています。

父はユーモア作家の中村正常さん、母もやはり作家の中村チエコさん。

両親はユニークな教育方針の持ち主だったようです。

正常さんは画一的な学校教育に反対で娘を中学校に通わせず、自ら勉強を教えました。

チエコさんは娘を良妻に育てることに重きをおいていたようです。

おかげで中村メイコさんは結婚したその日から家事にとまどうことは一切なかったといいます。

中村メイコと美空ひばりは大親友だった!

3歳年下の美空ひばりさんとはプライベートでも大親友でした。

幼い頃に芸能界入りした二人は気持ちがよくわかり合える間柄。

ひばりさんは中村メイコさんには弱音をもらすこともあったようです。

そんな時は持ち前のコメディセンスを発揮して笑わせていたのだとか。

中村メイコさんが今も忘れられないのは、ひばりさんが亡くなる直前にかけてきた真夜中の電話です。

布団の中で『リンゴ追分』を歌ってみたら、息が続かずに歌えなかったことを悔しそうに伝えてきたといいます。

その後ひばりさんは体調が悪化し、1989年6月に逝去。


この電話がひばりさんと交わした最後の会話だったそうです。

1959年の上皇陛下のご成婚パレードで、NHKの生中継の実況を担当した中村メイコさん。

馬車は遠ざかっていきますが、遠い人におなりにならないでくださいと国民を代弁した大胆な名実況が忘れられません。

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