金田正一の家系図まとめ。娘は元タレントで息子は俳優、妻は元宝塚&兄弟や甥もプロ野球選手

金田 正一(かねだ まさいち)さんは通算400勝という前人未到の偉業を達成し、記録にも記憶にも残った球界屈指のレジェンドとして多くのファンに愛されました。

グラウンドの外でも話題に事欠かず、子供たちの芸能界デビューや元宝塚女優との再婚、兄弟や甥もプロ野球選手をしていたなど一族も注目を集めているそうです。

今回の記事では金田さんの家系図を中心に、子供や妻、兄弟や親戚についてまとめてみました。

金田正一のプロフィール

日本名:金田 正一(かねだ まさいち)

出身地:愛知県稲沢市

生年月日:1933年8月1日

没年月日:2019年10月6日(86歳没)

通算成績:400勝298敗 防御率(2.34)

金田正一の家系図

まず最初は本稿の中心テーマである金田正一さんの家系図について見ていきます。

さっそく家系について見ていきますが、さすがに文字だけでは全体像や関係を掴みにくいので本サイトが作成した家系図をご覧ください。

金田家の家系図を見るにあたって注意が必要なのは、きょうだいの人数を断定できる資料や情報がはっきりとしていない点です。


ある情報では9人きょうだい、別の資料では7人きょうだいとの記述があること、第二次世界大戦という過酷な時期を過ごしたこともあって早くに亡くなったきょうだいがいるとの話もありました。

また、正一さんを「次兄」と紹介するニュース記事もあるなど詳細な構成が断定できないので、今回は確認ができたきょうだいと親族のみを記述するという形になっています。

金田家ほど有名な家系でありながら全体像がボヤけているのは、先に述べた戦時下の生活で幼い子が亡くなったという暗い過去と、韓国系というルーツを気にしていたからかもしれません。

同様に父親の長吉さんや母に関する情報も少なく、一族の中でもスポーツ界や芸能界に進んだ人以外の話はほとんど確認できませんでした。

もっとも、正一さんをはじめ多くの兄弟や親族が高齢で亡くなりつつある現状を踏まえると、金田家の詳細な家系図が判明する可能性は低いでしょうね。

金田正一の娘は元タレント&息子は俳優

この項目では金田正一さんの娘さんや息子さんについて見ていきましょう。

正一さんは二度目の妻との間に一男二女を授かっており、その中でも長女の幸子さんと長男の賢一さんは芸能界で活動をしていた経歴がありました。

幸子さんは正一さんと一緒にテレビCMに出演していたことが確認されていますが、それ以降は芸能界を辞めたのか、結婚したのかなどは一切分かっていません。

年齢は賢一さんが第1子(1961年生)なので、それよりも後ということになりますね。

その賢一さんは1978年に映画「正午なり」の主演で芸能界デビューを飾り、その後もドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ)や料理番組、情報番組など幅広く活動をしました。

私生活では元宝塚歌劇団の梓のぼるさんと1985年に結婚し、一女を授かっているそうです。


年齢を重ねてからは派手な芸能活動からは身を引き、朗読会や啓発活動に軸足を移していました。

また、2024年現在は父が設立した株式会社「カネダ企画」の代表取締役としても活動。

かなり多忙な日々を送っている様子がうかがえました。

残る一人の女性(第三子)については全く情報がありませんでしたが、金田家は経済的な余裕もあるので良い学校を卒業し、良いパートナーと巡り合ったかもしれませんね。

金田正一の妻は元・宝塚女優

こちらの項目では金田正一さんの妻について見ていきますが、今回は最初に結婚した妻ではなく二度目の結婚(再婚)相手の女性を取り上げています。

1963年8月、正一さんは雅 章子(みやび・のりこ:本名は敏子)さんという元宝塚歌劇団の女性と結婚していますが、実は前妻と結婚をしている頃から交際をしていたというアブナイ関係でした。

令和時代の感覚からすると炎上して謹慎をさせられそうな話にもかかわわらず、大きなバッシングをされることもなく王道を歩めたのは、眩い実績と昭和という時代が大きかったのでしょうね。

雅さんは1960年に宝塚歌劇団を退団して翌年に金田賢一さんを出産、1963年8月に結婚して以降は積極的に人前に出ることもなかったので、夫を支え家庭を守るというタイプだったのかもしれません。

2019年10月と12月に脳梗塞を発症して入院生活を送るようになり、家族の願いと懸命な治療の甲斐もなく2020年2月27日に89歳で亡くなりました。

雅さんが亡くなったのは正一さんが亡くなってから約5ヶ月後というタイミング。

仮の話は適切ではないかもしれませんが、天国で寂しい思いをしていた正一さんが思わず呼んでしまったのかもしれませんね。

兄弟や甥は同じプロ野球選手

最後に金田正一さんを中心とした金田ファミリーの野球選手について見ておきましょう。


家系図の項目にあるとおり、正一さんの兄弟には高義(たかよし)さん、星雄(ほしお)さん、留広(とめひろ)さんという3人のプロ野球選手がいました。

兄弟の中で一軍の公式戦に出場したのは正一さんと留広さんだけ。

高義さんは1958年に国鉄に入団して1960年限りで引退、星雄さんも1960年に同じ国鉄に入団して1961年限りで引退しています。

一方、留広さんは1968年に兄弟たちとは違う「東映フライヤーズ」に入団し、右の本格派として1年目から18勝13敗6セーブという驚愕の成績を残しました。

新人王は有藤通世さんに負けて獲ることができなかったものの、関係者やファンからは「さすがかねやんの弟」と高く評価をされたそうです。

その後はロッテオリオンズや広島カープに移籍をして活躍。

1982年の現役引退までに128勝109敗防御率(3.25)という見事な成績を残しました。

さて、金田ファミリーには兄弟だけでなく甥にもプロ野球選手がいます。

それは正一さんのすぐ下の妹の子である金石 昭人(かねいし あきひと)さん。

1978年に金石さんはドラフト外の扱いでPL学園高校から広島カープへ入団し、プロ入り7年目に初勝利を挙げるという中々の遅咲きでした。

しかし、一気に覚醒したのか初勝利の翌年には12勝を挙げ、日本ハムに移籍してからは抑えとして活躍し、月間MVPや最優秀バッテリー賞を受賞しています。


金石さんは1998年の引退までに72勝61敗80セーブを記録しただけでなく、人気バトミントン選手だった陣内貴美子さんとの結婚でも世間から注目をされました。

残念ながら兄弟全員がプロで活躍することはできませんでしたが、金田ファミリーで600勝を挙げたという事実は日本野球史に残すべき立派な偉業と言えるでしょう。

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