岡晴夫(おかはるお)さんは「オカッパル」の愛称で親しまれた昭和20年代を代表する歌手です。
戦後の明るい時代の到来を告げるような歌声で、「憧れのハワイ航路」などの大ヒットを飛ばしました。
そんな岡さんの晩年や死因についてなど、お伝えします。
岡晴夫のプロフィール
愛称:オカッパル
本名:佐々木辰夫
生年月日:1916年(大正5年)1月12日
没年月日:1970年(昭和45年)5月19日
出身地:千葉県木更津市
岡晴夫の死因は肝臓がん&晩年は闘病生活
岡晴夫さんは、1970年5月19日に54歳という若さで亡くなりました。
死因は「肝臓がん」でした。
死去から約1ヶ月前の4月、大阪にて出演するはずだった「帰ってきた歌謡曲」の公開収録が行われる直前、激しい腹痛に見舞われた岡さんは急遽飛行機で東京へと戻りました。
飛行機が降り立った空港には救急車がすでに手配されており、そのまま飯田橋にあった警察病院に入院しました。
ですが、5月19日に転院先の東京都千代田区の病院にて死去されました。
岡さんの晩年は、人気低迷と闘病であまり明るいものではなかったと伝えられています。
1940年代後半には「憧れのハワイ航路」、「東京の花売娘」、「啼くな小鳩よ」といった大ヒット曲歌い、近江俊郎さん、田端義夫さんらと「戦後三羽烏」と呼ばれ、人気を博しました。
ですが、あまりにも忙しい毎日に体調を崩しはじめ、当時芸能界に蔓延していたヒロポンに手を出してしまい、その副作用にも悩まされました。
さらに1950年代になると人気が低迷し、思い悩むようになりました。
そんな中、糖尿病から白内障を併発してしまいます。
当時岡さんはまだ30代後半という若さでした。
しかも、当時の日本ではまだインスリンの自己注射が許可されておらず、現代から考えると十分な治療を受けられていたとは言えなかったようです。
さらに、兄弟のように親しかった作曲家の上原げんとさんが1965年に急死し、悪化していた糖尿病で上原さんの葬儀ではほぼ失明状態になっており、1人では歩けない様子だったそうです。
それでも舞台への意欲は失わず、1968年にはカムバックを果たしテレビ「なつかしの歌声」に出演。
しかし、見た目もまるで老人のようになり、往年のような伸びやかな美声ではもう歌えなくなっていたそうです。
晩年の岡晴夫さんの歌唱映像を初めて観たとき 声を聴くまで同一人物と気づかなかった #同一人物とは思えない画像を貼れ pic.twitter.com/YMOLYcYivk
— のんちゃん (@jazzranchan) May 31, 2023
それでもファンはカムバックした岡さんの歌を最後まで聴き、惜しみない拍手を送ったそうです。
ですが、いつの間にか岡さんの体は肝臓がんに蝕まれており、1970年4月に大阪で倒れてしまいました。
妻との結婚
岡晴夫さんの妻は、奥田清子さんという女性でした。
出会いは岡さんがスター歌手になる前で、兄弟のように仲がいい作曲家の上原げんとさんと弾き語りで流しをやっていた時でした。
出会った場所は、町のかき氷屋だったそうです。
詳細は不明なのですが、もしかしたら岡さんから声をかけた、ナンパのようなものだったのかもしれませんね。
そこからお2人のお付き合いは始まったそうですが、岡さんは歌手として瞬く間にスターになりました。
歌手として成功を収めたことで、岡さんは清子さんと結婚できると思っていました。
ですが清子さんは、スターになった岡さんの邪魔になってしまうのではないかと、人知れず姿を消したのでした。
突然いなくなってしまった清子さんの影を追い、岡さんは失意の日々を送っていたそうです。
ですが、上原さんが清子さんを探し出し、岡さんの元へ連れて帰ってきたのだそうです。
そして岡さんと清子さんは結婚し、千葉県市川市に新居を建て、新婚生活を送ったそうです。
昨日は、千葉県市川市の葛飾八幡宮に参拝してきました。
岡晴夫さん縁の地にどうしても行きたくなったので、なんとか予定を組んで行きました。岡さんが訪れていたかもしれない境内や、家族と見上げられたかもしれない『千本公孫樹(国指定天然記念物)』を眺めることができました。 pic.twitter.com/39bWZoZxeF
— カズマ⬠෴⬠𖧧 (@amuzako) December 16, 2023
岡さんはそれから人気の低迷や糖尿病、最後は肝臓がんに冒されてしまいましたが、清子さんはずっと岡さんを支え続けていました。
「憧れのハワイ航路」と「東京シャンソン」が大ヒット
岡晴夫さんの最大のヒット曲は、1948年にリリースされた「憧れのハワイ航路」です。
実はこの楽曲は本来小畑実さんが歌う予定でしたが、レコーディングの予定が合わず、岡さんに白羽の矢が立ったという経緯があったそうです。
楽曲が大ヒットしたため、リリースから2年後の1950年には歌を基にした同名の映画が公開。
岡さんは主演を務めました。
そんな岡さんのはじめてのヒット曲は1939年にリリースされた「港シャンソン」です。
独特の鼻にかかった声で、戦中・戦後の多くの日本人の心を躍らせました。
岡さんが他界されてすでに50年以上が経っていますが、これからもその歌声は残っていくでしょう。
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