シブがき隊の一員として一世を風靡した布川敏和(ふかわ としかず)さん。
アイドルを卒業後はドラマや映画、バラエティーとマルチに活躍しています。
布川敏和のプロフィール
愛称:ふっくん
本名:布川敏和
生年月日:1965年8月4日
身長:171㎝
出身地:神奈川県
最終学歴:明治大学付属中野高等学校定時制(中退)
所属事務所:Fdec
布川敏和は息子もジャニーズ?
15歳でジャニーズ事務所に入った布川敏和さん。
1981年のテレビドラマ「2年B組仙八先生」がデビュー作。
1982年には「2年B組仙八先生」の共演者であり同じジャニーズ事務所に所属する薬丸裕英さん、本木雅弘さんとシブがき隊を結成。
「NAI・NAI 16」や「100%…SOかもね!」、「スシ食いねェ!」などヒット曲を連発。
80年代を代表するアイドルグループだったシブがき隊ですが1988年に解散。
解散と同時に布川さんはジャニーズ事務所を退社しています。
1991年には高校在学中から交際していたアイドルのつちやかおりさんと結婚。
1男2女に恵まれました。
長男の布川隼汰さんは俳優として活躍していますが、所属事務所はジャニーズではなくケイダッシュ。
渡辺謙さんや伊原剛志さん、高橋克典さんなど錚々たる俳優が所属するケイダッシュ。
きっと隼汰さんはタレントではなく俳優として活躍したいという思いからケイダッシュを選んだのでしょう。
俳優デビュー作となったのが「3年B組金八先生」。
父の布川敏和さんが姉妹作の「2年B組仙八先生」でデビューしていることから何か縁を感じてしまいます。
隼汰さんは俳優以外にもレポーターとしても活躍中。
今後、益々活躍の場を広げていきそうな予感がします。
布川敏和は娘も芸能界に
つちやかおりさんとの間に1男2女をもうけた布川敏和さん。
長男の隼汰さんだけでなく長女の桃花さんも芸能界入りしています。
165cmという身長を活かしてモデル、タレントとして活動中の布川桃花さん。
2014年にはファッションウォーカーというファッション関連の通販サイトのオーディションでグランプリを獲得。
父である布川さんは
だれのDNAを受け継いたのかと、我が娘を感歎し誇らしく思う 親父で御座います。
(中略)
これからも 願晴って、素敵に輝いた道を歩んで行って下さい。パパはいつでも応援しているのだぁ〜
と、娘のグランプリを手放しで喜んでいました。
長男の布川隼汰さんと違い、娘の桃花さんは布川さんの個人事務所である有限会社ティーバードに所属。
他の事務所ではなく自分の事務所に所属させていることからも、いかに桃花さんを溺愛しているかが良く分かりますね。
溺愛している一方で、デビュー当時から二世であることを公言している桃花さんに対する世間の風当たりはやや強い様子。
グランプリを獲得したのも「親の七光りによるものだ」、と言う声も聞こえてきます。
芸能界に入れたことは親の力によるものかもしれません。
ですが今後も芸能界で生き残っていけるかどうかは本人次第。
「布川敏和の娘」ではなく「布川桃花」という一人のモデルとして見てもらえるように頑張ってほしいものです。
布川敏和の次女には障害が?
布川敏和さんが次女、布川花音さんに障害があったことを明かし話題となりました。
誕生してからすぐに異常がみられたという花音さん。
花音さんが侵されていたのは頭蓋底奇形腫という障害。
頭蓋骨の底の部分の奇形腫はかなり珍しいそうで「難病のため手術は難しい」と医師に言われたそうです。
つちやかおり、娘の病気に悩んだ過去。今も活動継続中&両親の介護で兄が鬱に
その後、5年間で4回という度重なる手術のおかげで今は完治。
小学校の徒競走では1位になるなど後遺症もないようです。
テレビではいつも明るい姿を魅せる布川さん。
影では娘とともに難病と闘っていたことを知っていた人は殆どいないでしょう。
布川さんは花音さんの闘病記を「涙のち笑顔 大病と闘った娘と家族の2000日」という書籍にして出版しています。
子を持つ親ならば必見の一冊と言えるかもしれません。
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