小椋佳(おぐらけい)さんは、『少しは私に愛を下さい』『さらば青春』などで知られる歌手です。
布施明さんの『シクラメンのかほり』や美空ひばりさんの『愛燦燦』の作詞・作曲でも知られています。
そんな小椋さんは、結婚していて子供がいますが、子供たちがどんな方々なのか気になりますよね。
そこで今回は、長男・知秀さん、次男・宏司さんと娘について詳しく調べてみました。
学歴や病気などそれぞれ気になる点にスポットをあててご紹介するので、ぜひ最後までお付き合いください。
小椋佳のプロフィール
愛称:不明
本名:神田紘爾
生年月日:1944年(昭和19年)1月18日
身長:不明
出身地:東京都台東区
最終学歴:東京大学大学院韻文社会系研究科修士課程修了
所属事務所:ジー・エフ・イー
小椋佳の長男・知秀、学歴は非公開
小椋佳さんの長男は1969年生まれで、名前は知秀さんといいます。
気になる知秀さんの学歴や職業について調べてみましょう。
学歴の公表はないが優秀?
長男・知秀さんの学歴に関しては詳しいことは分かっていません。
長男は小椋さんが妻と結婚した翌年の69年に誕生しているので、2024年現在は55歳です。
子供が生まれたころはまだ第一勧業銀行(現・みずほ銀行)に勤めていた小椋佳さんは、1970年に留学生として渡米したり、1975年にメリルリンチ・NY支店へ派遣されたりしています。
奥様や子供たちが一緒にアメリカへ渡ったかどうかは分かりませんが、息子からしたら国際的でかっこいい父親ですよね。
その上副業としてやっているシンガーソングライターとしても日本作詞大賞や日本レコード大賞を受賞するほど活躍しているというので、なおさら凄い父親です。
さて、小椋佳さんは元メガバンクの銀行マンであることからも想像がつくように、れっきとしたエリートです。
そこで一体どんな学歴が気になって調べると、なんと大学はあの東京大学の法学部を卒業しているインテリでした。
しかも、1993年に銀行を退職した後には再び母校の東京大学に入学し、政治や哲学を学び大学院の修士号を取得しています。
小椋さんは単に成績が良いだけのインテリではなく、純粋に学ぶことが好きなタイプのようですね。
ところで、父親がここまで頭がいいとなると、息子の学歴も気になってしまいますね。
そこで長男・知秀さんの学歴も調べてみましたが、どこの学校の出身かなどの情報は見つかりませんでした。
息子は一般人なので、詳しいプロフィールを明かさないのは当然と言えば当然かもしれません。
しかし、きっと父の遺伝子を受け継いで、長男も頭脳明晰で有名大学出身なのではないでしょうか。
もしくはアメリカに渡ったことのある父を見て、海外留学した可能性もあるでしょう。
いずれにせよ、頭がよく学ぶことが好きな親の子ですから、学歴も高学歴と考えられます。
現在(2024)は父の事務所の社長
二刀流で活躍するスーパーマンのような父親の背中を見て育った長男は、今は父の事務所の社長を務めています。
父親のマネージャーも知秀さんが勤めていました。
信頼のおける長男がしっかりマネジメントをやってくれる分、小椋さんはアーティストとしての自分の仕事に専念できたのかもしれません。
ちなみに小椋佳さんは57歳の頃に胃がんが見つかり、胃の4分の3を切除する手術を受けています。
その後も68歳の時には劇症肝炎を患うなど、これまでに何度か大きな病気を経験しているのです。
しかし、その割には今でもヘビースモーカーな上にコーラを1日1リットルは飲む生活を続けています。
普通なら息子でマネージャーということで口うるさく注意しそうなものですが、知秀さんは父親の好きにさせているようです。
知秀さんとしても心配には違いありませんが、それでも父親の自由にさせてやれる寛容さがある方なのでしょう。
小椋佳『帰っちゃおうかな』(1972)
都営バス六本木停留所灰皿付き pic.twitter.com/zYQqYbg91e— なびすこ (@hiyajisu) April 15, 2024
小椋佳さんは2021年から2023年にかけて最後のコンサートツアー『余生、もういいかい』を行いました。
その最終日には長男も家族を連れて駆け付けています。
父親を仕事の面でサポートしてきた長男、この日は心からお疲れ様と感じたに違いありません。
小椋佳の次男・宏司、子供の頃に重い病気
小椋家の次男は宏司さんといい、1973年生まれです。
宏司さんは、14歳の時に若年性脳梗塞で倒れて、一時意識不明に陥りました。
医師からは治る見込みはないと言われ、植物人間になりかけたというので、非常に壮絶な経験です。
父の小椋佳さんは、その頃はまだ銀行に勤めていましたが、仕事後には毎日病室にお見舞いに行っていました。
そんなある日、小椋さんが次男の耳元で『あなたが美しいのは』という曲を口ずさみます。
すると、驚いたことに次男が一緒に歌い出したのです。
言葉も記憶も失っていると思っていた息子が歌うのを見た小椋さんは、息子の命が生きようとしていると感じ涙があふれたといいます。
まるで映画のワンシーンのような奇跡の瞬間ですよね。
その後次男は徐々に回復していき、歩けるようにまでなりました。
その様子を見た小椋さんは、次男に生きる喜びや誇りが感じられる仕事を見つけてあげたいと考えるようになります。
そこで、様々な学校や職人の元を訪問した末に出会ったのが琵琶です。
宏司さんはその後10年間修業をし、今では日本に3人しかいない琵琶職人として活躍しています。
小椋さんも時々琵琶を演奏しますが、その琵琶も次男が作製したものです。
宏司さんは父に琵琶を渡した時の事について、「父がとても嬉しそうな顔をしていたので、それまでの苦労が一気に吹き飛んだ」と明かしています。
ちなみに次男は結婚していますが、妻は亜矢子さんといい琵琶の演奏家です。
生きがいを感じられる仕事を探した末の琵琶との出会いは、父親・息子どちらにとってもかけがえのない出会いだったといえそうですね。
小椋佳に娘はいない
小椋佳さんには息子が2人いますが娘はいません。
小椋さんの公式サイトには小椋さんのこれまでを丁寧に記した経歴年表が掲載されています。
そこには、妻との結婚や長男・次男の誕生などプライベートでの出来事も書かれてありますが、娘が生まれたという記載はありません。
息子の誕生は記載して、娘の誕生を記載しないのは不自然なので、そもそも娘がいないと考えるのが自然です。
しいて言えば、息子2人はどちらも結婚しているので義理の娘はいます。
小椋佳さんに娘がいると考えている人がいるとしたら、恐らくこの義理の娘たちのことを実の娘と勘違いしているのではないでしょうか。
関連記事
小椋佳の妻は幼馴染、病気はデマ。孫は一般人。結婚生活は変わらず離婚はデマ&週末婚の過去
小椋佳、引退理由は衰え。がん治療で糖尿病も改善。現在(2024)の活動&生前葬が話題
小椋佳の年収は1億だった?自宅で一人暮らし&馬主でもあり資産がすごい?
小椋佳、若い頃に銀行員なぜ?浜松支店長だった銀行員時代。学歴がすごい&実家が小料理屋