宇野重吉の息子(寺尾聡)と妻について。石原裕次郎の恩人?大滝秀治との関係。共産党の支持者?

日本演劇界にその名を残す名優の宇野重吉(うのじゅうきち)さん。

困った人のために手を差し伸べる姿勢で多くの名優から慕われていました。

宇野重吉の息子は寺尾聡

俳優に演出家、映画監督などマルチに活躍した宇野重吉さん。

なかでも多大な貢献を果たしたのが演劇界。

立ち上げから参加した劇団民藝は俳優座、文学座と肩を並べる劇団にまで育て上げています。

また、芝居を観る機会に恵まれない地方の人々のために宇野重吉一座を創設。


この一座による地方公演の途中で癌に侵され左肺を摘出。

医師の反対を押し切り、点滴や酸素ボンベを使いながらも地方公演を完走しています。

この時の無理がたたったのか、その翌年に亡くなった宇野重吉さん。

長い演劇の歴史の中でも宇野重吉さんほど、全身全霊で演劇に取り組んだ人は数えるほど。

宇野重吉さんがきっかけで演劇に興味を持った人もきっと少なくないはず。

また、俳優としても毎日映画コンクールで助演賞を受賞するなど輝かしい経歴を残しています。

もっと後世に名を語り継がれるべき存在と言っても過言ではないでしょう。

そんな父親の意思を継ぐかのように素晴らしい活躍を見せるのが息子の寺尾聰さん。

俳優としては映画「半落ち」や「博士の愛した数式」、ドラマ「陸王」等で素晴らしい演技を披露。

「ルビーの指輪」が100万枚を超える大ヒットを記録するなど歌手としても大活躍。

日本レコード大賞と日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を獲得した唯一の存在としても知られています。

父である宇野重吉さんとは「黒部の太陽」、「男はつらいよ」で共演。

また、2004年のドラマ「弟」では寺尾聰さんが父である宇野重吉さんの役を演じています。

それまでも数多くの役柄を演じてきた寺尾聰さん。

ですが、「父の役だけは誰にも渡したくなかった」と語っています。

宇野重吉さんの役にこだわったのは父親という事だけが理由ではないはず。

寺尾聰さんにしか分からない特別な思いがあったのでしょう。

親子揃って紫綬褒章を受賞するなど日本芸能史にその名を刻む宇野重吉さんと寺尾聰さん。

きっと宇野重吉さんは草葉の陰から寺尾聰さんの活躍を微笑ましく見守っている事でしょう。

宇野重吉は妻と駆け落ち同然の結婚だった

今も昔も共演をきっかけに結婚する事も少なくない芸能人。

それだけ他の人々と知り合う機会が少ないという事なのかも知れませんね。

では宇野重吉さんの妻は一体どんな方だったのでしょうか。

ですが、調べてみても宇野重吉さんの妻に関する詳細な情報は見つからず。

分かったのは「志保」という名前だけ。

そのため宇野重吉さんの妻は一般人の可能性が高そうです。

気になる馴れ初めは宇野重吉さんの一目惚れ。

俳優や演出家として活動する宇野重吉さんはそれまでに多くの女優を見てきたはず。

そんな宇野重吉さんを一目惚れさせるなんて。

志保さんはよっぽど綺麗な女性なんでしょうね。

今でこそ日本芸能史に名を残す様々な活躍をした宇野重吉さん。

ですが、志保さんと知り合った当時は俳優としてはまだまだ駆け出しで下積み生活中。

そのため互いの親族は「早すぎる」と結婚を大反対。

それでも結婚を諦められなかった宇野重吉さんは志保さん。

周囲の反対を押し切って駆け落ち同然で結婚したそうです。

駆け落ち同然の結婚という事は、その後の生活で苦難に襲われても親族からの援助は期待出来ないということ。

きっと宇野重吉さんの活躍の裏には「自分の力で何とかしなければ」という強い決意があったのでしょうね。

その強い決意があったから宇野重吉さんは華々しい活躍が出来たのかもしれませんね。

宇野重吉は石原裕次郎の恩人?

宇野重吉さんと息子の寺尾聰さんが共演した1968年公開の映画「黒部の太陽」。

石原裕次郎さんと三船敏郎さんという昭和を代表する大スターが制作と主演を務めた本作。


寺尾聰さんの俳優デビュー作としても知られています。

石原裕次郎さんが特撮ではなくリアルにこだわったため非常に大掛かりな撮影に。

撮影中には石原裕次郎さんや他の出演者が負傷するという事故に見舞われながらも無事にクランクアップ。

当時としては異例となる総製作費3億8900万円という超大作。

その甲斐あって興行収入は15億円を突破。

その後、文部省が推薦する映画に選ばれるなど記録にも記憶にも残る伝説的な映画となりました。

そんな映画「黒部の太陽」ですが、実は撮影出来たのは宇野重吉さんのおかげ。

宇野重吉さんがいなければ撮影出来なかったと言っても過言ではないんです。

石原裕次郎さんが本物の映像にこだわった事から製作費の大半が費やされたのはセット。

そのため出演者のギャラとして確保出来たのは僅か500万円しかなかったそうです。

そこで石原裕次郎さんが頼ったのが宇野重吉さん。

石原裕次郎さんからの頼みを快諾した宇野重吉さんは主宰する劇団民藝の全面協力を約束。

劇団民藝の俳優だけでなく、スタッフや機材まで貸し出したそうです。

また、自身の伝手により様々な俳優陣にも声をかけた事で豪華メンバーが集結。

なかにはノーギャラで出演した俳優もいたそうです。

この一件以来、宇野重吉さんの事を大変慕うようになった石原裕次郎さん。

「黒部の太陽」の成功が無ければ石原裕次郎さんの俳優人生がどうなっていたか想像もつきません。

石原裕次郎さんの活躍がなければ今のテレビ、映画業界は全く違ったものになっていたはず。

そう考えると宇野重吉さんは今の芸能界に多大な貢献したと言えそうですね。

大滝秀治に俳優失格の烙印を押していた

数々の作品で印象に残る演技を見せた名優、大滝秀治さん。

卓越した演技力で読売演劇大賞や日本アカデミー賞など数多くの賞を受賞。

晩年はユーモラスなCMでも人気を博していました。

それまでの活躍が称えられ旭日重光章や文化功労者を叙勲。

大滝秀治さんの活躍ぶりは今も多くの人々の心に深く刻まれている事でしょう。

そんな大滝秀治さんが俳優になったきっかけが宇野重吉さん。


宇野重吉さんの舞台に衝撃を受けた事から俳優を志すようになったそうです。

その後、宇野重吉さんが主宰する劇団民藝の研究生となった大滝秀治さん。

憧れの宇野重吉さんに認められようと必死に練習に臨んでいたはず。

ところが独特のかすれた声質を「壊れたハーモニカ」と言われ「演劇には向かない」と演出へ移動することに。

それでも大滝秀治さんの俳優への情熱と宇野重吉さんを敬愛する思いは変わらず。

するとその後、舞台の代役に駆り出された事で再び俳優の道へ。

全く演技に見込みがなければ代役に抜擢するなんてありえません。

きっと宇野重吉さんは常に大滝秀治さんの事を気にかけていたのでしょう。

「この役なら大滝でも演じられる」という役が出てくるのを待っていたのかも。

それ以降、舞台のみならずテレビや映画でも活躍した大滝秀治さん。

いつも「宇野重吉さんのおかげ」という思いを胸に抱いて仕事に臨んでいた事でしょう。

宇野重吉は共産党の支持者だった?

4歳の頃に父親を亡くしている宇野重吉さん。

大黒柱を失った事で経済的に厳しかったため、学費を払えず中学校を中退。

その後、兄を頼りに横浜に行くも不況で仕事が見つからず。

そのため姉が嫁いだ機屋で働いていた時期があったそうです。

このように若かりし頃に金銭的な苦労をした宇野重吉さん。

そのためかマルクス主義に影響を受けた共産主義者だったようです。

実際に演劇活動の傍ら、共産主義運動にも参加していたそうです。

共産党員として政治活動をしていたという情報も。

恐らく1940年に治安維持法違反で逮捕されたのも政治活動が問題視されたのでしょう。

富を共有する事で万人が平等な社会を目指す共産主義。

かつてお金で苦労した宇野重吉さんが影響を受けたのは当然かもしれません。


きっと宇野重吉さんの心の中には「自分と同じようにお金で苦労する人を救いたい」という思いがあったのでしょう。

もしかすると石原裕次郎さんに救いの手を差し伸べたのも共産主義の思想が関係しているのかも、と思えてしまいます。

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