川上哲治、息子は作家で孫娘あり。妻は元宝塚。生家跡は観光名所&自宅は世田谷

川上 哲治(かわかみ てつはる)さんは卓越したバットさばきで「打撃の神様」の異名を取り、選手や巨人軍の監督として眩いばかりの記録と記憶を残しました。

また、グラウンド外の私生活も話題になっており、作家になったとされる息子や元宝塚女優の妻、生まれた育った生家などもファンの関心を集めているそうです。

今回の記事では川上さんの家族や生家跡などパーソナルな部分を見ていくことにしましょう。

川上哲治のプロフィール

出生名:川上 哲治(かわかみ てつはる)

出身地:熊本県

生年月日:1920年3月23日

没年月日:2013年10月28日(93歳没)

主な成績:1979試合 / 打率.313(7,500打数 / 2,351安打)

備考:名球会は昭和以降が対象のため選ばれていない(大正9年生まれ)

川上哲治の息子は会社員を経て作家に

まずは川上哲治さんの息子さんについて見ていくことにしましょう。

長男の貴光(よしてる)さんは1946年1月24日に兵庫県神戸市で誕生をしました。

哲治さんは東京都のイメージが強いので貴光さんが神戸生まれと知って驚かれたことでしょう。


これは終戦直後の混乱と妻・董子(ただこ)さんの実家が神戸にあったからでした。

当時の哲治さんは野球選手ではなく故郷の熊本で農家として生計を立てており、無事に出産を終えた董子さんと貴光さんを実家に呼び寄せています。

ところが、1946年6月に巨人への復帰が決まったことで哲治さんは東京へと引っ越し、妻子は再び神戸市に戻るという落ち着かない日々を送りました。

哲治さんの活躍によって妻子も東京で一緒に生活することができるようになり、貴光さんは慶應義塾大学の経済学部に入学をしています。

慶應義塾大学を卒業後はトヨタ自動車へ入社し、しばらくしてノンフィクション作家へ転身。

1992年に「父の背番号は16だった」でミズノスポーツライター賞を受賞し、その後も縁が深い野球だけでなく音楽関連の著書を残しています。

2024年現在の様子については明らかになっていませんが、80歳近くという年齢を踏まえると穏やかな老後を過ごされているのかもしれませんね。

孫は女の子が一人確認済み

川上哲治さんには長男の貴光さんと長女の雅子さんがいらっしゃいますが、子供たちの子(孫)が気になるところですよね。

貴光さんの家庭について調べると、生子さんという女性と結婚をして娘の美生さんを授かっていることが分かりました。

一方の雅子さんは坪井姓で紹介をされていたスポーツ記事があったことから、子供の有無は分かりませんが結婚をしていることがうかがえます。

もしかすると他にも子供(孫)が居るかもしれませんが、スポーツ紙に「川上の孫!」との記事がないので、仮に居たとしても野球はしていない可能性が高いでしょうね。

川上哲治の妻は元・宝塚女優

この項目では川上哲治さんの妻について見ていくことにします。

妻は神戸市で歯科医を開業していた中崎 尚さんの長女・董子(ただこ)さんという女性。

叔母に宝塚歌劇団で活躍をした高砂松子さんと神代錦さんを持つ家系でした。

自身も叔母にあこがれて宝塚の道を志すようになり、宝塚歌劇団の26期生卒業生の「代々木ゆかり」として活動をしていた時期もあったそうです。

川上さんとはお見合い結婚でしたが第二次世界大戦の激化によって夫婦は引き裂かれ、終戦後も過酷な生活で栄養失調になるなど苦労を重ねました。


巨人の監督になってからは成績不振などで叩かれる川上さんを心配して精神をすり減らし、1964年オフには体調不良を起こして入院しています。

病室で寄り添う川上さんから「監督を辞めようと思う」と伝えられると、董子さんは「パパから野球をとったら何が残るんですか」と逆に励ましたそうです。

1965年の結婚記念日(2月4日)は全快ならず入院中のままでしたが、川上さんから普段では考えられないような思いの詰まった電報が届きました。

(電報)「過ぎた20年昨日のごとし 雨あり風あり晴天あり 変わらぬ誠に感謝す 今日あり明日あり苦楽あり 喜びにあふれて生きてゆこう テツ」

普段は口数も少なく多くを語らないタイプでしたが、迷惑をかけ続けている妻への感謝と反省、そしてこれからもよろしくという愛にあふれた電報に感激したそうです。

ちなみに、妻については董子(ただこ)さんと拡子(やすこ)さんという二つの表記があり、紹介した電報の宛名も「カワカミヤスコ」となっていました。

どこかのタイミングで改名したのか、それとも何らかの事情で複数の名を持っているのかは分かりませんでしたが、別人ではなく同一人物なのは間違いありません。

いずれにしても、素晴らしい妻を得たことは川上さんの数ある幸運の一つと言えるでしょうね。

生家跡は観光地&自宅は世田谷

最後に川上哲治さんの生家跡や自宅といった住居についてチェックしておきましょう。

川上さんの生家は熊本県球磨郡大村(現:人吉市)にありました。

2024年現在は解体済みで「生家の跡」という記念のモニュメントがあるだけです。

川上家は代々、海運業を営む裕福な家系でしたが、父の伊兵次(いひょうじ)さんがギャンブルと酒におぼれて没落してしまったそうです。

実家の経済状況については、川上さんが巨人軍に復帰する条件として契約金3万円を希望し、全額を両親にあげたというエピソードからも困窮具合がうかがえました。

どのような事情で家が無くなったのかは分かりませんが、生家跡が現存する寺院などに引けを取らない観光名所になっているのはさすがと言えるでしょうね。


さて、もう一つのテーマである自宅について調べると、監督時代の記事や亡くなった時の報道に世田谷区という記述がありました。

一説には世田谷区の野沢という地区に住んでいたとの情報もありますが、2024年現在どうなっているかは確認されていません。

もしかすると長男の貴光さん一家が住んでいる可能性もあるので、聖地巡礼を言い訳にして自宅周辺に押し掛けることは止めておきましょう。

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