北林谷栄、若い頃からおばあちゃん役。息子は画家、娘は火傷死&歯を役のために抜いた

北林谷栄(きたばやしたにえ)さんは、30代から老婆を演じており「日本一のおばあちゃん女優」としてその演技力に定評がありました。

そんな北林さんの女優としての歩みについて調べてみました。

また、息子さんと娘さんについてなど、お伝えします。

北林谷栄のプロフィール

本名:安藤令子/蓮以子

生年月日:1911年(明治44年)5月21日

没年月日:2010年(平成22年)4月27日

出身地:東京都東京市京橋区竹川町

北林谷栄は若い頃からおばあちゃん役をしていた

北林谷栄さんが初めて老け役を演じたのは、舞台「左義長まつり」でした。

当時北林さんはまだ20代後半でした。

若くして老け役を演じることになったきっかけは、「おばあさん役は貧乏くじを引くようなもの」という風潮。


そんな考え方に疑問を持っていた北林さんは、演出家の宇野重吉さんに「もっと年寄り役を掘り下げるべき」と訴えていたそうです。

そして、宇野さんが「左義長まつり」を演出する際に、老婆役を北林さんに依頼したそうです。

北林さんは自分の言動から依頼してくれたおばあさん役を絶対にうまく演じなければと一生懸命演じると、観客から好評を得たのだそうです。

それがきっかけとなり様々な作品でおばあちゃん役をオファーされることになったそうです。

北林さんも役を掘り下げるために生活感の出ている古着や着物などを集めており、それを衣装として使用していたそうです。

また、地方公演に出かけた際には、その土地の農家を周り案山子に着せている服が欲しいと頼み込んだ事もあるそうです。

1956年に公開された市川崑監督の「ビルマの竪琴」に物売りの老婆役で出演した際は、当時軍事政権下だったビルマ連邦社会主義共和国を訪れて現地の老婆を取材。

役作りのために努力を惜しまなかったそうです。

「ビルマの竪琴」は1956年のオリジナル版と、1985年に制作されたリメイク版がありますが、どちらも同じ老婆役を北林さんが演じ、大変話題になりました。

そのような努力と演技力が認められ、様々な作品で20以上の映画賞を受賞されています。

そんなおばあさん役ばかりを演じていたの北林さんについて面白い話があります。

ある時、宇野重吉さんに「よくババア役ばっかりやって飽きないな」と言われて腹を立て、「ババア役をはじめに頼んで来たのはあんただよ!」と言い返したそうです。

そんな北林さんが最後に演じたのは、2003年に世田谷パブリックシアターで開催された舞台「北林谷栄の世界『蓮以子93になった』」でした。

それ以降も舞台などの出演依頼はあったそうですが、すべて断り、ゆっくりとした余生を過ごしました。

そして2010年4月27日、肺炎のために98歳でこの世を去りました。

息子は画家・河原朝生、娘は火傷死

北林谷栄さんは1945年に、画家の河原冬蔵さんと結婚し、1男1女の2人の子供を授かりました。

息子さんは夫と同じく画家になった河原朝生さんです。

どことなく物悲しい雰囲気の漂う絵画です。

不思議な魅力がありますね。


20歳の頃から油彩画などを学び、1970年にお茶の水文化学院美術科に入学されたそうです。

その後はイタリアのローマ国立美術学校などで油彩画を学び、画家になられています。

娘はまだ幼い頃、北林さんが仕事で地方に行っている時に火傷が原因で不慮の死を遂げた、とされています。

ご自身のいない間にそのようになってしまい、北林さんも悲しみと自責の念がすごかったのではないでしょうか。

娘の死去が原因かはわかりませんが、その後に夫の河原冬蔵さんと離婚しています。

役のために歯を抜いた伝説

北林谷栄さんは役作りのために努力を惜しまないことでも有名でした。

1959年に公開された今井正監督映画「キクとイサム」のしげ子婆さんを演じるために、前歯を6本も抜いて役作りをしました。

当時北林さんはまだ48歳で、倍近い年齢の役を演じるためとはいえ、その役作りの徹底さは非常に話題になりました。

その「キクとイサム」の演技では、1959年の第10回ブルーリボン賞主演女優賞と、第14回毎日映画コンクール女優主演賞を受賞されました。


そこまでの役作りで老婆役を演じてしまったら、もう他の役者さんでは老婆役では太刀打ちできないでしょう。

北林さんはその後も老婆役を演じ続けましたが、それを見越しての抜歯という面もあったのかもしれませんね。

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