和泉元彌の母の活躍。現在(2023)も多忙。父親と姉も有名人&野村萬斎と家系図の関係

和泉 元彌(いずみ もとや)さんは和泉流二十世宗家を自称する狂言師として有名です。

人気絶頂時には母親の節子さんと二人三脚で大活躍するなど話題を集めた親子でした。

今回は和泉元彌さんと節子さんの2023年現在、父親や姉など、家族のことを調べてみました。

また、野村萬斎さんとの違いについても見て行きましょう。

和泉元彌のプロフィール

本名:山脇 元彌 (やまわき もとひさ)

生年月日:1974年6月4日

身長:170cm

血液型:A型

出身地:東京都板橋区 (出生地は岐阜県)

学歴:青山学院大学 (文学部)

和泉元彌さんは芸名を使っている気はしていましたが、まさか苗字が芸名とは予想外でした。

また、身長も170cmより大きく見えるのは舞台上での存在感の大きさと言えるかも知れません。

次は母親である和泉節子さんのプロフィールを見て行きましょう。

母・節子のプロフィール

本名:山脇 節子 (やまわき せつこ)

生年月日:1942年6月11日

出身地:岐阜県大垣市

主な学歴:金城学院大学短期大学部

父は鉄工所の社長で母方は大地主で造り酒屋を営む名家だったそうで、和泉元彌さんの父親(和泉元秀)さんと結婚した際の媒酌人は”尾張徳川家 19代当主”の徳川義親さんでした。

和泉元彌の母(節子)の現在(2023)

まずは、「セッチー」の愛称で親しまれた和泉節子さんの2023年現在を見て行きます。

節子さんはダブルブッキング騒動などでバッシングをされたことで有名ですが、2023年現在は和泉宗家の代表取締役や狂言プロデューサーとして腕を振るっていました。

和泉元彌さんと長女の淳子さん、次女の祥子さんは狂言師として独り立ちをしています。


また、そして元彌さんと淳子さんの子供(2人ずつの4人)はすでに狂言の世界に入っており、羽野晶紀さんや淳子さんの夫を加えると和泉家は10名という大所帯にまで成長。

和泉節子さんは和泉宗家をまとめる先代夫人や狂言プロデューサーとして休むことなく働き、子供や孫に対して厳しくも優しい重要な役割を果たしている様子が伺えました。

それでも舞台を離れればひとりの母であり祖母の顔も見せているそうです。

ちなみに、バッシングされていた当時の新聞や雑誌、ワイドショーなどはほとんどチェックしていたと発言しているので、メンタル面も人並外れた強さなのは間違いないでしょう。

公私ともに忙しい日々を送っている和泉節子さんは今が最も充実しているのかも知れません。

現在(2023)の和泉元彌は狂言やテレビなど多忙な日々

続いて、和泉元彌さんの2023年現在における主な活動を見て行きましょう。

元彌さんはチョコレートプラネットの長田庄平さんがモノマネをしてくれたおかげで再び注目を集め、バラエティ番組などに出演することも増えていました。

今回は前回のブレイク時と違ってダブルブッキングなどのトラブルは発生しておらず、活動の軸もしっかりと狂言に置いているので世間からの評判も良いそうです。

狂言も他の芸能と変わらず新型コロナウイルスの影響によって公演が中止になっていましたが、緊急事態宣言の解除もあって少しずつですが活動を再開していました。

2021年1月9日公開された映画「応天門の変」では敵役の伴(ばん)大納言を演じ、当時の衣装を着こなす様子や動きの美しさはさすがと言えるものだったそうです。

伝統衣装を着ることは慣れているどころか本職なので所作(しょさ)の美しさは見事でした。


他にも舞台「少年陰陽師 現代編・遠の眠りのみな目覚め」では安倍晴明の役を務め、大伴家持などの万葉集を題材とした朗読劇「やかもち」に出演するなど多忙な日々を送っています。

また、私生活では一男一女の父親としての顔も持っており、最初のブレイク時とは違って人間的な厚みや深み、そして演技力も大きく成長したのは間違いないでしょう。

狂言の世界ではまだ若手なので、さらに進化する和泉元彌さんの芸を楽しみにしたいですね。

和泉元彌の父親は和泉元秀

元彌さんの父親は、和泉流十九世宗家・和泉元秀(もとひで)さんです。

芸能祭優秀賞を5 度も受賞し、1972年には重要無形文化財保持者となるなど、ものすごい活躍をしました。

CMに出演したこともあったので、狂言を詳しく知らない人でも、見たことがあるかもしれませんね。

しかし、1995年、57歳という若さで亡くなっています。

死因などは公表されていないようで、詳しいことはわかっていません。

父親というより師匠だった?

元彌さんにとっての元秀さんは、父親というより師匠だったようです。

僕の場合、父に対してはずっと、師匠90%、父親10%という感覚でした。

このため、会話は基本的に敬語だったのだとか。

父親と2人きりでいるときは、家族であるにもかかわらず、緊張してしまったそうです。


ちなみに、元秀さんの感覚では、師匠95%、父親5%。

家族として向き合っている感覚は、息子よりもさらに薄かったわけです。

インタビューに同席してこの事実を知った元彌さんは、驚いたようですね。

父親からの厳しい教え

師匠としての元秀さんは、非常に厳しい人物だったようです。

その日に教わったことが翌日できていないと、ひどく怒られたのだとか。

師匠である父からの教えの原則が“3回繰り返すうちに覚えなさい”なんですね。

とはいえ、元秀さんは親切に教えてくれるわけではありませんでした。

苦労すればそれだけ心身に残るという考えから、あえて詳しいやり方を教えなかったそうです。

それでも、父の狂言に憧れていた元彌さんは必死に食らいつき、腕を上げていきました。

厳しい指導が、しっかりとプラスになっていたのでしょう。

和泉元彌の姉は和泉淳子

元秀さんの長女であり、元彌さんの姉にあたる和泉淳子(じゅんこ)さんは、史上初の女性狂言師として注目を集めた人物です。

2001年には、女性狂言師協会の代表にも就任している淳子さん。

女性狂言師のレジェンドといったところでしょうか。


狂言師として活躍しながら、テレビやラジオにも出演し、幅広く活動しています。

ちなみに、淳子さんの長女・慶子(きょうこ)さんも、前述のとおり狂言師として活躍中。

元彌さんは、姉と共に師匠を務めているのだとか。

私たちにいつも稽古をつけてくれるのは宗家(元彌さん)ですけれども、母も母の妹の三宅藤九郎先生も、私たちの師匠なんです。

慶子さんは、元彌さんの長女である女性狂言師・和泉采明(あやめ)さんとも仲良し。

幼い頃から切磋琢磨してがんばっているそうです。

元彌さんは、子供たちの成長を姉と一緒に見守っているのでしょう。

和泉元彌と野村萬斎は「はとこ」だった

ここでは和泉元彌さんと野村萬斎さんの関係や家系図を見て行きましょう。

萬斎さんは元彌さんと同じ狂言師として活動しており、古典芸能だけでなく現代劇への出演や東京オリンピックの総合演出(2020年末に退任)など幅広く活躍をしています。

また、TBSのアナウンサーになった娘の彩也子さんとの共演でも注目を集めていました。

和泉元彌さんと野村萬斎さんは芸能一家と言える存在ですが、血縁関係はどうなのでしょうか。

和泉家と野村家は同じ「能楽狂言方 和泉流」に属しているという間柄だけでなく、元彌さんの祖父(万介)さんと萬斎さんの祖父(万作)が兄弟ということが判明しました。

兄の野村万作さんはのちに野村万造(五世)となり、弟の野村万介さんは断絶していた三宅家に養子として入って三宅藤九郎(九世)になったことから兄弟は別々の道に分かれています。

また、万介さんの息子(元彌さんの父・元秀さん)が和泉流宗家の山脇家の養子となって和泉流十九世宗家を襲名し、名字も元々の三宅から流派名の”和泉元秀”と改めていました。

野村家の家系図は先祖から野村萬斎さんに至るまでほぼ真っすぐに繋がっていますが、和泉元彌さんの家系図は野村から三宅を経て山脇へと出世(※)をしているのが印象的ですね。


※形式的に和泉流は宗家(山脇)の下に三宅家があり、その弟子家として野村家があります。

伝統芸能の世界は”何代目○○”などがあって少し複雑に見えますが、簡単に表現すると和泉元彌さんと野村萬斎さんは祖父が兄弟同士の”はとこ”という親戚関係でした。

もっとも、元彌さんの和泉流二十世宗家を巡る騒動や能楽協会退会もあって関係は良好と言えないそうなので、はとこ同士の舞台共演を見るのは難しいと言えるでしょう。

いつの日かわだかまりが解け、共演によって人々を魅了して欲しいと願うばかりです。

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